Makoto Shirasu

「毎日をていねいに暮らす」を大切に。 興味の中心は「生命・自然・調和」。哲学、ア…

Makoto Shirasu

「毎日をていねいに暮らす」を大切に。 興味の中心は「生命・自然・調和」。哲学、アート、デザイン、サイエンス、音楽、ヨガなど幅広く。 総合商社 → AIエンジニア → 事業統括・PM・事業開発・サービスデザイン@startup → 自由に。

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「至福」とはどういうことだろう?〜ふとした瞬間の香りの記憶を通して〜

「至福」とは一体どういうことなのだろう。幸福との違いは何だろうか。 「福に至る」と書いて「至福」と読むわけですが、この「至る」というのは自らが何かを実践して至るのか、あるいは不意に出会った何かに導かれて至るのか。 後者の「何かに導かれて」至るというのは「訪れる」とも言えるかもしれません。 とある南の島を歩いていた時、ふと爽やかな柑橘の香りが。 今でも「香りを思い出すだけで、その場にいるような気持ち」になります。 それほどに色鮮やかな香りの記憶。 これもまた不意に訪

    • 空の色のグラデーションと連続性〜触感がもたらす時間の連続性を重ね合わせて〜

      夕暮れから日没にかけて、意識をとどめることなく、ぼんやりと空の全体を捉えるように眺めていた。 一体どこからどこまでが(空の)青なのだろうか。 青、藍、紺、白、灰、橙。 様々な色が重なり合い、混ざり合ってグラデーションを織り成している。 そのグラデーションの通時的変化は、全体を瞬間的、微分的には捉えるよりも、一定の変化の蓄積をもって、段階的に、離散的に捉えることより他ないように思われる。 一方、空のグラデーションを眺めている間、緩やかに身体を包み込んでいる潮風の質感の

      • 日常生活の中に生まれる軽やかな温かさ〜会釈という所作を通じて〜

        「会釈をする」ようになったのは、はたしていつ頃からだろう。 たとえば、道や席を譲る・譲られる場合など、日常生活において会釈をする場面は様々ある。 そして、それは面識のない方々であっても、瞬間、心重ね合う所作。 もしも、会釈という所作がない世界を想像してみると、どこかぎこちない、あるいは一抹の虚しさを感じてしまうかもしれない。 会釈する際に「ありがとうございます」と言葉を添えることもあるけれど、必ずしも言葉は必要とされない。 会釈する際に目を合わせることもあるけれど、

        • 「反復の中で同一と差異を見い出す」ことによる既知、未知の再発見。〜重ねられてゆく歩みは色褪せない〜

          「同じ場所への旅を重ねること」にも楽しみがあると思う。 以前歩いたことのある道を、幾許かの間隔を空けてから歩いてみると何とも言えない新鮮な気持ちになる。 その間隔は半年、一年、あるいは数年かもしれない。 最初は地図を頼りに歩いた道を、次は地図を使わずに歩みを通じて身体に刻まれた記憶を頼りに歩き直してゆく。 「あの曲がり角を曲がると、その先にはたしかこんな光景が広がって…」という記憶を先行させながら、実際の道や光景があとから追いついてくると、「やっぱりそうだった」という

        「至福」とはどういうことだろう?〜ふとした瞬間の香りの記憶を通して〜

        • 空の色のグラデーションと連続性〜触感がもたらす時間の連続性を重ね合わせて〜

        • 日常生活の中に生まれる軽やかな温かさ〜会釈という所作を通じて〜

        • 「反復の中で同一と差異を見い出す」ことによる既知、未知の再発見。〜重ねられてゆく歩みは色褪せない〜

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          光景と情景〜降り注ぐ雨の連想を通じて〜

          「雨が降る」という言葉から、どのような光景を連想するでしょうか。 ポツポツ、パラパラと降る雨。 バケツをひっくり返したように降り注ぐ、土砂降りの雨。 台風がもたらす打ち付けるような強い風と共に降り頻る雨。 あるいは、しとしと降る雨。 滴の存在を感じさせない、霧のように漂う雨。 実にさまざまな光景が連想されると思います。 では、バケツをひっくり返したように降り注ぐ雨をとってみます。 雨が降る場所の気温が暖かな場合と冷たい場合では、体感としての雨の印象は異なるかも

          光景と情景〜降り注ぐ雨の連想を通じて〜

          飛び込んでみること、信じて委ねることからの安心感〜台風の中心の穏やかさ〜

          飛行機が離陸する瞬間、そして着陸する瞬間。 この二つの瞬間はいつも「緊張」と「リラックス」の境界であると感じる。 飛行機、そして操縦士の方々に自分を、自分の命を委ねる。 安定的に飛行している時、着陸して機体が接地している時。 物事の変化が緩やかなとき、そこにはある種の穏やかさ、あるいは安心感を見出している。 一方、乱気流の中を飛んでいる時、飛行機の機体は大きく揺れている。 そうした時はやはり緊張感を伴うけれど、そんな時こそ思い切って「委ねる」ことで落ち着きを取り戻

          飛び込んでみること、信じて委ねることからの安心感〜台風の中心の穏やかさ〜

          「見上げること」の希少性〜中秋の名月を眺めて思ふ〜

          今宵は中秋の名月ですね。 夜空を見上げれば、美しく浮かび上がる月。 どこか迫り来るような存在感を放つ月。 ふと思ったんです。 日常生活の中で、上を、空を、天を見上げることが希少であることに。 見上げれば自然と胸が開き、胸が空きます。 空いた胸には自然と呼吸が充ちていきます。 スマートフォンやパソコンなど、見上げるよりも見下ろす姿勢を取ることが固定化されやすい今日この頃。 見上げる、見下ろすのバランスを取りたいものです。 そして、また思ったんです。 空間が閉

          「見上げること」の希少性〜中秋の名月を眺めて思ふ〜

          呼吸という声〜生きている物の活動の根幹にあるテンポ、あるいはペース〜

          「生きている物」の活動の根幹にあるのは「テンポ」あるいは「ペース」ではないだろうか。 そんなことを思う。 ヨガに取り組んでいると、ルーティーンを通して身体の変化と向き合うことになるわけだけれど、身体がすっきり軽く感じることもあれば、重く感じることもある。 軽く感じるときは呼吸も軽やかであり、身体が温まるにつれて呼吸のペースも自然と速くなる一方、身体が重く感じるときは呼吸のペースをあえてゆっくりにしてみると、不思議と身体が軽くなってゆくことが多い。 逆に、身体が重く感じ

          呼吸という声〜生きている物の活動の根幹にあるテンポ、あるいはペース〜

          「呼吸の次元」について

          「呼吸の次元」 ふと、そんな言葉が降りてきた。 呼吸は吐気が先にあり、吸気が後。器が空になると、自然に満ちてゆく。 では、息の吐き方、あるいは吸い方について、どれだけ多くのことを知っているだろう? たとえば、息を吐く時に「細くゆっくり長く」と言われることがある。 「細い」は空間描写で「呼気の体積」を表し、「ゆっくり長く」は時間描写で「吐くペース」を表している。 少なくとも空間と時間の次元がある。 あるいは寒さが厳しい時にかじかんだ手を温めるような「ハーッ…」とい

          「呼吸の次元」について

          身体のつながり、そして複雑なもの

          先日、朝起きて腕を伸ばして回しながら肩甲骨のあたりをほぐしている今日この頃、と書きました。 じつは、肩を回しながらほぐしてゆくのが日課になってから、他にも変化がありました。 太腿や腰回りを伸ばしてストレッチするとき、以前は「ピリッ」という痛みを感じていたのですが、なぜか痛みが和らぎ、感じなくなってきたのです。 生成AI「Claude」に聞いてみると、筋膜を通じて身体の各部位がつながっていて、肩甲骨周りのストレッチが下半身の柔軟性を向上させる可能性があるとのこと。 ヨガ

          身体のつながり、そして複雑なもの

          「かたち」という言葉の奥行き、あるいは多元性

          「かたち」という言葉には計り知れない奥行きがある、と思う今日この頃。 「かたち」という言葉を聞いて、何を思い浮かべるだろう? 何か具体的な「モノ」を思い浮かべて、その輪郭を「かたち」として捉えるかもしれない。 その「モノ」は「目に見える」何かを指しているかもしれない。 では、「目に見えない」モノの「かたち」はどうだろう? たとえば「音」は何かの方法で可視化しなければ「目に見えないモノ」と扱って差し支えないと思われる。 輪郭という言葉を手掛かりにしてみると、音の輪郭

          「かたち」という言葉の奥行き、あるいは多元性

          伸ばした腕を回しながら、左右の非対称性をなくしてゆく〜ポカポカと温まる肩甲骨からの声〜

          最近、毎朝目が覚めてから、大きく円を描くように片腕ずつ回しています。 すると、左腕はなめらかに回るのに対して、右腕は回し始めからしばらくは肩甲骨まわりが「ゴリゴリ…」っと鈍い音がして腕を回りにくい時間が続いてしばらくするとなめらかになっていきます。 この右側の肩甲骨まわりの「ゴリゴリ…」とした音が聞こえる時は特に痛みはなく、むしろほぐれてゆくに連れてじんわりじんわりポカポカと温まってゆく様子に、言い方は難しいのですが、どことなく愛おしさを感じているのかもしれません。 そ

          伸ばした腕を回しながら、左右の非対称性をなくしてゆく〜ポカポカと温まる肩甲骨からの声〜

          デザイン、違和感、そして"わからなさ"に耐える力

          今晩は「デザイン」をテーマにした対談イベントに足を運びました。 私はモデレーターの稲葉裕美さんが主催されておられるデザインスクールで学んでいましたので、その意味ではとても大切な恩師です。 対談された稲葉さん、萩原さんはお二人とも武蔵野美術大学のご出身でありデザインを深く学ばれ、そして実践し続けられておられます。 「デザイン」そして「センス」というキーワードが軸となった対談に意識を向ける中で浮かび上がってきたのは、「違和感」と「わからなさに耐える力」という言葉でした。

          デザイン、違和感、そして"わからなさ"に耐える力

          物事の分かり方と文脈依存性〜解釈と素読〜

          意識的であろうと、無意識的であろうと、私たちは日常生活の中で様々な「解釈」をしています。 「解釈」を通して物事の意味を理解しようとしていますが、ふと思うのは「解釈をしない」形での物事の分かり方はあるのだろうか、と。 「解釈する」という営みそのものが、物事の偏った側面のみを切り取ることになりはしないだろうか、全体あるいは「ありのまま」を捉えることの妨げになってはしないだろうか、と。 そんなとき、江戸時代の学習法のひとつである「素読」が思い浮かびます。 何度も何度も反芻し

          物事の分かり方と文脈依存性〜解釈と素読〜

          「ブリコラージュ」と「確率的遺伝子発現」の近しさ〜直感と縁起〜

          特に目的を決めず、気になった物事を思いつくままに拾い集めてゆく。 本、人、旅、そして様々な分野の論文。 色々なものを自分という器に入れておくと、ふとした瞬間に全く異なる分野や領域で提唱された概念の間に近しさを感じることがあります。 文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが提唱した「ブリコラージュ」という概念があります。 「何かの役に立つかわからないけれど、いつか役に立ちそうな気がする」との直感によって拾い集めておいたものが、実際に役に立つことがある。 「ブリコラー

          「ブリコラージュ」と「確率的遺伝子発現」の近しさ〜直感と縁起〜

          小さな変化の積み重ね〜人それぞれが大切にしている習慣の観察から、自分との間に橋をかける場所を見つける〜

          「小さな変化の積み重ねが、気付けば大きな変化を生み出している」 自分の身体をコツコツとストレッチし続けている中で感じたことです。 身体を伸ばしてゆく中で感じていた少しピリッとするような刺激・痛みが、今日は気付けば感じられなくなっていて、なんとも言えない心地よさが訪れました。 この変化は、利子が利子を生み出す「複利」の効果に似ているかもしれません。 呼吸を止めないように、淡々と続けてゆくこと。 無理がなく、それでいて少しストレッチが効いていること。 そこで生まれる小

          小さな変化の積み重ね〜人それぞれが大切にしている習慣の観察から、自分との間に橋をかける場所を見つける〜