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【連載】エピグラフ旅日記 第3回|藤本なほ子

 「エピグラフ」とはなんぞや? ──書物をひらいたとき、扉ページの裏側やタイトルの左下などにそっと添えられている短かな(ときに長々とした)引用句。そう、アレです。〈……以下、続きはこちらの冒頭のご挨拶文をご覧ください。〉
 ただいま創元社では、山本貴光さんを編著者にお迎えし、『エピグラフの本』(仮題)を制作中です(2023年2月刊行予定)。古今東西のさまざまな「作品」のエピグラフを集め、読者のみなさんと一緒にながめて愉しむ──ありそうでなかったそんな本を、ゆっくり、じっくり、みっしりと編んでおります。
 出版に先行し、ウェブ連載を開始いたします。毎月15日は山本さんにエピグラフについて縦横無尽に綴っていただく「異界をつなぐエピグラフ」。末日はエピグラフ採集係の藤本なほ子による「エピグラフ旅日記」です。まずはこれらの連載にて、限りなく広がるエピグラフの宇宙のお散歩をどうぞお愉しみいただけますように。

エピグラフ旅日記(9月)

9月某日(2)──日本十進分類法、ジェイムズ・ジョイス、八木重吉 

 今日も駅前の図書館へ。世の多くの図書館と同じようにここも、広い空間に書棚が団地の棟のように立ち並び、それを囲む壁の全面に平たい書棚がつくりつけられている。日本十進分類法の第9類「文学」の書物は、95-番台「フランス文学」の途中までが団地の棚に並び、その続き(フランス文学の続きとスペイン文学、イタリア文学、ロシア・ソビエト文学、その他の諸言語文学など)は壁面の棚に収められている。

 ちなみに「日本十進分類法(Nippon Decimal Classification;NDC)」とは日本の図書館で採用されている図書分類法で、すべての図書を十進法に従った階層構造(ツリー状)に分類し、最低3桁の番号を割り振る方法である。その全分類表は、索引や使用法の解説などとともに書籍にまとめられ、日本図書館協会から刊行されている(最新版は2014年発行の10版 ★1)。初版は1928年発表だから、そろそろ100年に及ぶ歴史を持つ分類法だ。

 この分類番号は、多くの人にとっては「図書館の本の背ラベルに書いてある数字」「9で始まる数字が『文学』だということだけはわかる」など、漠然と認識されているだけのものかもしれない。実際、図書館で働いているのでもない限り、それで困ることはないと思う。しかし、その内訳や改訂の変遷を少し調べてみると、かなり面白い。人々が書物を、ひいては知識をどう捉え、カテゴリーをつくって分類してきたかが間接的に伝わってくるようなのである。また、なかなか理念どおりには整然と分類できないところに働いている人間的な配慮や処理が、緻密な階層構造のそこここに覗くアンバランスさに透けて見えてくる気もする(あえて乱暴に表現すれば「このへんは一つにまとめちゃおう」「ここに空きがあるから、ちょっと階層が違うけど、これもここに置いちゃおう」などというような)。モノ、コト、人の営みの全般に対する認識=分類のディテールが見えてきて、とても興味深い。

 そこで、いったいどういうしくみになっていて、どこがどう面白いか……ということを書き始めたのだが、ふと我に返ると、すでに1回分の半量を越えている。しかもまだまだ終わりそうにない。「これはさすがに脱線しすぎだ。旅日記は、エピグラフはどこへ行ったのか」と思い直し、涙を呑んですべて割愛することにした。無念。エピグラフを求めて図書館内を旅するにあたっては、この分類番号が住所表記であり大切な道しるべともなるので、ぜひしっかりとご紹介しておきたかったのだけれど。いずれ『図書館の本の背ラベルの分類番号の本』(仮題)を刊行できるようにがんばりたい。


 閑話休題。前回、まずは壁面の書棚を終え、フランス文学の続きからドイツ文学、英米文学、中国文学などの棚を見はじめた。開架に並ぶ個人全集は少ないので、飛び飛びに見ていき、けっこう早く進む。英米文学の棚でジェイムズ・ジョイスの作品のかたまりに行きあたる。ジョイスの個人全集は刊行されていなかったはずと思い、作品数も少ないので単行本で見てしまうことにする。

 『ダブリン市民』『ユリシーズ』『フィネガンズ・ウェイク』にはエピグラフは置かれていない。『フィネガンズ・ウェイク』などは全編全語これ異界への扉と言えそうな内容であり、これにさらにエピグラフがつくとすると、いったい何が選ばれるのだろう。

 『若い芸術家の肖像』にはエピグラフが置かれていた。 

かくて彼はいまだ知られざる技に心を打ち込みぬ
──オウィディウス『変身物語』第八書一八八行
(★2)

  これは岩波文庫版『若い芸術家の肖像』(大澤正佳訳、2007)にある訳文で、巻末の訳者解説を見ると、「すでにエピグラフで提示されているダイダロス神話を軸として……」とある(p.492)。これはダイダロス神話を指しているのか、見てみようと思い、ギリシャ文学の棚にオウィディウス『変身物語』を探しに行くが、見あたらない。検索機で検索してみると請求番号は「164.3」で、164「神話」の棚に岩波文庫版の『変身物語』があった。オウィディウスは紀元前後のローマの詩人で、「変身物語(Metamorphoses)」は変身をテーマに250もの神話や伝説を年代順につなぎ合わせた物語詩。岩波文庫では上下2分冊で、問題の第八書は上巻の最後にあった。188行のあたりを見てみると、次のようにある。

 そうするうちにも、ダイダロスは、クレタと、長い亡命生活とにいや気がさし、しきりに郷愁を誘われてはいたが、いかんせん、海に閉じこめられている。「陸と海とを封鎖することはミノスにもできようが、少なくとも空だけは開放されている。そこを通って脱出するとしよう。王には、すべてを領有できようとも、空だけはそうはいかぬ」こういうと、未知の技術に心をうちこんで、自然の法則を変えようとはかった。
 というのは、こういうことだ。いちばん小さいものから始めて、羽根を順次に並べてゆく。つぎつぎに長いものをつけ足してゆくと、集まった羽根は、傾斜をなして大きくなってゆくはずだ。むかしの田舎の葦笛が、大小不ぞろいな葦の茎を並べることで、しだいに長さを増していったのと、それは同じだった。つぎに、中央部を紐で、基底部を蠟で、つなぎあわせる。こうして出来あがったものを、少し彎曲させて、ほんものの鳥の翼に似せる。

  おお、これは……と胸が高鳴る。ちょうどここが見開きの右ページから左ページに移る切れ目にあたり、左ページに目を移すと……

  少年イカロスも、父のそばに立ち、みずからの危険のたねをいじくっているとはつゆ知らずに、嬉しそうな顔で、気まぐれな風に吹き飛ばされた羽毛をつかまえたり、黄色っぽい蠟を親指でこねたりしては、おもしろ半分のふざけで父親のすばらしい仕事を邪魔していた。工匠ダイダロスは、仕事に最後の仕上げを加えると、みずから二枚の翼でからだの平均をとり、羽ばたきながら空中に浮かびあがった。
 息子にも指図を与えて、こういう。「よいかな、イカロス、なかほどの道を進むのだぞ。あまりに低く飛びすぎると、翼が海水で重くなる。高すぎると、太陽の火で焼かれるのだ。その両方の中間を飛ばねばならぬ。『牛飼い』や、『大熊』や、抜き身の剣をひらめかした『オリオン』などに目を向けるのではない! わたしのあとについて来るのだ!」飛び方の注意を与えながら、不馴れな未知の翼を肩につけてやる。仕事と忠告のあいまにも、ダイダロスの老いた頬は涙で濡れ、手も、父としての心づかいで震えていた。もう二度とはできないさだめの口づけを息子に与えると、翼で宙に浮きあがり、先に立って空を飛ぶが、あとからついて来る息子のことばかりが心配になる。高いこずえの巣から、幼いひな鳥を大空へ連れ出した親鳥に、まるでそっくりだ。うしろについて来るよう励まし、命取りの災いな技術を教える。みずからの翼を動かしながらも、息子の翼のほうばかりをふり返っている。
 この親子の姿を、しなやかな竿で魚を釣っている漁師の誰かや、杖をもった羊飼いや、すきの柄によりかかった農夫が見つけて、仰天した。空を飛ぶことができるのは、神々にちがいないと信じたからだ。
(★3)

  「むーかーしーギリシャーのーイカロースーはー」と、あの歌が否応なく鳴ってくる。というか、歌ってしまう(★4)。手作りの翼の蠟が太陽の熱で溶けて、イカロスはもうすぐ海に落ちてしまう。きっと、死んでしまう。自分には手が届かない。落ちていくイカロスをどうにもできない……。子どもの頃、この歌を聞くたびに死を感じて、背筋がびりっと震えるように怖くなった。太陽の熱という自然現象がどうしようもなく無慈悲に思えた。その気持ちを思い出す。

「イカロスの墜落」(17世紀のレリーフ) Musée Antoine Vivenel(フランス)所蔵。画像はWikimedia Commonsより借用。 

  つい長々と引用してしまった。話を戻すと、つまり『若い芸術家の肖像』のエピグラフでは、ギリシャ神話にあるダイダロスとイカロスの逸話が作品に重ねられている。「かくて彼はいまだ知られざる技に心を打ち込みぬ」というエピグラフの文句は、引用箇所の最初のほうにある「こういうと、未知の技術に心をうちこんで(、自然の法則を変えようとはかった)」に対応していると思われる。

 『若い芸術家の肖像』の主人公のスティーヴン・デダラスは、鬱屈と迷い、娼婦との性愛、悔悛といった振幅の激しい思春期を送ったのち、海への散歩で啓示を得て、自らの名デダラス(Dedalus)と通じる古代の工匠ダイダロス(Daedalus)のように「創造」に生きることを決意する。エピグラフにある「いまだ知られざる技」とはスティーブンが志す芸術のことで、この決意により彼は迷いの時期を脱し、家を離れて旅立つことになる。

 小説の結末には次のようにある。 

四月二十七日 古代の父よ、古代の工匠よ、今より永遠にぼくの助けとなりたまえ。
(★5)

  ここでスティーヴンは自らをダイダロスの息子にたとえている。この先、ダイダロスのように無事に飛んでゆけるのか、イカロスのように墜ちてしまうのか。どちらとも示されないまま物語は閉じられる。

 ジョイスの作品はどれも旅の匂いがする。『若い芸術家の肖像』での主人公の姿には生きてゆくという旅を感じるし、『ユリシーズ』はオデュッセイアの漂泊の旅を下敷きにしている。

 私は『ユリシーズ』を船の中で読んだ。もう四半世紀も前のある年の5月頃、大学の寮でドイツからの留学生Evaと出会ってたちまち意気投合し、夏にどこかを一緒に旅しようということになった。「ならば日本のいちばん南に行こう!」という単純至極な発想で、沖縄の最南端の島、波照間島に行き、海辺にテントを張って2週間ほど滞在したのだった。たしか大阪の港からフェリーに乗って、まず那覇まで二泊三日、那覇から石垣島まで一泊二日、石垣島からは数時間で波照間島まで行けたと思う。Evaはだいたい甲板で絵葉書やノートを書いたり本を読んだりして過ごし、私はEvaの近くに座るか、二等船室(要するに雑魚寝)の大広間に寝転がって『ユリシーズ』を読んでいた(★6)。まったくそんなつもりはなかったけれど、海の旅をなぞって書かれた物語を海の上で読んだことになる。

 ジョイスの本を書棚に戻す。『オーウェル・小説コレクション』全5巻(小林歳雄ほか訳、晶文社、1984)、『トラークル全集』(中村朝子訳、青土社、1987)などのほか、学芸領域ではないけれどつい手を出してしまった『ベンヤミン・コレクション』(ちくま学芸文庫)の2巻と3巻(★7)などなどを見て、外国文学の棚はいちおう終了ということにする。トラークルの作品にはやはりエピグラフは皆無。とてもそんな余裕はないという感じだった。ベンヤミンは非常にエピグラフが多い。これもいずれ書籍でご紹介できるのではないかと思う。

 日本文学の棚に移り、『芥川龍之介全集』全8巻(ちくま文庫、1986-1989)などを見ていく。『八木重吉全詩集』全2巻(ちくま文庫、1988)。エピグラフはないが、つい拾い読みをし、メモをとる。

  水たまり
 
水たまりが
あかるい日のなかにたまってゐる
なにかてのひらにものを持って
水たまりのなかへはいってゆきたくなった
 
──八木重吉「しづかな朝」より(★8)

 『太宰治全集』全13巻(筑摩書房、1998-1999)を途中まで確認して、帰宅。


 9月某日(3)──目録の分冊を作る

 いまは文学の個人全集を順に調べているが、これが終わったら各出版社のおもだった文庫や叢書をしらみつぶしに見ていく予定。その調査をどのように管理しようかと考え、まずはおもな文庫や叢書の「目録」を入手して、調査結果を手で書き込んでいくことにした。それらの全書名のデータを各社のウェブサイトなどから入手し、リストにつくりかえて使うこともできそうだが、かなり手間がかかるし、なにより「目録に一つ一つ手書きでチェックマークを入れていくという作業をしたい」と思ってしまったのである。

 そこで、少し前に各社のウェブサイトから申し込みをしたり窓口に電話をかけたりして、目録を少しずつ揃えていた。近くの書店でいただいたものもある。

 ちなみに、刊行物目録は出版社に申し込めばだいたい無料で送ってくれる。目録には書名・著者名・翻訳者名・価格・ISBNといった基本情報だけでなく、2、3行の簡単な紹介文が掲載されていることが多い。これがすごい。世の多くの文庫本や新書には裏表紙や表紙、カバーの折り返しの部分などに内容の要約がついていて、それを読むとだいたいどんな内容の本なのか、最初のつかみを得ることができる。ごく自然に読んで通り過ぎてしまいがちだが、それだけ的確な、導入として優れた要約になっているのだと思う。「この要約文をつくるというのはすごい仕事だ」といつも思うのだが、目録の紹介文はさらに短くまとめられている。これを拾い読みしていくだけで面白く、非常な情報量で、笑ってしまうほどである。このような、1冊1冊のエッセンスのさらに凝縮の集合物が容易に手に入るのだから、ものすごく贅沢なことだと思う。(もちろん、書籍を購入するために入手するものであるわけですが)

 今日は丸一日をエピグラフ採集に使える日。各社から取り寄せた目録はだいぶかさばるので、午前中に持ち歩き用の分冊を作ることにした。目録にはふつう、おしりからページを逆にたどる形で、横書きの書名索引と著者名索引がついている。この索引だけを切り離して図書館に持って行こうという魂胆である。

目録の背のここを切る。

 索引と本文の境目のページを大きく開き、背の側からカッターで切り離して、製本テープで綴じる。

 まずは大手出版社の文庫目録から作業を始めたところ、出版社によって綴じ方が違うことがわかった。取り寄せた目録の中では最厚の新潮文庫の目録と、ちくま文庫及びちくま学芸文庫の合冊の目録は、背を糸で綴じる頑丈な「糸綴じ」。一方、岩波文庫の目録は背に切り込みを入れて接着剤で固める「あじろ綴じ」になっている(と思う。間違いがあればどうぞご指摘ください)。新潮文庫の目録は縫い目も細かくなっているのがわかる。

左=『新潮文庫【解説目録】』(糸綴じ) 中=『岩波文庫 解説目録』(あじろ綴じ) 右=『ちくま文庫 ちくま学芸文庫 解説目録』(糸綴じ) いずれも2021年版。

 これらの製本法の違いは、ページ数(=厚み)によるものだと思う。ともあれ、こうして切り離してみたことで、ただ眺めているだけでは見えてこない工夫が見えてきて、「みな、それぞれに適した方法をあれこれ考えながら、工場で人が作っているものなのだなあ」と、綴じ目の向こうに人の存在を感じとり、じんわり嬉しくなってしまった。

 講談社学術文庫の目録には書名索引・著者索引のほか、品切れ分(つまり、現在は新刊では手に入らない分)も含めた番号順の一覧があり、役に立ちそう。ちくま文庫&ちくま学芸文庫の目録にも「品切れ一覧表」があり、これはこれで助かるのだけれど、今回の目的に限っては現行書籍と品切れ書籍とが一つのリストにまとめられているとさらに便利でありがたい。また、文庫ではないが『みずす書房図書目録 2021』にも品切れ書目の一覧があり、ありがたい(眺めるだけで楽しい)。

『講談社学術文庫 解説目録』(2020年4月現在版)の既刊全書名のリスト。巻数番号順に並べられ、品切れのものには☆がついている。

 持ち歩き用に分冊を作った文庫・叢書は以下のとおり(五十音順)。

 岩波文庫 河出文庫&河出i文庫 講談社学術文庫 講談社文芸文庫 光文社古典新訳文庫 新潮文庫 ちくま文庫&ちくま学芸文庫 白水Uブックス&文庫クセジュ ハヤカワ文庫(★9) 平凡社ライブラリー

 また、晶文社・東京創元社・白水社・みすず書房の各社については全刊行物の目録を送っていただいて分冊を作った。これらに掲載されている書籍をすべてチェックするのは無理かなあと思いつつ、ともかく調べたときに書き込めるものが手元にほしくて、まずは作成したのだった。

 午後は図書館に行くことにして、あわてて昼食をとり、荷物を準備する。

最初に作った6つの分冊。左が持ち歩き用。ずいぶんスリムになりました。


★冒頭画像
「若き日の芸術家の肖像」(大澤正佳訳)の冒頭。『筑摩世界文學大系67 ジョイスⅠ』(訳者代表大澤正佳、筑摩書房、1976)p.5より。
 
★1 『日本十進分類法 新訂10版』(もり きよし原編・日本図書館協会分類委員会改訂編集、日本図書館協会、2014) これはハードカバーの2分冊でだいぶかさばる。2018年に、これを縮刷し、索引の項目数を減らし、解説等を省いた『日本十進分類法 新訂10版簡易版』が刊行されており、一般向けにはこちらのほうが見やすいと思う。
 また、村上晴美(大阪市立大学)・ 浦芳伸(winspire)の両氏が開発されたNDC Naviという日本十進分類法10版の検索ツールが公開されている。便利で勉強になる。
 
★2 『若い芸術家の肖像』(大澤正佳訳、岩波文庫、2007)p.6
 なお、原書の紙の書籍は未確認だが、アメリカの電子図書館Project Gutenbergで公開されているJames Joyce「A Portrait of the Artist as a Young Man」(1916)のエピグラフ原文は以下のとおりで、ラテン語で表記されている。

 “Et ignotas animum dimittit in artes.”/Ovid, Metamorphoses, VIII., 18. 

 ここではOvidiusによる「Metamorphoses」第8巻18行が出典だとされているが、これは正しくは「第8巻188行」で、冒頭に写真を掲げさせていただいた『筑摩世界文學大系67 ジョイスⅠ』所収の「若き日の芸術家の肖像」(大澤正佳訳)p.5の訳注にもその旨が記されている。「Metamorphoses」のラテン語原文はPerseus Digital Library(アメリカのタフト大学が提供する電子図書館)のサイトで確認した。 

★3 オウィディウス『変身物語(上)』(中村善也訳、岩波文庫、1981)pp.316-318

★4 片岡輝作詞・越部信義作曲「勇気一つを友にして」 1975年にNHKの「みんなのうた」で紹介され、世に広まった。

★5 『若い芸術家の肖像』(大澤正佳訳、岩波文庫、2007)p.477

★6 右記の翻訳だったと思う。丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳「ユリシーズ」 『世界文学全集』Ⅱ-13・14(河出書房新社、1964)所収

★7 『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』(浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、1996)、『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅』(浅井健二郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、1997)

★8 『八木重吉全詩集2』(ちくま文庫、1988)p.180

★9 ハヤカワ文庫の解説目録(2021年7月版)は次の文庫の書目が1冊にまとめられている。
 ハヤカワ文庫SF、ハヤカワ文庫FT、ハヤカワ文庫JA、ハヤカワ文庫NV、ハヤカワ文庫NF、ハヤカワ・ミステリ文庫、クリスティー文庫、ハヤカワepi文庫、ハヤカワ演劇文庫

◎プロフィール
藤本なほ子(ふじもと なほこ)
美術作家、編集者。
美術の領域でことばに関する作品をつくっている。また、辞書や一般書籍の編集・執筆・校正に携わる。
ウェブサイト https://nafokof.net/
Facebook nahoko.fujimoto.9
Twitter @nafokof

★「エピグラフの本(仮)」マガジンページはこちら

「異界をつなぐエピグラフ」山本貴光
第1回 夢で手にした花のように
第2回 モンタージュ式エピグラフ、あるいはザナドゥへの道
第3回 ホラーの帝王にしてエピグラフの王

「エピグラフ旅日記」藤本なほ子
第1回
第2回