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トルストイの日露戦争論/エピグラフの機械翻訳 第五章分

・「トルストイの日露戦争論」は、各章に多量のエピグラフが付されているが(第十二章を除く)、平民社訳、あるいはその底本となった英訳からは省かれている。
 そのエピグラフ部分を訳してみようという試み。

・タイトルに「機械翻訳」と銘打ったように、機械翻訳によるざっくり訳を想定。ただし、既存の翻訳が特に問題なく引用できそうな場合は、そちらを使用。

・各引用文の最初にある(1)(2)(3)…の番号は、記事作成などの都合上、当方で付したもので、原文にはない。

・その他、原文にない要素を加える場合もある。
 (聖書からの引用の場合、原文に章・節番号がなくても、それを付加する、など。)

・誤訳を見つけた場合、こっそり修正すると思います……。

第五章エピグラフ


(1)
《世紀末に我々を必然的に待ち受けるカタストロフの前に、恐怖についての思考は止まり、我々はそれに備えなければならない。20年(今では既に40年)連続して、全ての知的努力が破壊兵器の発明のために使い尽くされた。そして間もなく、軍全体を破壊するのに大砲の数発で十分になるだろう;武器をかかげ、もはや以前のように千人かそこらの堕落した貧乏人ではなく、国民が、国民全体が、互いに殺し合う準備をしている。彼らに殺人の準備をさせるため、憎悪が焚き付けられ、自分たちは憎まれていると信じ込まされ、温和な人々はそれを信じ、そんな平和的な市民の群れが、互いに殺し合うという馬鹿げた命令を受け、神ぞ知る、馬鹿げた国境配分や、つまらぬ貿易や植民地の利権のために、野生動物の残虐さで互いに突進する。

そして彼らは羊のように屠殺場へと向かう、自分たちがどこへ行くのか知りながら、妻を残し、子供たちが飢えることになるのを知りながら;しかし彼らは行くだろう、朗々として欺瞞的な言葉にかくも酩酊し、屠殺場が自分たちの義務を成すと想像するようかくも欺かれ、彼らの血なまぐさい行為を祝福するよう神に乞うようになる。そして彼らは行くだろう、彼らが蒔いた作物を踏み荒らしながら、彼らが築いた都市を燃やしながら、熱狂的な歌、喜びの叫び、祝祭的な音楽とともに。彼らは行くだろう、憤慨することなく、従順かつ謙虚に、彼らには力があり、もし彼らが合意することができれば、外交官の乱暴な手口の代わりに、良識と兄弟愛を確立することができるであろうにも関わらず。》

E. ロッド

【(2) 以下、準備中】



(1)E. ロッドは次の人でしょう(スイスの作家)。

こちらも参考までに。

仏語版の記載によると、出典は
(E. Rod, le Sens de la vie, p. 208, 312.)
(とりあえず『人生の意味』と訳しておきます。)

gallicaで見られる次の本は、版が違うのか、あるいは誤記なのか、ページ数にズレがあるよう。引用文の前半分だけ確認しましたが、209ページのようです。
また、引用文中のカッコ書き「(今では既に40年)」というフレーズは原文になく、トルストイの付け足したものと思われます。

なお、露文の電子テキスト版で «о восторженным пением, » 云々という箇所がありますが、トルストイ全集の方を見るに、これは «с восторженным пением,» の誤植と思われます。