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トルストイの日露戦争論/エピグラフの機械翻訳 第一章分

・「トルストイの日露戦争論」は、各章に多量のエピグラフが付されているが(第十二章を除く)、平民社訳、あるいはその底本となった英訳からは省かれている。
 そのエピグラフ部分を訳してみようという試み。

・タイトルに「機械翻訳」と銘打ったように、機械翻訳によるざっくり訳を想定。ただし、既存の翻訳が特に問題なく引用できそうな場合は、そちらを使用。

・各引用文の最初にある(1)(2)(3)…の番号は、記事作成などの都合上、当方で付したもので、原文にはない。

・その他、原文にない要素を加える場合もある。
 (聖書からの引用の場合、原文に章・節番号がなくても、それを付加する、など。)

・誤訳を見つけた場合、こっそり修正すると思います……。

《付記》
本編第一章のページ冒頭にも書き入れましたが、エピグラフも含んだ翻訳書が国会図書館のデジタルコレクションに入っているのを遅ればせながら見つけました(^_^;)。

『トルストイ全集 十三』杜翁全集刊行会などに所収の柳田泉訳と(こちらは閲覧にあたり国会図書館のアカウント作成が必要)、

春秋社訳編『平和論集』に所収の訳(訳者不詳)。タイトルはいずれも「悔改めよ」

ただ、この2種は逆に巻頭のエピグラフ(ルカによる福音書の引用)が入っていません。その理由もなんとなく想像がつくのですが、詳述は控えます。

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さて、それで、この一連の記事もどうしたものかなぁと考えるのですが。
見比べてみると、こちらの訳の方が妥当なのではと思われる部分も、無いわけではなく。また、出典などについて細かくご紹介できるのも、こちらのメリットでしょうか。

出典については、ロシア語のトルストイ全集の註釈に大体は記載がありました。
なお、それによると、最初の6章分のエピグラフの大部分は Jean Grave の «Guerre — Militarisme. Bibliotèque documentaire des temps nouveaux». Paris, 1902. から引用されているとのことです。

また、本論文の仏語版にも、引用の出典がかなり細かく載っていることに気づきました。
ジョルジュ・ブールドンの著作 "En écoutant Tolstoï" (「トルストイに訊く」ぐらいの感じか?)に所収の「Ressaisissez-vous ! (La Guerre Russo-japonaise) 」。

こうした資料や、昔の人が夢想もしなかったインターネットの検索力の助けを借りることで、こちらにもそれなりの存在意義が生じるかも!?
そんな次第で、私としても、急がずボチボチと訳を完成させていこうかな、というぐらいの感じで、今のところは考えています。
2023年9月13日

(以下、記事の本文。)



第一章エピグラフ


(1)
《59:2 むしろお前たちの悪が/神とお前たちとの間を隔て/お前たちの罪が神の御顔を隠させ/お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。
59:3 お前たちの手は血で、指は悪によって汚れ/唇は偽りを語り、舌は悪事をつぶやく。
59:4 正しい訴えをする者はなく/真実をもって弁護する者もない。むなしいことを頼みとし、偽って語り/労苦をはらみ、災いを産む。
59:6(後半) 彼らの織物は災いの織物/その手には不法の業がある。
59:7 彼らの足は悪に走り/罪のない者の血を流そうと急ぐ。彼らの計画は災いの計画。破壊と崩壊がその道にある。
59:8 彼らは平和の道を知らず/その歩む道には裁きがない。彼らは自分の道を曲げ/その道を歩む者はだれも平和を知らない。
59:9 それゆえ、正義はわたしたちを遠く離れ/恵みの業はわたしたちに追いつかない。わたしたちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ/輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている。
59:10 盲人のように壁を手探りし/目をもたない人のように手探りする。真昼にも夕暮れ時のようにつまずき/死人のように暗闇に包まれる。》

イザヤ書,59:2-4, 6-10


(2)
《ヨーロッパ諸国は1300億の負債を積み上げており、そのうち約1,100億は1世紀の間に作られたものであること、この途方もない負債の全額が戦費のためだけに作られていること、ヨーロッパ諸国は平時に400万人以上の兵力を保持しており、戦時にはこれを1億1,000万人にまで増やすことができること、予算の3分の2が借金の利子と陸海軍の維持費に飲み込まれていることを思い起こすにとどめよう。》

モリナーリ


(3)
《しかし、戦争はかつてないほど尊重されている。この行いの巧みな芸術家であり、見事な殺人者であるモルトケ氏は、このような奇妙な言葉で平和の代表団に答えた:

─ 戦争は神聖なものであり、神の定めによるものであり、世界の神聖な法則のひとつである。戦争は、あらゆる偉大で高貴な感情を人の中に下支えする:名誉、無欲、美徳、勇気のような;一言で言えば、おぞましい物質主義からの人々の救済である。

かくして、昼も夜も休まず歩き、何も考えず、何も勉強せず、何も学ばず、何も読まず、誰の役にも立たず、不浄の中で腐り、土の中で眠り、牛のように生き、常に呆然とし、都市を略奪し、村を焼き、人々を破滅させ、そして、同じような他の人肉の群れに出会っては、彼に突進し、血の湖を流し、引き裂かれた肉で野を覆い、そして死体の山が大地を覆い、障害を負い、誰の利益にもならずに打ち砕かれ、最後には見知らぬ地で死ぬことになる、40万人の群れに合流する。家にいるあなたの両親、妻、子供たちが飢えで死んでいる一方で。─ これ即ちおぞましい物質主義からの人々の救済だというのだ。》

ギ・ド・モーパッサン


以下、第一章本文(平民社訳)。



(1)旧約聖書「イザヤ書」から59章2節〜10節(途中カットあり)。本文では新共同訳を引用。
なお、下のサイトで「イザヤ書」の該当箇所を読むことができます。


(2)モリナーリは次の人で良さそうです。ベルギーの経済学者。

ブールドンの書籍にある仏語版「悔い改めよ」の記載によると、出典は
(G. de Molinari. Esquisse de l’organisation politique et économique de la société future, p. 35, 36).
この本はフランス国立図書館の電子図書館“Gallica(ガリカ)” で見られます。

(Gallicaについては下の解説を参照してください。)

この先も、フランス語の書籍の引用は多いのですが、これはトルストイがフランス語に堪能だったことを反映しているものと思います。
この本などもそうなのですが、エピグラフの出典の中には、1904年当時、ロシア語の翻訳書が出ていなかったと思われる本も見うけられます。そうした書籍の訳をどうしたのかについては、トルストイ全集の註釈に載っていました(後で余力があれば、こちらにも書き留めるかもしれません)。
また、仏語版「悔い改めよ」において、出典の記載が(少なくとも仏語文献については)詳しいのは、仏語圏の読者のニーズを意識して、ブールドンがしっかり確認をとったということではないかと。直にトルストイに確認したということもありえそうです。

(3)モーパッサンは著名な小説家。トルストイにも評価されていたようです。

なお、引用文中「誰の利益にもならずに」の「ならずに」の部分は、原文では斜体。

出典は以下のもの。
モーパッサン 「戦争」(1883年)

ただし、仏語版には "Sur l'eau" 「水の上」が出典とあります。ある意味それが「正しい」のです。上の文章の解説にありますが、「本文の一部は、1888年発表の『水の上』の中にも取り入れられ」、トルストイもそちらの方で見たのでしょうから。

「水の上」の日本語訳ですが、岩波文庫版が国会図書館デジタルコレクションで読めます。
(吉江喬松訳、1947年)
引用の箇所は書籍内のページ割りで55〜56ページ。

また、仏語版のオリジナルはこちらで見れます。

Cannes, 7 avril, 9 h. du soir. ……のところ。
以下はトルストイの引用の若干手前から。

(Vaines colères, indignation de poète. )La guerre est plus vénérée que jamais.

Un artiste habile en cette partie, un massacreur de génie, M. de Moltke, a répondu un jour, aux délégués de la paix, les étranges paroles que voici :

« La guerre est sainte, d’institution divine ; c’est une des lois sacrées du monde ; elle entretient chez les hommes tous les grands, les nobles sentiments : l’honneur, le désintéressement, la vertu, le courage, et les empêche en un mot de tomber dans le plus hideux matérialisme. »

Ainsi, se réunir en troupeaux de quatre cent mille hommes, marcher jour et nuit sans repos, ne penser à rien ni rien étudier, ni rien apprendre, ne rien lire, n’être utile à personne, pourrir de saleté, coucher dans la fange, vivre comme les brutes dans un hébétement continu, piller les villes, brûler les villages, ruiner les peuples, puis rencontrer une autre agglomération de viande humaine, se ruer dessus, faire des lacs de sang, des plaines de chair pilée mêlée à la terre boueuse et rougie, des monceaux de cadavres, avoir les bras ou les jambes emportés, la cervelle écrabouillée sans profit pour personne, et crever au coin d’un champ, tandis que vos vieux parents, votre femme et vos enfants meurent de faim ; voilà ce qu’on appelle ne pas tomber dans le plus hideux matérialisme.

なお、「水の上」とトルストイについて触れた記事を見つけたので、そちらも貼っておきます。
https://fem-for.ssl-lolipop.jp/roseaux/458/