閉口する現代美術と言われるものを見てからこっち、日本画をとても良いと思うようになった。余白が視覚の深呼吸を促してくれたり、今では非日常的になった鳥や鹿や猿の啼き声に耳を澄ませられるような自然の中にポツリと佇むような感覚になれるからだと思う。静寂を時々必要としている。まだ、時々だ。
『ジョジョの奇妙な冒険』のディオ(DIO)が「生命の停止」を象徴することは、以前note でも指摘した。時間停止も死の比喩だ。これは「ネクロフィリア」という概念で説明できるもよう。だとすると、ジョルノ・ジョバーナは逆の「バイオフィリア」ではないか。生命を生み出す能力を持つからだ。
〉海を見て落ち着くのは、遺伝子レベルなのかもしれないhttps://onl.tw/9xY75Sw 自分は小6で初めて25mを泳いだ程の水嫌い。人間の生を司る『呼吸』が出来ない水中ってのは恐怖でしかない…笑 なので個人的には、海は『死』、森は『生』の感覚。コメ欄に続き👇
ネクロフィリアとバイオフィリア 死による固定か成長による変化か? 物事が固定されていれば考えるのは非常に楽になる、面倒を避けるそのためだけに成長を止めさせ、事実上の死が蔓延しているのが愛を失った人間の醜い欲なのだと思う 恐怖と面倒に打ち勝ち成長と独立へ歩みだすのが今必要である