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トルストイの日露戦争論/「汝ら悔い改めよ」 第二章

第二章


(本章エピグラフの試訳はこちら

 而して更にその残酷、虚偽、愚妄中に在[あり]て、到底解す可[べか]らざる、有り得可[べ]からざる一事は起れり、何ぞや、

嚮[さ]きに平和の保持を各国民に向[むか]って勧奨する所ありたる露国皇帝其人[そのひと]にして{下註}、而も公言して謂[いえ]らく、己[おの]れ中心平和に眷々[けんけん]として、之が為めに尽力し居れりと雖[いえ]ども(其実[そのじつ]、彼れの尽力なるものは、他人の土地を掴取[かくしゅ]し、且つ其盗奪せる土地を防禦せんが為めに軍備を拡張するものなるは明白なり)今回日本より攻撃せられたるが故に、即ち日本人が先ず露国人に加えし所を以て、反って之を彼等日本人に加う可[べ]き旨を命ぜり、換言すれば彼等日本人を屠殺す可き旨を命ぜりと、而して彼は実に此[この]殺戮の命令を発するに当[あた]りて、上帝を呼んで、神の祝福が斯[かか]る世界の最大罪悪の上に在らんことを祈れる也、而して日本皇帝も亦[また]露国人に対して、同様の宣言を為せる也
 科学者及び法律家(ムラヴイエフ{今日の一般的表記では"ムラヴィヨフ"}及[および]マルテンス諸氏の如き){下註}は、嚮[さき]に各国民に向って万国平和を奨説せしと、今の他人の土地を掴取せんが為に戦争を鼓吹すると、何の矛盾する所なき旨を熱心に證明せんと試み、外交家は又其流麗なる仏語の文書を公表し頒送[ぶんそう]して、専心鋭意以て露国政府が平和の関係を維持するに全力を注げるの後[の]ち、(其実、他の諸国を欺罔[ぎもう]するに全力を注げるの後[のち])遂に問題の合理的解決の唯一手段──即ち人間の殺戮──に帰着するの已むなきに到れることを證明せんことを力[つと]め、(何人も彼等を信ずる者なきは彼等も亦[また]之を了知しながら)日本の外交家も亦実に同一様の文書を作れる也、而して又露国の科学者、歴史家、哲学者等が巧みに過去現在を比較して此等の比較より奥妙[おくみょう]の議論を組織し、国民運動の法則、黄白[こうはく]両人種、仏耶[ぶつや]両教間の関係等を評論して、此等の論據[ろんきょ]より耶蘇教徒が黄人[こうじん]を屠殺することを是認すれば、日本の科学者哲学者も亦同一の方法に依[よっ]て白人を屠殺することを是認す、露国新聞記者が無耻厚顔にも一切万事唯だ露人のみ正しく強く善にして、日本人は尽く邪[じゃ]なり弱[じゃく]なり悪なりと為し、且つ露国人に対して悪感[あくかん]あり若[もし]くばあらんとする者、英人の如き、米人の如きも、皆な尽く悪なる者なることを證明せんと相競うあれば、日本の新聞記者及び其賛成者も亦露国人に対して其反證を挙[あぐ]るに汲々たる也

 其職業たるが為めに殺人の準備を為せる軍人は言うまでもなく、所謂識者と称せらるる人士、例えば大学教授、社会改良家、学士、貴族、実業家の如き人々すらも、昨日[さくじつ]までは日本人、英人、米人に対して好意を有し若くば全く無頓着なりし者、何人にも何物にも促迫[そくはく]せらるることなくして、突如として非常の疾悪[しつあく]侮蔑を現ずると同時に、彼等は一面露国皇帝に対しては、(平生は尤[もっとも]無頓着なりしに拘[かかわ]らず)何等の刺激なくして、忽[たちま]ち阿媚謟佞[あびとうねい]を極め、其無限の愛を挙げ、彼れの利害の為めには、其生命を犠牲として省[かえり]みざらんとす

 一億三千万の人民の上に君臨せる此不幸なる昏迷せる少年{下註}は、断[た]えず他の為めに欺罔され、自家撞着に陥りて、専念に彼の所有と称する軍隊が、彼の所有と称する土地を防禦せんが為めに殺人を為せるを感謝し祝福する也、而して是等兵士は互に醜悪なる聖像を以て相贈る、此聖像や独り教育ある人士の信仰を失えるのみならず、無智なる農夫すらも最早や之を抛棄せんとしつつある者なるに拘らず、彼等は皆な此等の聖像{下註}の前に拝伏して、之に接吻し、何人も信ぜざる虚飾譎詐なる演説を以て送らるるなり

 富豪は此殺人の事業の為めに、若くば殺人の事業と関聯せる組織の為めに、其不正なる財富の少部を寄附す、之と同時に、年々政府より二十億の巨額を誅求せられ居る貧民も、亦之を為さざる可[べか]らずとして、其の小貨幣を献納す、政府は多数遊食の徒を煽動奨励して露帝の肖像を奉じて軍歌を謡[うた]い、万歳を呌[さけ]びて街上[がいじょう]を徘徊せしむるなり、此れ等遊食の徒は実に愛国心の名義の下[もと]に有[あら]ゆる無法を免許せらるるなり、露国全土を通じ、上[かみ]は皇室より下[しも]は辺邑[へんゆう]僻村に至る迄、苟[いやし]くも教会牧師{下註}たる者は自ら基督教徒と称しながら、敵を愛すべきを教えたる神、博愛仁慈を旨とせる神に向って、人類屠戮[とりく]を行うべき悪魔の事業を祐助[ゆうじょ]せられんことを懇祷[こんとう]す

 身に制服を着け、諸種の兇器を携帯して、一種大砲の食料たるべき数万の人類は、祈祷、説教、勧奨、行列、絵画、新聞の為めに昏迷せられて、其両親、妻子に訣別し、心窃[ひそか]に悲傷を抱くも、強[しい]て故[ことさら]らに快活を装[よそお]うて、以て其生命の危険を冒し、曾[かつ]て相知らず、曾て何の恩怨[おんえん]なき人類を殺さんが為めに出発す、而して彼等に従って行く医師及[および]看護婦は、皆な其郷里に在[あり]ては質朴平和なる人民の苦悩を救う能わざるも、唯だ互いに相屠戮[とりく]するの人に向[むか]ては、為に尽[つく]すことを得べしと思惟する也、加之[しかのみならず]郷土に残れる人民は、人類殺戮の報に接するを楽しみ、若し多数の日本人殺さるるを聞く時は、彼等が名[なづ]けて神と称する或物に向って感謝する也

 如此[かくのごとき]の事、総て高尚なる志気の発揚として目せらるるのみならず、若し此発揚に與[く]みせずして、多数の迷妄を解かんと力[つと]むるの人あらんか、彼等は逆賊、裏切人として目せられ、残酷なる暴徒の為めに凌辱され歐打[おうだ]さるるの危険あり、獣力[じゅうりょく]は是等暴徒が其狂暴を維持せんが為めの唯一の武器なれば也


※「嚮きに平和の保持を〜露国皇帝其人にして」……第一章の註でも触れたハーグの平和会議(1899年)は当時のロシア皇帝であるニコライ2世と、彼の外務大臣ミハイル・ムラヴィヨフの首唱で開催されました。そのことを念頭に置いているものかと。
(以下の英文Wikipedia記事内、"Hague Convention of 1899" の項などを参照。)

なお、次の註に出てくるムラヴィヨフ氏は同姓の別人です。

※「科学者及び法律家〜諸氏の如き)」……ここは誤訳っぽい感じです。この箇所の原文を試みに機械翻訳に掛けたところ、次のような文章が得られました。
《学識ある法学者であるムラヴィヨフやマルテンスは、国家に普遍的な平和を呼びかけることと、外国の土地の奪取をめぐって戦争をすることとは矛盾しないことを熱心に証明している。》

トルストイ全集の註釈によると、マルテンス氏は次の人。
(Wikipediaの日本語版には項目が立っていないので、便宜的にロシア語版のページを貼っておきます。必要に応じて機械翻訳に掛ける、あるいは英語など他の言語の版に飛ぶなどしてください。)

また、ムラヴイエフ(ムラヴィヨフ)氏は次の人。

はじめ、ハーグ会議(上の註を参照)を主唱したムラヴィヨフ氏のことかと思ったのですが、違ったようです(時代も少し異なる)。

なお、上記2氏は第五章にも名前が出てきます。

※少年……原文では "молодой человек"。「若い人」「若者」。当時のロシア皇帝ニコライ二世は、この論文の発表時点で36歳。「少年」とか「若者」とかいう年でもないように思われますが……(しかも「当時の」36歳です)。
ここは「お若いから周りのものに言いくるめられている」といった留保をつけて、あまりダイレクトな皇帝批判にならないよう配慮したものか。
あるいは、当時75歳のトルストイからすれば彼はまだ若者(あるいは「若造」)であるとし、「年配者としての知恵」を強調するニュアンスを持たせたものか。
いろいろ考えようはありそうな一節です。

※聖像……ここのみ読みが「せいしょう」

※牧師……ロシアの話であるので、当然正教会が念頭にあるはずですが、正教会においては本来「牧師」の語は使わないようです。では、訳語のチョイスが悪いのかというとそうでもないかもしれません。ひょっとしたら私がよく分かっていないだけかもしれませんが、ここでは「牧師」で良いのかもしれません。
この箇所のロシア語は «пастыри церкви, называющей себя христианской,»
英訳では "the pastors of churches, calling themselves Christians,"
どちらも《自らをクリスチャンと称するところの、教会の牧師 (pastor) たち》ぐらいの感じになっているような。
トルストイが教会から破門されたことは有名ですし、この箇所にしても pastorたちを非難する文脈ですから。何かしらのニュアンスを出すため、あえて正教会の聖職者には普通用いない「牧師」の語を充てた、という可能性もありそうに思うのです。