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僕が自然と五感を大切にする理由(前編)バイオフィリア

僕が普段から行っている学びの体験や対話のプログラム創造において、自然と五感を大切にし中核に据えているのだが、その理由を何冊かの書籍の助けを借りながら整理してみた。

まず一つ目は、こころと身体の状態が、やすらぎ、ひらき、ニュートラルな状態になるから、という理由がある。

これは、自己との対話(内省)においてゆっくりと深く潜っていくことや、他者との対話における開示や気付き、そしてメタ認知や抱えているものの浄化などに大きく影響すると思っている。

この「こころと身体の状態が、やすらぎ、ひらき、ニュートラルな状態となる」ために自然の場を使っているわけだが、自然の場ならなんでも良いかというとそういうわけでもない。

自然が僕たちの脳や身体に良い影響を与えることは様々な研究や書籍で説明されているが、アニー・マーフィー・ポール著の『脳の外で考える』では、人間はどのような自然空間を好むのかが書かれている。

自然はとりわけ、思考にとって豊かで実り多い環境を提供してくれます。なぜなら、私たち人間の脳や体は、屋外でいきいきと活動するよう進化してきたためです。何十万年も外で暮らしてきた人間の体は、植物が生い茂った環境に合うように調整されてきました。そのため、人間の感覚や感知は今でも、自然環境にある特定の刺激を無理なく効果的に処理できます。人間の心は、有機的な世界が持つ周波数に合っているのです。
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セントラルパークを設計した造園家フレデリック・ロー・オルムステッドは、こう書いています。「自然の景観は、心を疲弊させることなく、むしろ活気づける。そして心による体の影響を通じて、リフレッシュした休息と再活性化の効果が体全体に与えられる。」生き延びるために、特定の自然空間に対し、人間は共通の強い好みを持つようになりました。それは安全で資源豊かに見える空間です。草で覆われた広大な場所で、枝が広く伸び、木々がぽつりぽつりとあり、近くに水源があるような場所が、私たち人類は好きなのです。
アニー・マーフィー・ポール『脳の外で考える』(ダイヤモンド社)より

これを読むと、僕たちが自然の中でもどういった場所を好み、癒されているのかがわかる。ひらけた草原だったり陽の光の入った森、山々の景色や川や湖を前にしたときに、僕も心が安らぎ幸せな気持ちになる。

これは、「バイオフィリア」という、「全ての人は自然や生き物との結びつきを求める」という概念と関係するようだ。この言葉を広めたのは「ダーウィンの後継者」と称された米生物学者E.O. ウィルソンだと言われているが、最初に用いたのはドイツの社会学者で哲学者のエーリッヒ・フロムだったらしい。(そういえば僕の本棚にも『自由からの逃走』が眠っている)

「バイオフィリア」について、医学博士であるジョン J.レイティの著書『GO WILD』ではこう書かれている。

人間であれほかのどの生物であれ、種としての成功は環境への適応の度合いによって決まる。とくに人間の場合大きな脳で自然界への知識を駆使することが、その適応を大いに助けた。人間という種は生活環境、習慣、食べるものが多様なのでさらに複雑な適応力が求められ、脳がそれを助けたのだ。自然な環境にあるとき、周囲をただ観察するだけでなく注意深さと熱意と愛着を持って観察するとどうなるだろう?そのような性質を持つ人は、そうでない人より生き延びる可能性は高いはずだ。進化がそういった特質に報酬を与え、より強めた可能性は高い。
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狩猟と採集をする遊牧民は、水が利用でき、周囲を見渡せ、安全に眠ることのできる場所を中心として、日々を生きていることを、たとえばクン・サン人を研究する人類学者ならだれでも知っている。そのような嗜好を数千年も維持するのは、遺伝的記憶というよりほかに説明のしようがない。
ジョン J.レイティ『GO WILD』(NHK出版)より

僕が創造する自然体験の場としてよく使わせてもらっている「ライジングフィールド軽井沢」という上信越国立公園内に位置する標高1200メートル・広さ4万坪の自然フィールドは、目の前に広大な浅間山が広がる芝生のフィールドや、大地を焚き火を存分に味わえるフィールド、水に浸かり川遊びができるエリアなどがある。
こういったフィールドやエリアをかなり自由に使って、体験を創り出している。

心地よく感じる自然の中にいると、少しずつだが、自分が何かを取り戻していっているような、元に戻っていくような感覚になってゆく。普段当たり前だと思って生活している日常の便利な都会環境は、自身のこころと身体にとっては当たり前ではない環境なのかもしれない。

作家でジャーナリスト、ジョージ・ワシントン大学客員学者であるフローレンス・ウィリアムズの著書『NATURE FIX』ではこう書かれている。

現代を生きる我々は、もともと六〇〇〜七〇〇万年前に人となり、ずっと自然環境中で生活し、遺伝子も変化する進化という過程を経て、今を生きる現代人となった。産業革命を人工化の始まりと仮定した場合、人は九九.九九%以上を自然環境下で過ごしており、人の体は「自然対応用」にできているのである。二〇〇八年に全世界の人口の半分以上が、「都市部」に生活するようになった現代において、我々は、なかなか気づきにくいのであるが、強すぎる覚醒状態、ストレス状態になっているのである。
フローレンス・ウィリアムズ『NATURE FIX』(NHK出版)より


こころと身体の状態が、やすらぎ、ひらき、ニュートラルな状態に戻ってゆく中で行う対話や学びは、より深く、自分自身を感じ、他者を感じ、起きていることを感じでゆける。

さて、僕が自然と五感を大切にする一つ目の理由として、こころと身体の状態と「バイオフィリア」の関係について書いてみたが、続いて二つ目の理由については、そろそろ長くなってきたので、次の記事で書いていきたい。


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