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トルストイの日露戦争論/エピグラフの機械翻訳 第四章分

・「トルストイの日露戦争論」は、各章に多量のエピグラフが付されているが(第十二章を除く)、平民社訳、あるいはその底本となった英訳からは省かれている。
 そのエピグラフ部分を訳してみようという試み。

・タイトルに「機械翻訳」と銘打ったように、機械翻訳によるざっくり訳を想定。ただし、既存の翻訳が特に問題なく引用できそうな場合は、そちらを使用。

・各引用文の最初にある(1)(2)(3)…の番号は、記事作成などの都合上、当方で付したもので、原文にはない。

・その他、原文にない要素を加える場合もある。
 (聖書からの引用の場合、原文に章・節番号がなくても、それを付加する、など。)

・誤訳を見つけた場合、こっそり修正すると思います……。

第四章エピグラフ


(1)
《外交と雑誌のおかげで、最も些細な意見の相違が聖戦に転化することすらあるのは驚くべきことだ。1856年に英仏がロシアに宣戦布告したとき、それはあまりにも取るに足らない事情で起こったので、その原因を理解するのに、外交文書を長いこと渉猟せねばならないほどだった。だが同時に、この奇妙な誤解が招いた結果は、50万の善良な人々の死と50億から60億の出費であった。

本質的には、原因はあったのだが、それらが認められることはなかった。ナポレオン3世は、英国との同盟と幸福な戦争を通じて、犯罪に由来する自らの権力の承認を望み;ロシア人はコンスタンチノープルの奪取を望み;英国人は自らの貿易の威力の承認と、東方におけるロシア人の影響の妨害を望んだのだ。見かけはともあれ、征服と暴力の精神は常に同じである。》

リシェ


(2)
《或る男が川の向うがわに住んでい、また、その男の王が──私とはすこしも争いをしていないが──私の王と争いをしているという理由で、私を殺す権利を持つとは、これほど笑うべきことがあろうか。》

パスカル


【(3) 以下、準備中】


(1)リシェは次の人のようです。

この紹介内容と、今回の引用文はあまり繋がらない感じですが、きっと多才な人だったのでしょう。

引用の文章ですが、仏語版に出典の記載があります。
 (Charles Richet, Les guerres et la paix, p. 16.)

この本はフランス国立図書館の電子図書館“Gallica(ガリカ)” で見られます。
確かに16ページに当該の文章があるのが見て取れます。

(Gallicaについては下の解説を参照してください。)

ここではテキストをOCRによってテキスト化したものも取得できます。

以下に、該当箇所のオリジナルのテキストを貼っておきます。

   C'est merveille de voir à quel point une insignifiante dispute peut, grâce à la diplomatie et aux journaux, se transformer en une guerre sainte. Quand l'Angleterre et la France ont déclaré la guerre à la Russie en 1856, ç'a été pour une raison tellement infime qu'en cherchant dans les archives diplomatiques on arrive à grand-peine à la découvrir. Il faut faire de longues et patientes fouilles dans les vieux cartons pour pénétrer la cause avouée de cette sanglante querelle. La mort de cinq cent mille braves gens, la dépense de cinq à six milliards, voilà les conséquences de cet obscur conflit.
   Au fond pourtant, il y avait des motifs. Mais
combien peu avouables! Napoléon III voulait, par l'alliance anglaise et une guerre heureuse, consolider sa dynastie et son pouvoir de criminelle origine. Les Russes prétendaient envahir Constantinople. Les Anglais voulaient assurer le triomphe
de leur commerce et empêcher la suprématie de la Russie en Orient. Sous une forme ou sous une autre, c'est toujours l'esprit de conquête ou de violence.

さて、この文中で述べられているのは明らかにクリミア戦争のことですが、1856年というのはこの戦争が終わり、パリ講和会議が開催された年に当たりますので(英仏の宣戦布告は1854年)、この箇所は誤りだと思います。

(あと、「偏った解説であることを大前提として、しかし、それなりに参考になる」と個人的に感じた動画を参考までに。いろいろ強引な語りですが、ノリがいいので気軽に見れてしまうのは確か。念のためを重ねますが、この方の解説には、私として賛成できかねる見解も混じっています。)

さらに余談ながら、クリミア戦争には当時まだ20代のトルストイも従軍していて、その時の印象をもとに『セヴァストーポリ』を書いています(一種の連作短編で、各々だいぶ雰囲気の異なる3つの短編が含まれる)。
率直に言って「汝ら悔い改めよ」でのメッセージとはだいぶ方向性が違う作品なのですが、まぁそれはそれです(^_^;)。



(2)出典はパスカルの『パンセ』。あまりに有名なので、くだくだしい説明は抜きにします。

さて、『パンセ』にはいろいろな版があり、それによって断章番号も異なってくるのだとか。
私はあまりそっち方面の難しいことは分かりませんが、とりあえず見つけた本だと「294」番の断章となっています。
(トルストイの引用は、そのごく一部分。)

例によって国会図書館のデジタルコレクションより『パンセ』を。

このページの訳文は、こちらをそのまま採用しました(文字表記を少しだけ変更)。
資料内のページ数だと182-183ページ。

なお、フランス語の元のテキストはというと。電子化された文章がパッと出てきそうなものなのに、なんだかあまり出てきませんでした。なので、やはり“Gallica” で。

当該の文章は217ページ。

引用文のオリジナルテキストは以下のようになっています。

Se peut‑il rien de plus plaisant, qu’un homme ait droit de me tuer parce qu’il demeure au delà de l’eau, et que son prince a querelle contre le mien, quoique je n’en aie aucune avec lui ?