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トルストイの日露戦争論/「汝ら悔い改めよ」 第一章

《当記事をご覧になる方へ》


(いつものように前置きが長くなっています。さっさと本文に進みたい方は目次から『爾曹悔改めよ』に飛んでください。)

この記事と、それに続く各回では、トルストイの日露戦争反戦論文『汝ら悔い改めよ』の平民社版の訳文を文字起こししています。
「同時代」の人たちに読まれたのは主にこの訳でしたので、歴史的な価値の高い翻訳です。
ただ、今日この論文の内容に興味があって読んでみようとされる方にとっては、むしろ次の書籍(国会図書館がデジタル化したもの)で読まれるのが良いかと思われるので、そちらを先にご案内しておきます。
それも2種類あるのですが……。

(1)
『トルストイ全集 十三』杜翁全集刊行会
……所収の「悔改めよ」。
私の知る限り、これが一番オススメの翻訳です。口語体で比較的読みやすいし、エピグラフ(後述)もしっかり翻訳しているし、訳文としての質もまずまずな感じです。

ただ……上の書籍は国立国会図書館デジタルコレクション「デジタル化資料送信サービス限定公開」の資料です。これは国会図書館のアカウントを作らないと読めません。
言い換えると、アカウントさえ作れば、普通に家のパソコン、スマホ等から読めます。

(アカウントの作成はオンラインで容易にできるようです。私自身は国会図書館で手続きしましたが。
「デジタル化資料送信サービス限定公開」については機会があれば、別途一項を立てて解説したい気はします。)

話を戻しますと、訳者は柳田泉。資料中のページ割で71ページから。
なお、同じ柳田訳を収めた書籍は他にも見つかります。手っ取り早くは、キーワード「ミクロメエガス」で検索すると各種ヒットするかと。

(2)
アカウント作成などの手間要らずで読めるものですと、次のものがあります。
トルストイ著、春秋社訳編『平和論集』
冒頭に所収の「悔改めよ」(訳者不詳)。
上の柳田訳に比べるといささか見劣りする感もありますが、やはり口語訳で、平易な訳文になっているのは悪くないかと。

この関連の詳細については本章末で改めて触れます。

(以下は、この記事の当初の出だし。)


はじめに

トルストイの「汝ら悔い改めよ」(いわゆる「トルストイの日露戦争論」)を久しぶりにじっくり読み返したくなりました。単に読み返すだけでなく、写経よろしく自分で書き留めるのも良いかなという気になりました。どうせ書き留めるのなら、少々の註釈めいたものを付してネットに上げるのも悪くないように思われました。
(元の本もデジタル化はされていますが、テキストではないから、取り扱いづらい憾みがあります。)

元がそういうものですので、もちろん厳密な校訂を経たりはしていません。
あくまでも参考用です。

凡例みたいなものは、気が向いたら追々追加するかもしれません。(→こちらに書きました)

とりあえず、

◎元にしたのが国会図書館のデジタルライブラリにある次の本であること(幸徳秋水、堺利彦/枯川による平民社版の訳書。率直に言って、古文調だから大変読みづらいです)。

◎原文もネットで読めること。

露文 "Одумайтесь!"

・まず挙げるべきはトルストイ全集版でしょう。ネットで無料で公開されており、pdfなどでダウンロードできるほか、テキスト版も用意されています。
……ということはつまり、オンライン翻訳しながら読むことも容易だということです。
そこで、まずは本論文「も」掲載されているテキスト版(全集の36巻)への直リンクを。複数作品が収載されているので、不便な面もあるとは思いますが。

全集全体については次のページで。ずらっと一覧が並びますが、上にも書きましたように「汝ら悔い改めよ」は36巻。上に掲げたテキスト版だけでなく、pdfなどの形でもダウンロード可能。書籍形態の場合、本編が100ページから、解説と註が同604ページからです(文書中のページ割りで)。

・次のサイトは、「汝ら悔い改めよ」が冒頭にある上、異稿や解説も一まとまりに載っていて便利。論文全文をお読みになって、なお余力のある方は、機械翻訳を使ってでも、一度目を通されることをお勧めします(全部、上記トルストイ全集のコピーデータと思われる)。
ただ、同じエピグラフを2度繰り返すとか、原註部分が抜けているとか、変な不備もありますが……。
一番上に「クッキーの利用を承認するか」的な注意が表示されますが、無視しても問題なく読める感じです。他作品も並んでいますが、たまたま1つ目が「汝ら悔い改めよ」になったということのよう。

・次のものは1917年(つまりロシアで2つの革命があった年)に発行の古書のスキャン。トルストイ全集掲載の文章とは構成などに少し差異があり、興味深いです。

・次のサイトは、当初このサイトの参考にしていたもの。もっと良いサイトがあったので差し替えましたが、一種の記念として。


英文 "Bethink Yourselves!" 。訳者はウラジーミル・チェルトコフ

(↓次のサイトのテキストは一番最後の部分が欠けた「尻切れトンボ」状態なのですが、便利なので一応。もっと良いサイトがあったら差し替えます。)

(↑中ほど "Full view" をクリックすると書籍のスキャンデータが見られます。)
(↓参考までにこんなのも。多分、当時の雑誌か何か。Download でpdfダウンロード可能。利用条件に同意の必要あり。https://www.jstor.org/stable/25752379 )
(また、この文章を書いている時点ではキンドルで英語版が無料でした。)

◎本論文は最初、日露戦争中の1904年6月27日づけロンドン・タイムズに英訳版が掲載され、それが世界的な話題となった(らしい)こと。

◎文中の読みがなは「自分が読みやすい」を唯一の基準として、原則《原文ママ》で付けたこと(間違いが疑われる場合でも)。また、仮名遣いは新仮名遣い、漢字は新字体に直したこと。

……を記しておきます。

タイトル(原題)の "Одумайтесь!" は одуматься の丁寧な命令形で、本来は「考え直しなさい!」くらいの意味だと思います。
本論文では第六章に聖書の引用としてこの言葉が登場し、それが議論の核心ともなっています(タイトルも明らかにそこから採られている)。
なので日本語のタイトルも聖書の当該箇所の訳文にあわせ『爾曹悔改めよ』(なんじらくいあらためよ)としたのでしょう。
(第六章と、その註釈もご参照下さい。)

それは良いとして、しかしこの表記はさすがに古めかしすぎるように思うので、本稿のタイトルなどでは、勝手ながら『汝ら悔い改めよ』という表記に変えることにしました。

一見して分かることですが露文版は各章冒頭に付されるエピグラフがすごく多いです。平民社訳も、その元になった英語訳も、その部分は基本的にカットしています。

(第一章分エピグラフの試訳はこちら



* * * * * * * * * * * * * * * * *

『爾曹悔改めよ』

[なんじらくいあらためよ]

(日本での通称:トルストイの日露戦争論)


今は爾曹[なんじら]の時、且つ黒暗の勢いなり
(路加[ルカ]伝第二十二章第五十三節){下註}

第一章

 戦争は又もや起れり、何人[なんぴと]にも無用無益なる疾苦此[ここ]に再[ふたた]びし、譎詐[きっさ]此に再びし、而して人類一般の愚妄残忍亦[また]茲[ここ]に再びす

 見よ天涯地角[ちかく]数千哩[まいる/マイル]を隔てし人類、而も其[その]人類の数十万人(一方は一切殺生禁断を旨とする仏教徒、一方は四海兄弟[けいてい]と愛とを公言せる基督教徒)は、今や極めて猛悪なる方法を以て、互いに残害殺戮を逞[たくま]しくせんが為[た]めに、陸に海に野獣の如く相逐[お]いつつあり、

嗚呼是れ何事ぞや、是れ夢なる乎[か]将[は]た真なる乎、是れ実に在らしむ可[べ]らざる事、在り得可[べか]らざるの事にあらずや、人は其[その]夢なるを信じて速かに醒め来[きた]らんことを希[ねが]う

 然れどもあらず、开[そ]は夢にあらず、开[そ]は恐るべき事実なり!

 想[おも]うに彼[か]の貧困無智蒙昧なる日本農夫が、其[その]田園より引離されて、仏教の本義は決して一切衆生を哀憫[あいびん]するに在らずして、唯だ其偶像に犠牲を供するに存[そん]ずと教えられ、又露国ツーラ{今日の一般的表記では"トゥーラ"。下註}若[もし]くばニズニ、ノブゴロツド{同、"ニジニ・ノヴゴロド"}地方より来[きた]れる同じく貧困無教育なる人民が、基督教の本義は唯だ基督、聖母、諸聖賢、諸聖像を礼拝するに在りと教えられしが如きは、世人の了解するに難からざる所也[ところなり]、而して更に此等[これら]不幸の人民が、数百年の間に受けたる暴虐と欺瞞との為に、人類同胞の殺戮てふ[ちょう/という]世界の最大罪悪をも、一個の徳行として承認するに至り、遂に此等の恐るべき悪事を犯して、而も自ら罪あるを悟らざるに至れるが如きも、亦[また]世人の了解するに難からざる所也
 但[た]だ怪しむ、彼[か]の所謂[いわゆる]識者てふ人々にして、而[しか]も如何にして能く戦争を唱道し、助成し之[これ]に参與[さんよ]するのみならず、甚[はなはだ]しきは即ち自家[じか]は戦争の危険を冒すことなくして、徒[いたずら]に他を煽揚[せんよう]するに力[つと]め、其不幸蒙昧なる同胞兄弟[きょうだい]を戦塲に送遣するに忍び得[う]る乎、夫[そ]れ是等[これら]識者は、必[かならず]しも基督教の法則と言わず(彼等自身は、基督教徒たるを承認せるも)唯だ一般戦争の残酷、無益、無意味に就[つい]て既に書[かか]れたる、現に書れつつある、既に語られたる現に語られつつある所の者を無視することを得じ、彼等が識者として目せらるる所以は、実に之[これ]を是[こ]れ熟知するを以[もっ]ての故のみ、否な彼等の多数は実に彼等自身之[これ]を書[しょ]し若[もし]くば之を語れる也[なり]、彼[か]の全世界の称賛を博せし海牙[へーぐ/ヘーグ]会議{今日の一般的表記では"ハーグ会議"。下註}や、其他仲裁裁判に依[よっ]て国際的葛藤の解決せられ得べきことを弁説せる一切の書籍、小冊子、新聞雑誌、演説を引照する迄[まで]もなく、苟[いやし]くも一個の識者にして、諸国武備の競争が、必ずや延[ひい]て無限の戦争となる乎、若くは一般の破産となる乎、或[あるい]は二者の並至[へいし]を免[まぬ]かれざるを知らざる筈なし、彼[か]の戦争の準備の為めに、人間労働の結果たる数十億留[るーぶる/ルーブル]の財貨が、無意味、無目的に濫費せらるるのみならず更に戦時に於[おい]ては、数百万の強健なる壮丁[そうてい]が、其生涯中最も生産的労働に適せる時期に於て、無残に殺戮せらるるものなることは識者之を知らざる筈なし、(十九世紀中の戦争は実に一千四百万人を殺せり)、又戦争の起因が常に一人[にん]の生命をも抛[なげう]つ程の価値[かちょく]ある者にあらず、否な其要する費用の百分の一だも値いせざる者なることは、識者之を知らざる筈なし(黒奴解放の戦争に要せし所は、彼等を賠償して自由と為し得べき費用よりも、遙かに多額なりき)
 就中[なかんずく]、戦争が極めて陋劣[ろうれつ]なる獣慾[じゅうよく]を催進[さいしん]して、人をして殺伐残忍ならしむるは、万人の知れる所なり、知らざる能わざる所なり、彼[か]の戦争を賛する者、ドマーストル{今日の一般的表記では"ド・メーストル"。下註}、モルトケ{下註}其他の人々は、或[あるい]は如何なる人間の禍難中にも、之に伴う利福を発見し得べしとの詭弁を弄し、或は戦争は従来常に存在したるが故に、今後も常に存在せざる可[べか]らずと牽強し、恰[あたか]も人間の不正の行為も、其実現せる利益若[もし]くば有用に依りて、若くば其長日月間[ちょうじつげつかん]行い来れりてふ考慮に依りて、是認せられ得べきかの如く独断せるは、其論據[ろんきょ]の薄弱なる、亦[ま]た万人の知る所なり、而して彼の所謂識者も亦[また]皆[み]な之を知らざるはなし、然るに戦争俄[にわ]かに起[おこ]るに及んでや、彼等は直ちに之を忘却し尽して、昨日[さくじつ]戦争の猛悪、無用、無意味を説けるの同一人[にん]にして、今は可及的多数の人類を殺戮し、可及的多額なる人間労働の生産物を暴殄[ぼうてん]し破壊し、而して平和、無害、勤勉なる人民の間[あいだ]に可及的甚[はなはだ]しき憎悪[そうあく]の念を煽起[せんき]せんことをのみ思考し、口にし、筆にするなり、然り此等[これら]曲学の識者は、実に人民の労働に依りて其衣食を得、生活を支えながら、却って彼等人民を強[しい]て、其良心、安寧、若くば信仰に背きて、這箇[しゅこ]の暴挙を敢てせしむる者也


《本章註釈の前に、春秋社訳のことなど》

今回の一連の記事は、最初にも書きましたように、夏の暑さで失調気味の私の心に「写経めいた」気持ちが起こって、始めたものでした。平民社訳の晦渋な文語文は、そういう気分にはよく「ハマり」ました。

ただ、そうは言っても、やはり今日の我々に文語文は読みづらく。また、同訳は英訳からの重訳であり、さらに各章につくエピグラフがカットされているというような問題もあり。
文字起こししたから読んでみて、と、この論文に興味がありそうな人に気軽に勧められるようなものでないことについては、遺憾に感じていました。

※エピグラフ……小説などで、巻頭や各章の頭などにつけられて、作品内容を暗示したりする引用文。今風に言うなら「フレーバーテキスト」の類。
有名なのですと『カラマーゾフの兄弟』巻頭にある聖書の引用「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」など。

とは言え、「口語,元のロシア語からの翻訳,エピグラフ付き」の訳書があるというような話はこれまで聞いたことがなく。きっとそうしたものは存在しないのだろうと(勝手に)思っていました。
ところが、探してみたら、そういう訳書もちゃんとあったのです。気づいたのは平民社訳の文字起こし後のことですが(^_^;)。
それが冒頭でご紹介した、2種の訳です。

(全くの余談ですが。今、トルストイの日露戦争論の「現代文」版と謳った書籍も市販となっています。ただこれは、平民社の文語訳を口語に「再翻訳」しただけの本です。もっとしっかりした訳がネットで簡単に読める今、この本をあえて選ぶ理由はないだろうと思います。)

(※注……この先は、文章の加除の都合で、春秋社訳のみに触れています。最初に掲げましたように、杜翁全集刊行会の訳のほうがずっとオススメですが、その詳細についての加筆は今後の課題です)

春秋社のトルストイ全集については、同社の「小史」に興味深い話が載っていました。

『平和論集』は、先にトルストイ全集に収められた論文のうちから、テーマに沿ったものをピックアップして作った本であろうと思われます(未確認ですが)。

さて、私がざっと目を通した限りの春秋社訳「悔改めよ」の印象ですが。
まず利点としては、上に書きましたように

・明らかにロシア語から直接訳している。
・口語訳
・エピグラフもほぼ完訳(なぜか9章だけはカット。なお、これについては当方の試訳をご覧いただけます。)

それ以外では(欠点も、そうでない点も含め)、

・残念ながら、検閲によると見られるカット(伏せ字など)がところどころ見られる。(ただ、論旨が不明になるほどではない。)

・エピグラフと本文の別について、見た目上(印刷上)、全く差がつけられていない。知らずに読むと意味不明という感じになるかも。

・訳文の文体は、基本的にあっさり目。平民社訳と比べると、その差は顕著。ただ、これは訳文づくりのテイストの差であって、どちらかが間違っているというような話ではない(言い換えると、平民社版はなるべく強めの言葉で訳すようなところがある)。

・ただし。「あっさり目」までは良いのだが、あっさり過ぎて、言葉をところどころ飛ばしてしまうような傾向も見受けられるような? また、素人目にも、あまり正しく訳せていない部分が散見されるように思う。

・あえて言えば訳者は「当代一流」と言えるほどの人ではなかったようだなぁと(訳者のお名前は、少なくともこの本からは不明)。

とりあえず、こんな感じです。しかし、上記の問題点はいずれも、論旨を掴む上で大きな妨げとなるほどのものではありません。

ちなみに、伏せ字等の部分は確認してみると、ロシア皇帝批判の部分が多いようです。相手が日本だろうがロシアだろうが、帝室を批判するような文言はそもそも危険である、と、そんな判断基準があったものかと想像されます。

(春秋社訳の紹介終わり)

*******

話を戻しまして……。
この論文に触れてみようと思う方は、まず(1)(2)どちらかでお読みになるのが良いと思います。
その上で、他の訳文はどうなっているか気になるようでしたら、当サイトの平民社訳と見比べてみるのはどうかと(笑)。平民社訳の文体にも独特の魅力がありますし、また、この論文を日本に伝えたという歴史的意義の上でも重要な訳業です。

(以下、第一章分の註釈)


※エピグラフ関連……
最初に記載のとおり、平民社訳では各章冒頭に付されているエピグラフはばっさりカットされています。
(余力があれば、これは後で別途、機械翻訳した文章を参考に掲載しようと考えてはいます。)
ただ、論文全体のエピグラフだけは翻訳されています。
『ルカによる福音書』22:53 (の後半)。《今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。》(新共同訳)

これはイエスが捕縛される際にイエスが発した言葉です。「今や闇の時が訪れた」というような感じでしょうか。
クリスチャンならここだけ聞けばシチュエーション(トルストイの言わんとすること)がパッと分かるのでしょうが、そうでない大方の日本人の方は、その前後も含めて確認されると良いでしょう。
下に、新共同訳を載せているサイトへのリンクを貼っておきます。


※トゥーラ……トルストイの居所としてよく知られるヤースナヤ・ポリャーナはトゥーラの近郊。当然、トルストイにとって馴染みがあったことから、パッと名前が出てきたものでしょうか。その後に名前があがるニジニ・ノヴゴロドについては、特段の理由があるのかないのか分かりません。

※海牙会議(ハーグ会議)……以下のサイトの解説にあるうち、1899年の会議のことを指しているものと思われます。

この中に「常設仲裁裁判所」についても解説があります。

『第1回会議において、参加諸国は国際紛争の平和的処理に関する条約を締結し、ハーグに国際的な仲裁裁判所として常設仲裁裁判所(Permanent Court of Arbitration)を設立することで合意した。これは世界最初の国際的な司法機関で(中略)1901年10月に発足したが、実際の運用での困難なケースが多く、具体的な機能を発揮することはなかった。』

なお、同会議については第二章の註も参照のこと。


※ドマーストル(ド・メーストル / Де-Местр)……以下の人のことではないかと思料します。

なお、この人のWikipedia 記事のロシア語版には、以下のような記述が見られますが……

Также в главе «О насильственном уничтожении человеческого вида» де Местр апологетизирует войну как неизбежный фактор прогресса, очищающий народы от бесполезных элементов.

また、「人類種の暴力的破壊について」の章でも、ド・メーストルは、戦争は国家から無用な要素を一掃する進歩の避けられない要素であると擁護している。(機械翻訳)

ただ、この人はトルストイの「戦争と平和」(4巻3章19)にも名前が出てくるほか、いろいろな影響があったようだというような文言もあり……

В-четвертых, бессмысленно было желание взять в плен императора, королей, герцогов — людей, плен которых в высшей степени затруднил бы действия русских, как то признавали самые искусные дипломаты того времени (J. Maistre и другие).

第四に、当時最も有能な外交官(J. Maistreら)が認めたように、皇帝、国王、公爵、つまり捕虜になればロシア側の行動が非常に複雑になる人々を捕らえようとするのは無意味だった。(機械翻訳)

この人については、トルストイ的に複雑なものがあったのかもしれません。


※モルトケ……有名な「大モルトケ」のことかと。

本章のエピグラフには、モルトケの発言を批判するモーパッサンの文章(『水の上』による)が引用されています。

トップ画像は以下のフリー素材を使用。1905年のトルストイの写真とのこと。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ясная_Поляна._Портрет_Льва_Толстого_1905г_Любошец_I5boVKmc5fk.jpg