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トルストイの日露戦争論・途中休憩

トルストイの本論文(爾曹悔改めよ/汝ら悔い改めよ)は全12章。ここまででようやくその半分に辿り着いたことになります。

書き写していて、もうだいぶヘロヘロなのですが。
果たして私は本当に最後まで辿り着けるのでしょうか(^_^;)。
しかも、腹案としては、平民社訳の「写経」が終わったら、次は各章ごとのエピグラフを──機械翻訳の使用は大前提であるにせよ──とにかく訳出掲載しようというのがありまして。
それを思えばいよいよ前途多難です。


さて、今回は本論文に関する各種関連文献(エッセイなど)をご紹介します。
今日、トルストイ論文はどちらかというと「忘れられた」文献になっている気がしますが、当時、少なくとも知識階級の人々には、結構なインパクトを与えたようです。
そのため、関連の文章などもいろいろ存在します。

普通なら、論文を全部掲出した後、末尾に「参考」として載せたりするのでしょうが、そこまで行くか、我ながらはなはだ疑問ですので。
今回は「箸休め」「途中休憩」的にそれらの文献をご紹介します。


まず。

『トルストイ翁の非戦論を評す』

トルストイ論文に対する平民社の見解を述べたもの。今回底本とした書籍にも収められています。
ただ、幸いにもこちらはテキストとして既にネットにUPされていますので、単にそれをご紹介するだけで済むのはありがたいことです。
(注:というつもりでしたが、結局別に1ページ立てました。)

(↑複数の論考が並んでいますが、標記の文章は一番最後にあります。)

なお、平民新聞の記事としては、
・明治37年8月7日
1~6面「トルストイ翁の日露戦争論」
・明治37年8月14日
1面「トルストイ翁の非戦論を評す」
2面「ト翁と日本の論壇」
・明治37年8月21日
3面「ト翁日露戦争論の勢力」
 ……という流れだったそうです。

「ト翁と日本の論壇」「ト翁日露戦争論の勢力」については私は未見です。

『トルストイ翁論文』 石川啄木

トルストイの論文と、上記の平民社の見解を読んだ時の印象・感想、さらに当時の世相などを、後になって綴ったもの。

「實際當時の日本論客の意見は、平民新聞記者の笑つた如く、何れも皆『非戰論は露西亞には適切だが、日本には宜しくない。』といふ事に歸着したのである。」

「予はただ翁のこの論に對して、今も猶『偉い、然し行はれない。』といふ外はない。但しそれは、八年前とは全く違つた意味に於てである。」
……等。

なお、この文章の結びに「この論文を書いた時、翁は七十七歳であつた。」とあるのですが、トルストイは1828年9月生まれなので1904年の6月時点で75歳のはず。77歳というのは、当時の「数え年」によるカウントか。


『翻訳の苦心』 幸徳秋水

タイトルどおり、翻訳の苦労話などを綴ったものですが、その中でトルストイ論文の話もでてきます。

「然るに翌年の夏、倫敦タイムスにトルストイの日露戦争論が出たとのルーター電報は世界を驚かした」

「斯くて予も枯川も未だ全文を通読しないで、中間を抜ては其先きを訳するのは、随分無鉄砲な方法であつた、而も三日間、殆と徹夜した為めに其疲労は甚しかつた」
……等。



『丸善百年史』第二編

https://www.maruzen-publishing.co.jp/contents/100nenshi/index2.html
(↑なぜかきれいに貼り付けられないので、URLの形で掲げることにします。)

本資料の「第十章 日露戦争」の「4. 」に当時の興味深い話が見られます。
(上のサイトからpdfをダウンロードできます。)


さて、上の『丸善百年史』に、トルストイと安部磯雄の文通のエピソードの紹介がありますが。
これについては『早稲田大学百年史』に、ちょうどピッタリ相互補完になるような記載がありました。以下をご参照ください。

『早稲田大学百年史』
第二巻 第四編 第七章(だと思います)
三 平民社と早稲田の教授・学生

https://chronicle100.waseda.jp/index.php?第二巻/第四編 第七章
(↑これまたきれいに貼り付けられないので、URLの形で掲げることにします。)

各節の頭にある「ページ画像 >」の表示をクリックすると、書籍の形でビューワー表示されます。その方が見やすいかもしれません。


少し変わり種な「関連文献」として。

『藤野先生』 魯迅

(中国語版)

これは魯迅が日本留学時代について回想した自伝的な作品ですが。「汝悔い改めよ」の語が、奇妙ないきさつで魯迅に(少し)関わってきます。
どのような関わりだったかは、ぜひご自身でご確認ください。

さらにまた、『藤野先生』を元ネタ(?)として太宰治が『惜別』という作品を書いています。
(「悔い改めよ」のくだりも交えて。)
そちらも併せてご紹介しておきます。



以上は日本人(&中国人お一人)の感想ですが、おそらくロシアや、その他世界中の国で、いろいろな論評がなされたであろうことは想像に難くありません(丸善百年史にはそんな話も少し出ています)。

その中にはきっと興味深いものもあるのでしょうが……。

残念ながらそれは私の調査収集能力を超えた話になります。


また何か面白い素材を見つけた場合は、適宜ここに追加するかもしれません。