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「福島の今に対する偏見」とは?

 東日本大震災、および福島第一原発事故から13年が経ち、未だ帰還困難区域は残るものの、2022年8月30日の双葉町の特定復興再生拠点区域の避難指示解除を以て「全町避難」という自治体はなくなった。さあこれから復興、とあちらこちらでいろいろな議論が交わされている。

 「ゼロからのまちづくり」
 「移住促進」

 こんな言葉が飛び交う中で、南相馬などで原発事故後もずっと放射能と共存しながら過ごして来た人の中では、「ゼロって何!?」そんな声も出て来ている。当たり前の話で、ずっと自分が暮らしてきた町を「ゼロ」なんていわれて、これまでの暮らしは何だったのかと思うだろう。それは帰還した人にとっても同じで、原発事故前の自分たちの暮らしはどこに行ったのかと思うだろう。

2024年5月撮影。

 避難指示が解除され、そこで原発事故による汚染がゼロになったかといえば、そんなことはない。富岡駅や双葉駅、原子力災害伝承館やおおくまーとなど一部の限られたエリアでは首都圏と変わらないレベルの空間線量であるものの、そんな場所はごくわずか。富岡大熊双葉浪江飯舘の多くの場所は面的に震災前の5倍〜25倍(0.2〜1.0μSv/h)であり、場所によっては50倍以上の場所もある。福島県内の避難指示解除基準、3.8μSv/h(年間20mSv)を上回るホットスポットも、避難指示解除されたエリアに多数存在している。決して「避難指示解除=安全」ではない。

 そうした事実を前にして、国が何を喧伝して来たかといえば、「放射能安全神話」だ。つまり、レントゲンやCT撮影などの医療被曝や、飛行機での移動などで浴びる外部被曝線量との比較。しかしこれはあくまでも「管理された場所での外部被曝」であり、リスクを引き受けた上でメリットを享受するために浴びるものだ。しかし実際に浜通りで起きていることは、どこにどんな放射性物質が落ちてどこを舞っているかわからない空間での「日常生活」だ。管理された場所で外部被曝だけするのとは根本的に話が違う。

 果たしてこれは「偏見」なのだろうか。原発事故が起きたからといって基準を20倍にも80倍にも引き上げ、補償を打ち切って選択を強要し、ゼロリスクはないと言って自己責任でリスクを強いる。また、放射能のリスクを一切説明することなく、数百万円に及ぶ補助金や移住後の生活保証をチラつかせた上で移住を促進する。それが果たして「偏見」を取り除くための適切な施策なのだろうか。

2023年10月撮影。

 事実を前にしてそれに対峙せず「偏見」と呼び否定することで、当事者の人たちが語ることを妨げていることに気付けないのだろうか。語れないことで自らの内に溜め込んだ様々な不安、怒り、悲しみが、原発事故から時を経てPTSDという形で発露していることに気付けないのだろうか。

 あなたのいう「福島の今に対する偏見」とは、当事者の言葉ですか? それとも、当事者を勝手に代弁した行政や匿名の誰かの言葉ですか? 避難を強いられた人、今も強いられてる人、帰還した人。当事者の声をしっかり聞いてください。あなたのいう「偏見」こそ、あなたが勝手に決めつけた思い込みの「偏見」ではないですか。

2023年12月撮影。
2024年5月撮影。

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