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トルストイの日露戦争論/補足・凡例その他

トルストイの日露戦争論/補足・凡例その他

(現時点ではまだ想定する「完成形」には遠いのですが、「場所取り」等の兼ね合いもありまして、ひとまず不完全な形でUPします。)

ここで、凡例的なことを、とりあえずつらつらと書き出してみます。

・本文の表記等は、底本を元に、原則「原文ママ」としました。

・フリガナは[ ]を用い、当該の漢字の後に付しました。註釈については本文中に{下註}と入れ、章末にまとめて記載する形にしました。ただ、その場に書けば足りる程度のものについては、そのようにしました。

・漢字は新字体に改め、またいわゆる「歴史的仮名遣い」も現代的な仮名遣いに改めるようにしました。ただし「送り仮名の今日的なルール」(どこからを送り仮名とするか)には従わず、原文に合わせています。

・漢字についてもう少し補足すると、「旧字体」と「新字体」にお定まりの対応がある場合には新字体に直しました。一方、そういうところから少し外れた「異体字」的な字体で書かれている場合には、今日一般的な新字体の字には直さず、なるべくそのままの字を使うことにしました。
 (そういう方針が良いか悪いかについては、異論も大いにあろうかとは思います。)
 ただ、プロのやっていることではないので、上の方針がしっかりできているかといえば、心許ない部分が多々あろうと思います。

・底本は、大元にあたる平民新聞を使うのが一番かもしれませんが、初回にも触れたように、あくまで以下のものに準拠しました。

・ただ、段落割については、ロシア語テキスト版を参考にし、それに沿って(本来の平民社訳にはない)段落区切りを多く挿入しました。
 (この方針についても、大いに異論はあろうかと思います。)
 そのロシア語テキスト版の段落区切りですが、一体どういうところから出てきたのか、よく分かりません。トルストイ全集とかには見られない段落区切りが多数入っています。
 ただ、明らかに内容に沿った段落分けになっているので、ド素人が勝手に入れたという感じにも見えません。
 何にせよ、古めかしい文章がベタ打ちになっているのはキツイと感じたので、利用できるもの(段落区切り)は利用しようと思った次第です。

・漢字のフリガナについて。底本を見ていただければ分かりますが、ほぼ全ての漢字にルビが振ってあるような感じです。
 今回の「写経」で、それを全部反映しようなどとは、全く考えませんでした。
これについては「自分にとっての読みやすさ」を基本方針にしたのは、初回に書いたとおりです。

・(続き)大まかに言えば、「自分が難読だと感じたルビ」「複数の読みが考えられそうなので、まごつかないようにするためのルビ」はなるべく拾いました。
 さらに「何らかの点で私の注意を引いたルビ」も拾うようにしました。

・(続き)そもそも本訳は『翻訳の苦心』にもあるように2人がかりで突貫工事的になされた翻訳だということです。
 そのためなのか、あるいは明治の書籍では一般的な話なのか、私には分かりませんが、よく見ていくと、漢字の使い方、送り仮名やルビの振り方にあまり統一感が見られません。何か意図があって使い分けているという様子でもないのです。
 文中によく出てくる例として:【彼[か]れ、彼、彼[かれ]れ】あるいは【為[た]め、為、為[ため]め】など。
 上の例の3つ目などはいずれも誤りなのだろうと思うのですが、とにかく「原文ママ」としました。これはまた「何らかの点で私の注意を引いたルビ」にも当てはまるので、この種のものは気づいたらなるべく拾いました。

・(続き)今日一般的な読みとは異なる漢字の読みになっている場合もしばしば見受けられます。
 「当時はこう書いていた/こう読んでいたのだろうな」とすんなり納得できるものもありますが、ただの間違いではないかと思われるものもあります。が、やはり「原文ママ」とし、またルビを拾うようにしました。

・(続き)結果として「変なルビ」ばかり「晒しあげる」みたいな雰囲気が出てしまったかもしれません。その点は先人にお詫びしたいような気持ちになります。
 いずれにしても、上に書いたようにルビは膨大にありますし、判読しづらいようなものもあったりしますので。
 拾ったり拾わなかったりについては、あくまで「たまたま目に入った/気づいた範囲で」「個人的・恣意的判断に基づき、これは拾おうと思ったもののみ拾った」ということです。

{・今後対応が必要かもしれない件について補足:ルビの中で「え」「は」などの音を変体仮名(それぞれ一見「ね」「そ」に似て見える)で表記している部分が、どうもあるようです。文字起こしの際、それを誤って「ね」などとした箇所がありそうです。いずれ確認し、誤りがあれば修正したいと思います。なお、こうした変体仮名の出現は基本的にルビのみで、メインの文章にはほぼ使われていないようです。

{・同じく補足。底本としたデジタル書籍について、なにやら手書きで書き込みされていたらしいところが散見されます。そして、それに関連するかも、なのですが。文中に現れるカッコが、どうも活字ではなく手で書き足したもののように見える部分があります。そう見えるというだけで本来のものなのか、ヌケが多かったので、誰かが補ったものか。きちんと確認することは難しいでしょうが、今後の課題としたいと想います(「修正」を行うべきか、なども含めて)。}

・今回の「写経」。原文や英訳と照らし合わせて、何がしかの(我ながら結構細かい)考察、註釈を試みた部分がありますが。原則的には露文・英文と見比べるようなことはしていません。
平民社訳では意味が取りづらく思ったとか、固有名詞の元表記がどうなっているか確認したかったとか、そうした特段の事情があったときにのみ、元にあたったという感じです。平民社の訳文の全般的な妥当性などは未確認であることを、ここに強調しておきたいと思います。

・本文の利用については、もちろんフリーです。ただし、できれば底本と照らしあわせて、正しい文字起こしになっているか確認の上、使っていただきたいとは思います。
 私がつけた註釈などについては、全くのフリーとは言いませんが、ごく普通の学術的引用とか、その種のものでしたら、「常識の範囲内でご自由に」といった感じです。



平民社訳の前書き

平民社訳ではトルストイの本文の前に簡単な紹介文が付されています。
以下にそれを文字起こししたものを掲載します。

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日露戦争論

トルストイ伯著
平民社訳

トルストイ翁が、日露戦争に関して、去[さる]六月二十七日の倫敦[ろんどん/ロンドン]タイムス紙上に約十欄を填[うず]むるの長論文を公けにせり、との電報は、世界万国を刮目せしめ、皆な鶴首して其論旨如何を知らんと要せり、今や吾人其全文を接手[せっしゅ]して之を読むに、其平和主義博愛主義の立脚地より一般戦争の罪悪と惨害[ざんがい]とを説き、延[ひい]て露国を痛罵し日本を排撃する處[ところ]、筆鋒鋭利、論旨生動[せいどう]、勢い当る可[べか]らず真に近時の大作[だいさく]雄篇にして、一代の人心を警醒[けいせい]するに足る者あり、即ち匇忙禿筆[そうぼうとくひつ]を駆[かっ]て此に其全文を訳し広く江湖に薦む、但だ吾人の不才[ふさい]加うるに原文の一字一句を脱せざるを力[つと]めたるが為めに、筆端窘束[ひったんきゅうそく]、金玉[きんぎょく]を化して瓦礫となすを憾むのみ、



トルストイからの英文返信

先に「途中休憩」の回で(『丸善百年史』『早稲田大学百年史』を引く形で)、トルストイと安部磯雄の文通のエピソードについて少し触れました。
(私は知らなかったのですが^_^;)このトルストイからの返信レターはとても有名なものなのだそうです。
『早稲田大学百年史』にオリジナルの英文が掲載されています。転載に問題があろうとは思えないので、以下にコピペで置いておきます。

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トルストイの安部磯雄あて英文返信レター

23/5 October 1904.     
Toula, Yasnaya Poliana.

Dear friend Iso Abe,
   It was a great pleasure for me to receive your letter and your paper, with the English article. I thank you heartily for both.
   Though I never doubted that there are in Japan a great many reasonable, moral and religious men, who are opposed to the horrible crime of war, which is now perpetrated by both betrayed and stupefied nations, ―I was very glad to get the proof of it.
   It is a great joy for me to know that I have friends and co-workers in Japan, with which I can be in friendly intercourse.
   Wishing to be quite sincere with you, as I wish to be with every esteemed friend, I must tell you, that I do not approve of socialism and am sorry to know that the most spiritually advanced part of your ―so clever and energetic― people has taken from Europe the very feeble, illusory and fallacious theory of socialism, which in Europe is beginning to be abandoned.
   Socialism has for its aim the satisfaction of the meanest part of human nature: his material well-being, and by the means it proposes, can never attain them.
   The true well-being of humanity is spiritual i.e. moral and includes the material well-being. And this higher goal can be attained only by religious i.e. moral perfection of all the units, which compose nations and humanity.
   By religion I understand the reasonable belief in a (general for all humanity) law of God, which practically is exposed in the precept of loving every man and doing to every body what one wishes to be done to you.
   I know that this method seems to be less expedient than socialism and other frail theories, but it is the sole true one. And all the efforts we make in trying to realise false ―and not reaching their aims― theories only hinder us to employ the sole true means to attain the degree of happiness of mankind and of every individual which is proper to our times.
   Excuse me for the liberty I take to discuss your creed, and for my bad English and believe me to be your true friend.

Leo Tolstoy.

   I will be always glad to have news from you.

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そもそもこのメッセージが書かれれるきっかけとなった安部磯雄のレターについては、『早稲田大学百年史』に(和訳が)引用の形で載っています。

また、上記のトルストイの英文について、和訳も(当然ながら?)なされています。
ちくま文庫『文読む月日』に掲載されているようなのですが、これは上中下の3巻本のようで、具体的にどの巻に載っているのかは未確認です。

ただ、次のブログに引用があったので、とりあえずご紹介しておきます。

(少々意訳的? 気が向いたら後ほど私訳をここに載せるかもしれません。)

また、さらに、次の文書も広い意味で「関連」と言えるかもしれないので、合わせてご紹介しておきます。

『露国社会党に与ふる書』 (『平民新聞』社説・1904.3)

(抜粋? なお、検索では『与露国社会党書』(與露國社會黨書)の表記も見られます。)