見出し画像

トルストイの日露戦争論/エピグラフの機械翻訳 第二章分

・「トルストイの日露戦争論」は、各章に多量のエピグラフが付されているが(第十二章を除く)、平民社訳、あるいはその底本となった英訳からは省かれている。
 そのエピグラフ部分を訳してみようという試み。

・タイトルに「機械翻訳」と銘打ったように、機械翻訳によるざっくり訳を想定。ただし、既存の翻訳が特に問題なく引用できそうな場合は、そちらを使用。

・各引用文の最初にある(1)(2)(3)…の番号は、記事作成などの都合上、当方で付したもので、原文にはない。

・その他、原文にない要素を加える場合もある。
 (聖書からの引用の場合、原文に章・節番号がなくても、それを付加する、など。)

・誤訳を見つけた場合、こっそり修正すると思います……。

第二章エピグラフ


(1)
《そしてミクロメガスは言った:

─ おお、あなた方、永遠の存在がその業と力を表したところの、知性ある原子よ、あなた方はきっと地球上で純粋な喜びを楽しんでいます。なぜなら、物質的なものはほとんどなく、霊的にとても発達しているので、あなた方は愛と思考の中で人生を過ごすに違いありません、それこそが霊的存在の真の人生だからです。

この演説に対して、哲学者たちはみな首を横に振り、そのうちの一人、最も率直な者は、少数の少し立派な住民を除いて、残りの住民はすべて狂人、悪党、惨めな人間で構成されていると言った。

─ 悪が肉体性から来るのであれば、私たちは必要以上に肉体性を持っているし、悪が霊性から来るのであれば、あまりに霊性を持ちすぎている ─ と彼は言った ─ そう、例えば、まさに今、帽子をかぶった何千もの狂人が、ターバンをかぶった他の何千もの生き物たちを殺し、あるいは殺されようとしている。そして、こうしたことは太古の昔から地球全体で起こっています。

─ 一体何のためにこの小さな生き物たちは争っているのでしょうか?

─ あなたのかかとほどの大きさの、小さな泥のかけらのためです ─ 哲学者は答えた ─ そして、お互いを切り合うような連中は、誰一人としてこの泥のかけらに何らのこともしません。彼らにとっての唯一の問題は、このかけらがスルタンと呼ばれる者のものになるのか、それともカエサルと呼ばれる者のものになるのかということです。といっても、どちらの側もこの土地のかけらを見たことがあるわけではありません。この、互いに切り合う生き物たちですが、彼らが切る生き物のことを、ほとんど誰も、見たことがあるわけではありません。

─ 不幸なことだ ─ シリウス人は叫んだ ─ このような狂乱を想像できるだろうか! 本当に、3歩歩いて、このばかげた殺人者たちの蟻塚ごとつぶしてしまいたい気分だ。

─ わざわざそんなことをする必要はありません ─ と彼らは答えた ─ 彼らは自分たち自身でそれをするでしょう。むしろ、処罰されるべきは彼らではなく、己れの宮殿に座して人々の殺害を指示し、そのことについて厳粛に神に感謝するよう命じた野蛮人たちです。》

ヴォルテール


(2)
《現代の戦争の狂気は、王朝の利益、民族性、ヨーロッパの均衡、名誉によって正当化される。この最後の動機は最も突飛なものである。というのも、あらゆる犯罪や恥ずべき行為で自らを汚したことがない国民は一つもないし、あらゆる種類の屈辱を経験したことのない国民は一つもないからだ。もし国民間に名誉があるとすれば、それを戦争によって、つまり正直者が自らの名誉を傷つけるようなあらゆる犯罪:火付け、強盗、殺人によって、保つというのは、何と奇妙な方法だろう……》

アナトール・フランス


(3)
《軍隊による殺人という野蛮な本能は、何千年もの長きに渡り、かくも注意深く育てられ奨励されてきたため、人間の脳に深く根を下ろしている。しかし我々は、あなた方より優れた人類が、この恐ろしい犯罪から解放されることを願わなければならない。

が、その時、このより良い人類は、私たちがかくも誇りとする、いわゆる洗練された文明についてどう思うだろうか?

我々が古代メキシコの人々とそのカニバリズムについて、同時に好戦的で敬虔で獣的だと考えているのとほぼ同じである。》

ルトゥルノー


(4)
《時として、ある領主が、相手を攻撃していなかったと恐れて、他の領主を攻撃することがあります。時として、敵が強すぎるために戦争が始まることもあれば、時として弱すぎるために始まることもあります; 時として、我々の隣人が我々の所有しているものを欲しがったり、我々に欠乏しているものを所有していることがあります。そのような時は戦争が始まります。彼らが、彼らにとって必要なものを奪取するか、我々にとって必要なものを引き渡すかするまで。》

ジョナサン・スウィフト


以下、第二章本文(平民社訳)。




(1)出典はヴォルテール『ミクロメガス(Micromégas)』第7章の冒頭部分です。これは、超々巨大な宇宙人(シリウス人)と地球人とのコミュニケーションを寓話的に描いた作品……であるようです。

《割り込み的付記:国会図書館デジタルコレクションで「ミクロメガス」を読めることに気がつきました。なにぶん古い訳で、また、見たところ抄訳のようですが、それでも引用箇所がそこそこ含まれています。参考までに。
作品自体は書籍内のページで129ページから。引用箇所にあたるのは149ページから。》

以下に仏語テキストの対応部分を貼っておきます。

CHAPITRE VII.

Conversation avec les hommes.

O atomes intelligents, dans qui l'Etre éternel s'est plu à manifester son adresse et sa puissance, vous devez, sans doute, goûter des joies bien pures sur votre globe; car ayant si peu de matière, et paraissant tout esprit, vous devez passer votre vie à aimer et à penser; c'est la véritable vie des esprits. Je n'ai vu nulle part le vrai bonheur, mais il est ici, sans doute. A ce discours, tous les philosophes secouèrent la tête; et l'un d'eux, plus franc que les autres, avoua de bonne foi que, si l'on en excepte un petit nombre d'habitants fort peu considérés, tout le reste est un assemblage de fous, de méchants, et de malheureux. Nous avons plus de matière qu'il ne nous en faut, dit-il, pour faire beaucoup de mal, si le mal vient de la matière; et trop d'esprit, si le mal vient de l'esprit. Savez-vous bien, par exemple, qu'à l'heure que je vous parle[1], il y a cent mille fous de notre espèce, couverts de chapeaux, qui tuent cent mille autres animaux couverts d'un turban, ou qui sont massacrés par eux, et que, presque par toute la terre, c'est ainsi qu'on en use de temps immémorial? Le Sirien frémit, et demanda quel pouvait être le sujet de ces horribles querelles entre de si chétifs animaux. Il s'agit, dit le philosophe, de quelque tas de boue[2] grand comme votre talon. Ce n'est pas qu'aucun de ces millions d'hommes qui se font égorger prétende un fétu sur ce tas de boue. Il ne s'agit que de savoir s'il appartiendra à un certain homme qu'on nomme Sultan, ou à un autre qu'on nomme, je ne sais pourquoi, César. Ni l'un ni l'autre n'a jamais vu ni ne verra jamais le petit coin de terre dont il s'agit; et presque aucun de ces animaux, qui s'égorgent mutuellement, n'a jamais vu l'animal pour lequel il s'égorge.

[1] Ou a vu, à la fin du chapitre III, que la scène se passait en 1737. Il s'agit ici de la guerre des Turcs et des Russes, de 1736 à 1739. B.

[2] La Crimée, qui toutefois n'a été réunie à la Russie qu'en 1783. B.

Ah! malheureux! s'écria le Sirien avec indignation, peut-on concevoir cet excès de rage forcenée! Il me prend envie de faire trois pas, et d'écraser de trois coups de pied toute cette fourmilière d'assassins ridicules. Ne vous en donnez pas la peine, lui répondit-on; ils travaillent assez à leur ruine. Sachez qu'au bout de dix ans, il ne reste jamais la centième partie de ces misérables; sachez que, quand même ils n'auraient pas tiré l'épée, la faim, la fatigue, ou l'intempérance, les emportent presque tous. D'ailleurs, ce n'est pas eux qu'il faut punir, ce sont ces barbares sédentaires qui du fond de leur cabinet ordonnent, dans le temps de leur digestion, le massacre d'un million d'hommes, et qui ensuite en font remercier Dieu solennellement.

邦訳については、このタイトルでの翻訳書が出ているようですが、岩波文庫にも入っているようです。

(英訳もやはり Project Gutenberg にあることを申し添えます。)


(2)アナトール・フランスは著名な小説家。

仏語版の記載によると、出典は『散歩道の楡の樹』。
(Anatole France, L’Orme du Mail, p. 282-284.)。

ネット上にあった解説によると、ある大学教授の目を通して世紀末のフランス社会を描いた、全4巻からなる「現代史」という連作小説があり、その1作目がこれとのこと。

訳書も複数種あるようですが、どれも絶版のようです。ただ、そのうちの一つは、国会図書館の配信サービスで閲覧できましたので、引用箇所の少し前あたりから、若干の紹介を。
(『遊歩場の楡樹』、小林龍雄訳、昭和15年。)

第15章中の会話より(殺人事件の話題を承けて)。

 文科大学講師は構わず語をついだ。
 ──おまけに、人殺しみたいな極有りふれた行為から、どうして、特別に変った結果などが生れてきましょう。殺すと云うことは動物、とりわけ人間には、ふんだんにあることなんです。人間社会では長い間人殺しは勇敢な行として認められてきたので、私共の制度、風俗の中には今なおこうした昔の評価の名残りが残っているんですよ。
 ──その名残りと云うのは? とドゥ・テルモンドル氏が訊いた。
 ──例えば、軍人の受ける名誉なのです、とベルジュレ氏は答えた。
(中略)
人間の一切の行為は、飢か愛かに基いています。飢は野蛮人に人殺しを教え、彼等に戦争や侵入をさせました。文明人は恰かも猟犬のようなものです。彼等は堕落せる本能に刺戟されて、何の理由も利益もなしに破壊します。不合理極まる近代の戦争は、王統のためとか、民族とか、欧羅巴の均勢とか、名誉とか云う名前に隠れています。が、恐らくこの最後の口実程莫迦げたものもありますまい。何故なら世界中の如何なる国民も、一切の罪悪によって穢され、あらゆる辱めをもって覆われていないものはないのですから。(中略)で、仮りに民衆の中になお一つの名誉が残っていたとしても、それを支える方法──戦争をすると云うのが可笑しいじゃありませんか。戦争をするのは、つまり焼討とか、掠奪とか、強姦とか、虐殺とか、あらゆる罪悪を犯す訳で、それによって各個人は自分の名誉を傷けることになるのです。(以下略)


(3)ルトゥルノー(Летурно)は次の人でしょう(フランスの人類学者)。

仏語版の記載によると、出典は
(Ch. Letourneau, L’Évolution politique dans les diverses races humaines, t. I.)。

検索でぱっと見、524ページあたり?


(4)ジョナサン・スウィフトは『ガリヴァー旅行記』で有名な作家。この引用の出典も『ガリヴァー旅行記』です。
次の明治の訳は古めかしいと言えば古めかしいですが、口語訳なので、案外と読みやすい感じ。(当然ではありますが)トルストイの引用ときれいに一致します。

資料中のページ割で392-393ページ。

第四編 フイーンム国
第五章
《又或国王は他国王が自分に戦争を仕掛るだろうと心配して、此方[こっち]から喧嘩を仕掛たこともあります。或る国が余り強いとか、弱いとか云って戦争することもあります。隣の国では吾々が持って居るものがなく、却って吾々が欲がって居るものを持って居ると云うことから、戦争が始まることもあります。そして彼方[むこう]が此方を取るか、此方が彼方を取って仕舞う迄、戦争を致します。》

なお、青空文庫に入っている『ガリバー旅行記』は抄訳のようで、今回の出典箇所も部分的に拾われているのみでした。

最後にオリジナルの英語テキストを。

PART IV. A VOYAGE TO THE COUNTRY OF THE HOUYHNHNMS.
CHAPTER V.
"Sometimes one prince quarrels with another for fear the other should quarrel with him. Sometimes a war is entered upon, because the enemy is too strong; and sometimes, because he is too weak. Sometimes our neighbours want the things which we have, or have the things which we want, and we both fight, till they take ours, or give us theirs."