僕が自然と五感を大切にする理由(前編)バイオフィリア
僕が普段から行っている学びの体験や対話のプログラム創造において、自然と五感を大切にし中核に据えているのだが、その理由を何冊かの書籍の助けを借りながら整理してみた。
まず一つ目は、こころと身体の状態が、やすらぎ、ひらき、ニュートラルな状態になるから、という理由がある。
これは、自己との対話(内省)においてゆっくりと深く潜っていくことや、他者との対話における開示や気付き、そしてメタ認知や抱えているものの浄化などに大きく影響すると思っている。
この「こころと身体の状態が、やすらぎ、ひらき、ニュートラルな状態となる」ために自然の場を使っているわけだが、自然の場ならなんでも良いかというとそういうわけでもない。
自然が僕たちの脳や身体に良い影響を与えることは様々な研究や書籍で説明されているが、アニー・マーフィー・ポール著の『脳の外で考える』では、人間はどのような自然空間を好むのかが書かれている。
これを読むと、僕たちが自然の中でもどういった場所を好み、癒されているのかがわかる。ひらけた草原だったり陽の光の入った森、山々の景色や川や湖を前にしたときに、僕も心が安らぎ幸せな気持ちになる。
これは、「バイオフィリア」という、「全ての人は自然や生き物との結びつきを求める」という概念と関係するようだ。この言葉を広めたのは「ダーウィンの後継者」と称された米生物学者E.O. ウィルソンだと言われているが、最初に用いたのはドイツの社会学者で哲学者のエーリッヒ・フロムだったらしい。(そういえば僕の本棚にも『自由からの逃走』が眠っている)
「バイオフィリア」について、医学博士であるジョン J.レイティの著書『GO WILD』ではこう書かれている。
僕が創造する自然体験の場としてよく使わせてもらっている「ライジングフィールド軽井沢」という上信越国立公園内に位置する標高1200メートル・広さ4万坪の自然フィールドは、目の前に広大な浅間山が広がる芝生のフィールドや、大地を焚き火を存分に味わえるフィールド、水に浸かり川遊びができるエリアなどがある。
こういったフィールドやエリアをかなり自由に使って、体験を創り出している。
心地よく感じる自然の中にいると、少しずつだが、自分が何かを取り戻していっているような、元に戻っていくような感覚になってゆく。普段当たり前だと思って生活している日常の便利な都会環境は、自身のこころと身体にとっては当たり前ではない環境なのかもしれない。
作家でジャーナリスト、ジョージ・ワシントン大学客員学者であるフローレンス・ウィリアムズの著書『NATURE FIX』ではこう書かれている。
こころと身体の状態が、やすらぎ、ひらき、ニュートラルな状態に戻ってゆく中で行う対話や学びは、より深く、自分自身を感じ、他者を感じ、起きていることを感じでゆける。
さて、僕が自然と五感を大切にする一つ目の理由として、こころと身体の状態と「バイオフィリア」の関係について書いてみたが、続いて二つ目の理由については、そろそろ長くなってきたので、次の記事で書いていきたい。
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