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トルストイの日露戦争論/平民新聞「トルストイ翁の非戦論を評す」

標記「トルストイ翁の非戦論を評す」は、今回底本とした書籍にも付されていましたが、「途中休憩」回で触れましたように、すでに文字起こしされていましたので、

特に当方としてはページを設けないつもりでした。

ただ、これをよく見ると、当方とは文字起こしの方向性(?)みたいなものが若干違うようですので(あと、正直を言うと、少々の誤りも見つけてしまったので)。
「こちら風」の文字起こしをあえてやってみることにしました。

「文字起こし」と言っても、今回は元のデータがあるわけなので、それに手を入れただけで済んだのはもちろんです。先人に感謝。

以下、「バージョン違い」の本文です。
底本としては、明治卅七年八月十四日づけ「平民新聞」(第40号)1ページ1段目〜4段目。それと、ここまで文字起こしに使ってきた「日露戦争論」の書籍も参考に。


●トルストイ翁の非戦論を評す

  (一)
読者は本紙前号に訳載せるトルストイ翁の日露戦争論を読で、如何の感を生ぜしや、夫れ如此[かくのごと]きの長篇が、今年[こんねん]七十七歳{下註1}の老人の筆に成れりてふことのみを以てするも、其精力の比なき、既に吾人の驚嘆を値いするに余あるに非ずや、况んや其勁健[けいけん]流麗の文(吾人の訳文の拙劣なる其筆致を伝うる能わざるは深く遺憾とする所也)を以て崇高[そうこう]雄大の想を行[や]る、言言[げんげん]肺腑より出で、句々皆な心血、万丈[まんじょう]の光彩陸離として火の如く花の如く、人をして起舞[きぶ]せしめずんば已まざるの概[がい]あるをや、吾人は之を読で、殆ど古代の聖賢若くば予言者の声を聴くの思いありき
  (二)
而して吾人が特に本論に於て、感嘆崇敬[そうけい]措く能わざる所の者は、彼が戦時に於ける一般社会の心的及び物的情状を観察評論して、露国一億三千万人、日本四千五百万人の、曾て言うこと能わざる所を直言し、决して写す能わざる所を直写して寸毫の忌憚する所なきに在り
見よ、彼[か]の少年皇帝{下註2}の昏迷、学者の曲学、外交家の譎詐、宗教家の墮落、新聞記者の煽動、投機師の営利、不幸なる多数労働者の疾痛惨憺[しっつうさんたん]、而して総て是等戦争の害毒罪悪より生ずる社会全体の危険を叙説するに於て、何者か能く翁の如く其眼光の精緻なる者ある乎、其筆鋒の鋭利なる者ある乎、何者か描き得て爾[しか]く有力なる者ある乎、爾く明白なる者ある乎、爾く大胆なる者ある乎、何者か爾く真に迫り神に入ることを得る者ある乎、然り是れ豈に吾人の前に一幅戦時社会の活畵図を展開せる者に非ずや
而して此活畵図や、是れ現時の日露両国の社会に於ける事実也、然り大事実也、較著[こうちょ]なる大事実也、如何に戦争を讃美し感嘆し、主張し、助成する者と雖も、一面に於ては决して是等の罪悪、害毒、危険の存在を否定することを得可らず、何となれば是れ彼等が日夕[にちせき]実際に目睹[もくと]し居れる所なれば也、但だ彼等従来其好戦的狂熱の為めに、強て自ら良心を麻痺せしめ是等の事実を看過し、黙視し、甚しきは則ち之を隠蔽塗抹[とまつ]せんことを力[つと]めたりと雖も而も今や翁の如何[かくのごと]く明白、有力、大胆なる描写指摘に逢う、彼等は猶お豁然[かつぜん]として自覚せざることを得る乎、赧然[たんぜん]として悔改[かいかい]せざることを得る乎
吾人は翁の大論文が、此点に於て、実に世間多数の麻痺せる良心に対して、絶好の注射剤たり得べきを信ず、否注射剤たらしむべきを希[ねが]う、吾人が本篇を訳述して江湖に薦[すすめ]し所以の微意実に此に外ならず
  (三)
然共[しかれども]吾人を以て、全然トルストイ翁の所説に雷同盲従する者となさば、是大[だい]なる誤解也、吾人は元より翁が、戦争の罪悪、害毒及之より生ずる一般社会の危険を切言するを見て感嘆崇敬を禁ぜずと雖も、而も将来如何にして此罪悪、害毒、危険を救治防遏[きゅうじぼうあつ]すべきかの問題に至[いたり]ては、吾人は不幸にして翁と所見を異[こと]にする者也
翁が戦争の起因と其救治の方法を述ぶるや、滔々数千言、議論の巧[こう]、措辞[そじ]の妙を極むと雖も、要は、戦争の起因は人々真個[しんこ]の宗教を喪失せるが為なり、故に之が救治や、人々をして自ら悔改めて神意に従わしむべし、即ち隣人を愛し己れの欲する所を人に施さしむべしというに在る者の如し、単に如此きに過ぎずとせば、吾人豈に失望せざるを得んや、何となれば、是れ恰[あたか]も『如何にして富むべきや』てふ問題に対して『金[かね]を得るに在り』と答うるに均しければ也、是れ現時の問題を解决し得るの答弁にあらずして、唯だ問題を以て問題に答うる者に非ずや、吾人は此点に於て、翁が一関[いっかん]未だ透し得ざる者あるを惜む
吾人は必しも宗教を無用とし有害とするものに非ず、然れども人は麺包[ぱん/パン]のみにて生くる能わざるが如く、又聖書のみにて生くる者に非ず、霊なきの人が死なるが如く、肉なきの人も亦死なり、夫れ一飯にだも䬸[あ]くこと能わざる者、安[いずく]んぞ道を聞くに遑[いと]まあらんや、人は尽く夷斉[いせい]{下註3}に非ず、単に「悔改めよ」と呌ぶこと、幾千万年なるも、若し其生活の状態を変じて衣食を足らしむるに非ずんば、其相喰[あいは]み相搏[あいう]つ、依然として今日の如けんのみ
吾人社会主義者が非戦論を唱うるや、其救治の方法目的如此く茫漠たる者に非ず吾人は此点に於て一貫の論理を有し、実際の企畵[きかく]を有す、吾人の所見に依れば今の国際戦争は、トルストイ翁の言えるが如く、単に人々が耶蘇の教義を忘却せるが為めにあらずして、実に列国経済的競争の激甚なるに在り、而して列国経済的競争の激甚なるは、現時の社会組織が資本家制度を以て其基礎となすに在り、(四月三日発行本紙第二十一号社説「列国競争の真相参照){下註4}故に将来国際間の戦争を滅絶[めつぜつ]して其惨害を避けんと欲せば、現時の資本家制度を顚覆して、社会主義的制度を以て之に代えざる可らず、社会主義的制度一たび確立して、万民平等に其生を逐ぐるに至らば、彼等は何を苦しんで悲惨なる戦争を催起するの要あらんや
之を要するにトルストイ翁は、戦争の原因を以て個人の墮落に帰す、故に悔改めよと教えて之を救わんと欲す、吾人社会主義者は、戦争の原因を以て経済的競争に帰す、故に経済的競争を廃して之を防遏[ぼうかつ]せんと欲す、是れ吾人が全然翁に服するを得ざる所以也
  (四)
吾人の翁と所見を異にする如此し、而も翁の言々実に肺腑に出で、句々皆[みな]な心血直言忌まず、党議憚らず、露国皇帝も亦一指を加うる能わずして、其所論は直ちに電報を以て万国に報道せらる、翁も亦一代の偉人高士なる哉 


※註1……トルストイは1828年9月生まれなので1904年の6月時点で、正しくは75歳。77歳というのは、当時の「数え年」によるカウントか。

※註2……「少年」という表現をどう考えるべきかについては「汝ら悔い改めよ」の方の註釈で少し私見を述べました。

※註3……「夷斉」は、伯夷と叔斉の兄弟のことか(?)


※註4……当該箇所は、「日露戦争論」の書籍では少し文言がカットされています。理由は当該の文章を見れば容易に察せられます。
参考までに、「書籍版」では以下のような感じです。
《現時の社会組織が資本家制度を以て其基礎となすに在り、の故に将来国際間の戦争を》