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呼吸という声〜生きている物の活動の根幹にあるテンポ、あるいはペース〜

「生きている物」の活動の根幹にあるのは「テンポ」あるいは「ペース」ではないだろうか。

そんなことを思う。

ヨガに取り組んでいると、ルーティーンを通して身体の変化と向き合うことになるわけだけれど、身体がすっきり軽く感じることもあれば、重く感じることもある。

軽く感じるときは呼吸も軽やかであり、身体が温まるにつれて呼吸のペースも自然と速くなる一方、身体が重く感じるときは呼吸のペースをあえてゆっくりにしてみると、不思議と身体が軽くなってゆくことが多い。

逆に、身体が重く感じるときは呼吸のペースを速めてしまうと、さらに重く感じることが多いように思う。

身体の調子は日々変化しているとして、「正常な状態」を把握し、その状態へ戻す手助けになるのは、その時々の状態に固有のテンポ、あるいはペースだと感じる。

そして、その固有のテンポ、あるいはペースというのは、最初から分かっているわけではなく、何かの作用、働きかけに対するフィードバックを通じて少しずつ明らかになってゆくもの。

「呼吸」という身体の声、自分の内側からのフィードバックを大切に、一日一日を過ごしたいものです。

あたかも、海がすべての水の合一するところであるように、まさにこのように皮膚は一切の触感の合一するところであり、このように両鼻孔は一才の匂いの合一するところである。また、このように舌は一切の味の合一するところであり、このように眼は一切の形の合一するところである。このように耳は一切の音の合一するところであり、このように意は一切の思考の合一するところである。

岩本 裕 編訳『ウパニシャッド』

あたかも、塩の塊りが内外の区別なく、すべての味の塊りであるように、ああ、まさしくそのように、このアートマンは内外の区別なく、すべての理智の力の塊りである。それは人の死後にこれらの諸要素(肉身を構成する物質的要素)から出て、それらを消滅させるのだ。その故に、死後には意識はないと、ああ、わたしは言うのだ。

岩本 裕 編訳『ウパニシャッド』

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