山根あきらさんの赤毛のアンの記事を読んでから、ちょっと違うのだけど書棚の本のエピグラフを探索。献辞もそうだけど読み飛ばしがちだから探索すると楽しい。ちなみにディックの「電気羊」はイエイツの「羊飼い」、エルロイの『ブラックダリア」はアンセクストンの詩。献辞も結構大事。
エマニュエル・トッドの近著やジャック・アタリの著書の冒頭にブレイクやバイロンといった英詩が掲げられているのは偶然なのだろうか。フランスの最高の知性と称されるような人々は、なぜ自著のエピグラフに、フランスの詩でなく、英詩を引くのか。仮に偶然でなく必然であるなら翻訳も注意すべきだ