narco

読んだこと、見たこと、食べたこと、遊んだこと、感じたこと、色々。※個人的な内容は有料設定にしてあります。 これまでの読書の記録はこちら→https://profile.ameba.jp/ameba/masaecox-x/

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最近の記事

ジョージア映画『祈り』『希望の樹』

ジョージアはトルコの近くで黒海に面した小さな国。山を越えればロシア。ジョージアの映画ってこれまで見る機会がなかったし、DVDもあまり出回っていないみたい。今回、ひょんなきっかけでジョージア映画祭のパンフレットを見た。 とたんに興味がわいてきてしまい、その場で上映時間をチェックして翌日には、映画館へ行っていた! テンギズ・アブラゼという監督の「祈り三部作」と呼ばれる作品が上映していた。三作品ぜんぶ見てみたかったけれど時間的に無理だったため、二本にしておいた。 ということで、

    • 小説と映画『箱男』

      映画化された『箱男』を観に行った。 映画は映像と音声で成り立つ瞬間的な作品なので、ハテナ?と思っても時間を戻すことはできないから、予習のため、安部公房の原作を読むことにした。 ところが読了後、「・・・ん?」と、若干取り残されてしまった感が残ってしまった。 というのも、物語後半になってくると視点が混乱してきて、妄想か現実かも分からなくなってしまい、おまけに詩のようなものまで出現し、一見本文とは関係なさそうな挿話が出てきた(関係あるんだけど)。 実験的作品に仕上げているせいなの

      • 『零落』作り手の苦悩と堕落

        竹中直人監督作品。苦悩する漫画家が主人公の作品。 苦悩から抜け出せぬままで終わってくれたのが個人的には好み。変に前向き感がある作品はあまり好まないから。 でも、堕ちて堕ちて堕ちても死なずに生き続けたなら、あとはあがっちゃうもんなのかも。 高尚な漫画を描きたい人もいるけれど、世間が求めているものは、特に何も考えずに片手間で読める漫画だったりする。そもそも、頭をフル活用して思考しながら読むなんて論外で、気楽に読んで、気づいたらなんか涙が出て感動している、みたいな漫画。でも、そう

        • タルコフスキー監督『ストーカー』が長すぎた件

          とあるミニシアターで、タルコフスキー監督作品の特集しているのを知って、気分転換に行ってきた! スケジュール的に『ノスタルジア』か『ストーカー』かしか合わなくて、『ノスタルジア』は前回観たから、今回は『ストーカー』を鑑賞することに。1979年のソ連の映画。 164分かあ‥‥‥。3時間近いじゃん~。うーん、ちょっと寝不足気味だけど大丈夫かなあ‥‥‥なんて思っていたら、案の定、途中でウトウト…😪💤ま、進むテンポがゆっくりだから、少しくらいウトウトしても大丈夫でしょう~(?) じっ

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        記事

          「水中のミュートとブレス」大國眞希(2015)

          『秋風記』は会話によって多く構成されている。しかも、その会話は言葉遊びであったり、あるいは、核心を述べなかったり、決定的な事柄が示されない。 提示核心が述べられない会話は何を表象/提示するのか。 心中を図らない、その意味で何も起こらない「私」たちの旅に、死の想念が強く付き纏うのは何故か。それは何を表現するのだろうか。 「水仙の花」が意味するもの藤原論、佐々木論から不足分を補う感じで論じられている。水仙の花が登場しただけでナルキッソス神話を導くことに対しての疑問点が提示

          「水中のミュートとブレス」大國眞希(2015)

          「自閉のなかはパフォーマンス・ステージ」佐々木啓一(1991)

          「K」を保護者のような母性的な存在として「私」と「K」二人の関係に言及した論文。 主人公とKとの関係は、一見男女の関係に見えて、実は母子の関係でしかありえないのである。 自己愛を許容してくれるK。 Kという存在は、主人公の演じる自己劇化のための媒体であり、その役割を真摯に課せる相手はKしかいないのである。 太宰はそうした女性を、自己劇化のために、自己の好みにあわせて形象化しているのである。それは「役者になれば、よかった」という主人公の暗示的な表現の持つナルシスティックな独

          「自閉のなかはパフォーマンス・ステージ」佐々木啓一(1991)

          「〈自己〉を語り直すということ」安藤宏(2021)『太宰治論』より

          「秋風記」部分(P640~)においては、前著と同様の記載。 安藤宏「〈自己〉を語り直すということ―『愛と美について』論」/出版者:東京大学出版会/書籍名:『太宰治論』/2021.12

          「〈自己〉を語り直すということ」安藤宏(2021)『太宰治論』より

          「『愛と美について』論」安藤宏(2008)

          「K」と「私」「K」と「私」→「罪の思い出だけに生きている」「おちぶれたブルジョア」 没落の予感が「血」への郷愁を増幅させていく。 「K」の人物像モデルは存在せず。姉たちや従姉が重なった、いわば彼岸に旅立つ肉親たちの統合的な表象。 「秋風記」のテーマとは”事件”は何も起こらず、二人は日常へと回帰する。だが、あえて言えば事件が起こらないという”事実”のみを示すことにこそ、改良の意図が秘められていたのではないか。かつての「自己」を肉親の思い出と共に”埋葬”し、過去との決別を

          「『愛と美について』論」安藤宏(2008)

          「十字架と水仙」藤原耕作(2006)

          最後の場面への言及解釈上の難題、二つの疑問 なぜ「私」は「銀の十字架」ではなく「黄色い意志で水仙の花がひとつ飾り付けられ」た「青銅の指輪」を買い求め、それを「K」に送ったのか。 その「おかへし」に、「K」が「ことし三歳になる」「長女の写真」を送ってきたのはなぜか。 佐々木論、鶴谷論、小林論を紹介し、それぞれの問題点を提示。 1.の解答 十字架→自己犠牲 水仙→自己愛 K→自己を犠牲にして、他者のためになろうとする存在。誰かのために死ぬ存在。(「私」をかばってバス

          「十字架と水仙」藤原耕作(2006)

          『トスカ』について

          今日はブログじゃなくてnoteに投稿してみようかな。 プッチーニのオペラ『トスカ』について。 中でも有名な「歌に生き恋に生き」という曲があるけれど、学生時代に声楽のバックで演奏した思い出があります。たしか、映画『サンローラン』のショーでも使われていた曲。 大学の頃(当時音楽学部)オペラ演習を選択していたので、色々伴奏してきたのです♪ 指揮者の先生がめちゃくちゃ怖くて、毎回大大緊張の恐怖授業だったな~。もう受けたくない~。 で、今度の夏期の通信大学のスクーリングで(今回は文

          『トスカ』について

          慶應通信科目等履修生

          本が好きなら大学で勉強してみれば?と言われ続け、色々考え調べたあげく、慶應通信の科目等履修生になりました。 慶應通信の入学倍率に関しては全く開示されていないので、謎しかありません。本科生も科目等履修生も入試課題として作文が出ます。昔はパスしやすかったようですが、最近は結構落ちるとかなんとか。入学後はレポートに苦しむことになるので、ある程度のものは必要ということでしょうか。 卒業に関しては、2024年3月文学部全体で66名だそうです(慶應通信による)。少なっ!! 私の場合は、

          慶應通信科目等履修生

          カフカのアフォリズムなど

          とある語学の初級クラスの授業で新しい文法の導入が連続で続くとさすがに疲れる。今日は帰ってからしばらく体が動かなかった。 カフカのアフォリズム集をながめてたらいつの間にか寝てしまっていた。 誰か来たみたいだったけど全然気がつかなかった。 ごはん作る気力もお風呂洗う気力も出ない。。。 頑張ってお風呂を沸かして入ったらちょっとだけ元気になった。 ごはんは作る気がしないけれど、、、まあ今日はいいや。 先週はいろいろと勇気を出したりして精神的に疲れたので、なかなか本が集中して読めな

          カフカのアフォリズムなど

          S.T.コウルリッジ詩集

          平野啓一郎の『本心』を読んだきっかけに、コウルリッジの詩集を手に取りました。 『本心』の作中、亡くなる前に読む詩は、コウルリッジの《小夜啼鳥》だと決めていた人物が出てきました。 その人は、本当に死ぬ前に、人生最後に恋をした女性(彼女はVF(ヴァーチャル・フィギア)でした)の前で《小夜啼鳥》を原文で諳んじました。 その場面が印象的でした。 自分が死ぬ前に読みたい「詩」というものを、まだ見つけられません。今後色々な詩、または本に出会って、そういう一文が見つけられればいいなと思

          S.T.コウルリッジ詩集

          【日記】人生はじめてしたこと

          個人的なことなので有料にしてます。

          ¥300

          【日記】人生はじめてしたこと

          ¥300

          『本心』平野啓一郎

          「もう十分なのよ。‥‥‥もう十分。」 母はこう言って自由死を望んだ。「もう十分」とは‥‥‥? ストーリー舞台は2040年。自由死が合法化された近未来の日本。 自由死‥‥‥。映画『PLAN75』を思い出してしまう。 裕福ではないながらも、母と息子で仲良く慎ましやかに生活をしてきた。誰が見たって仲の良い親子であり、母親思いの息子だと評判だった。母は健康だったし、まだ七十前だった。 しかし母は「自由死」を望んだ。それを望む母の本心は分からないままだ。 結局母は自由死をすることな

          『本心』平野啓一郎

          『吹雪物語』坂口安吾

          好きな作家のひとりである坂口安吾の長編小説。これはちょっと長かったな。 1. はじめに安吾の作品はエッセイとか力強いイメージがあるんだけど、この作品は弱さを感じる。それはそれで人間的でいいと思うんだけれど、登場人物の気持ちが行ったり来たりしすぎていて、ずっと彷徨っている。 絶望と虚無と退屈に満ちた観念が目的地にたどり着けぬままウヨウヨ渦巻いているようだ。それは、男女の複雑な気持ちを描いているからなんだろうけれど。おまけに舞台は1930年代の冬の新潟、重苦しい曇天が続く。

          『吹雪物語』坂口安吾