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外国人児童生徒の課題は市井の人にどう見えているのか?

先日、あるメディアで外国人高校生の中退に関する記事が出されていました。その記事へ、日本語教育に関して知識や経験がない、あるいは、自分の半径1mの経験を持たない人が多数のコメントを寄せていました。確かに、関係者から見ればいやいや〜!と思うようなこともありますが、日本語教師養成講座で講師をする人にとって、受講生の初期の認識を知る上では非常に手がかりになると思います。●フコメなどSNSで見られたコメントをいくつかの観点から整理してことにしましょう。

【批判1】なぜ日本語ができない外国人が高校へ入学できるのか?

この批判は、特に本人の責任、あるいは、合格させた高校の責任を問う声が見られました。

まず、重要なのは多くの都道府県教育委員会では「定員内不合格を出さない」という方針を出しています。これは、応募者が定員を下回った場合、受検は行うが全員合格にするという仕組みです。もし、日本語能力が不十分でも、資格を満たし書類に不備がなければ、受検を拒否できないので、高校に否はありません。

では、生徒に問題があるのでしょうか?この点は非常に難しいところです。本人も自分の現状を理解し、進学後の困難な状況も想像がついていると思います。
実際、中学校を卒業後、1年程度NPO等で日本語学習や教科の補習を受けて高校へ進学するケースも少なくありません。しかし、支援を受けられる経済的余裕がない家庭も多いです。また、一定水準の支援を行なっている団体は東京都内には複数あるものの、それでも数として十分とは言えません。そもそもそういった団体がない地域の方が多数だと思われます。ですから、日本語を学んでから進学したいと言ってもその機会もリソースもないのです。

その場合、中学校や周囲の支援者は、まずは高校へ進学をさせて「居場所を確保する」ということを考えます。日本語ができず、アルバイトもできず、何もしないで家にいるよりは、高校生として学校に通うことが望ましいという考えです。加えて、在留資格の制度上、多くの外国籍の子どもたちは、高校を卒業しなければ日本での就労は困難になっています。それらの点を考慮すれば高校に進学させたいという周りの願いや本人に希望は真っ当なものだと思います。

現状を変えられるのは、やはり外国人を受け入れる側の日本社会ではないでしょうか。確かに、予算や人材育成・配置など様々な問題は検討して行くべきではありますが、基本的な方針として、このような外国人児童生徒たちが日本社会、あるいは、幅広く社会に貢献できる人材として育成することが望ましいというのは広く共有できるものと考えます。

【批判2】 留学した日本人は自力で頑張っているのだから、この高校生たちも自力で頑張るべきだ。

そもそも、留学生と外国人児童生徒は全く異なります。まず、留学生は自分の意思で、一定の準備をしてから海外に行くのに対して、外国人児童生徒は、基本的には親の都合で、準備する間もなく来日します。また、前者は期間が決まっていて、自国に帰る場所もあると思いますが、後者は、期間は全く不透明(リーマンショックで帰国が続出したり、帰化して一生日本に住むことになったり)で、家族総出で移住した場合、自国に帰る場所がないこともあります。さらに、留学では語学から専門へと段階的に進むのに対し、外国人児童生徒は日本語の習得と教科学習が同時に始まります。

まず、大前提として、(特別な事情が無い限り)どの国で生まれ育ったとしても親と子どもが一緒に住むということはそれほど珍しいことでも、否定されることでもないと思います。そして、親が来日するのは、日本社会と外国人労働者の相互の利害が一致するからです。そう考えると、外国人の子どもたちは日本社会や親の決定の犠牲になっている側面があり、その状況はやはり看過すべきではありません。確かに、親が関与が少ないことが、子どもの状況を困難にしているという指摘はあります。それと同時に、外国人労働者の特徴として「非正規」・「長時間」・「低賃金」の職に就いており、親自身に余裕がないということも明らかになっています。
以上のようなことから、親からのサポートも受けられず、自分の意思ではないが来日し、自国へ帰ることもできないという状況にある子どもたちがいるのです。

また、英語圏の学校では英語で理解できるのが前提で授業が進む、だから外国人児童生徒たちは日本語が分かるようになってから学校へ行けば良いという意見も見られました。
確かに、アメリカでは、英語で授業についていけるようにという考えがあるように思います。ただ、アメリカでは留学生だけでなく、移民に対しても、第二言語としての英語学習(ESL: English as a Second Language)というプログラムを州ごとに用意しています。特に、学校内でESLコースを作って指導をしている場合には、ESLの免許を持った教員が指導することが必須になっています。
ですから、「英語が理解できるのが前提で授業が進む」のは事実かもしれないですが、英語が分からないからと言って、学ぶ機会を与えなかったり、いかなるサポートをしていないわけではありません。そこは、日本と大きく違うところです。

以上のように、これから日本語教師を目指そうとする人の中には、上記のような考え方を持っている人がいるかもしれません。日本語教師養成講座の講師としては、このような考え方にどう向き合い、自分なりに理解を深めてもらえるか考えていく必要があると思います。

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