外国人生徒がいかに日本人生徒とうまくやるか、そのための多文化共生だとかいうけど、外国人同士は何も起こらないと思います?もう毎年毎年大変よね、トラブルは絶えないから。それでも、関係を切らずに修復しているのは偉いと思う。とにかく、外国人vs日本人だけではないんだよなとも思う。
ふと外国人児童生徒の支援をしている人の方が、失敗しないように、みんなと同じことができるようにと考えているのではと思った。学校の先生ってやってみてできなければ次の手を打つ人が多いように思う。むしろ、先回り手助けしたり、チャンスを与えないってことはしないような気がする。
学校全体のバランスを考えると、授業以外の業務の人員が足りないので、講師よりも分掌も振れる再任用の方が欲しいそう。改めて、日本語教育の研究者も日本語教師も、教員免許も教職経験もない日本語教師が学校に入ったらどれだけ負担かが認識できてないんだと思った。
外国人だから日本語を勉強すべき、これはあなたのため、私はあなたのためにこんなに努力してる、って見せられたら、逃げたくもなりますよね。支援は、いつも善意の押し売りになりかねないこということを忘れないでおきたい。(ちなみにこれを読んでひどいと思う人はそもそも向いてないです、多分。)
外国人児童生徒教育への予算は年々増えてきているけれど、これまでずっとそこで働いてきた人の存在は無視されてるし、待遇が改善されることもなくて、どこかにお金が流れてしまっている。必要ないとは思わないけどもっと最前線に立つ人の支援を手厚くしてほしいと思う。
今日は東京学芸大学「高等学校における日本語指導体制整備事業」というのに参加していたのですが、中身が中々に杜撰でとても大きなショックを受けています。参加者の発言も不正確というか、偏りがひどいというか、ああいった声の大きい人だけが全体意見として捉えられるのは困るような…
ヘイトスピーチはやめましょう。 https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/48162/#:~:text=%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%86%E3%82%8B%E3%80%8C%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%81%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF,%E7%9A%84%E8%A8%
もう10年近く外国ルーツの高校生と教員として、それだけの苦悩や努力をしてきたか、間近でずっと見てきた。それに、国籍に関係なく自分の生徒、自分の学校の生徒。それをいい加減な理由で外国人が増えると公教育が崩壊するとか言うのはお門違いだと思う。
博士は単位取得満期退学しちゃったのですが、それでも年1くらいで発表したり、論文を書いてみたりはしているのです。チャンスをもらったからというのもあるけれど、自分が関わってきた生徒がどれだけ頑張ってて素晴らしいのか一人でも多くの人に知ってほしいという気持ちは、持ち続けているかなと。
外国人児童生徒の日本語指導について、教えれば学べるという大前提にを考え直してほしい。学ぶペースも学び方も違うので、学習機会が充実すれば、全てが上手くわけではない。制限時間内(卒業)で日本語が十分ではなくても、生き延びる方法を示すことも考えておく必要もある。
外国人児童生徒教育の観点として、日本の教育を受けるデメリットがあるというが必要だと思う。日本の教育にも課題があるのと同様、各国の教育にはよさもあるわけで、自分の国で身に付けたよさを保ち伸ばせるような教育を考えないといけない。授業中に不規則に発言する子は発言を恐れない心持ち主とか。