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エピグラフの本(仮)| 山本貴光・藤本なほ子

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ただいま創元社では『エピグラフの本』(仮題)を制作中です(2023年4月刊行予定)。出版に先行し、ウェブ連載を開始いたします。毎月15日は、編著者の山本貴光さんによる「異界をつな…
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記事一覧

【連載】異界をつなぐエピグラフ 第10回|これがエピグラフ効果である|山本貴光

第10回|これがエピグラフ効果である ここまでのところ、いくつかの具体例を通してエピグラフについてあれこれ考えてみた。もちろん、古今東西でこれまで書かれてきた本や文章全体からすれば、ここで触れたのは、そのごく一部の(中略)そのまた一部の(中略)ごく一部に過ぎない。そのつもりで見てゆけば、あちこちにさまざまなエピグラフが見つかる。私たちはまだエピグラフの深い森へ足を踏み入れたばかりとも言えそう。  とはいえ、この連載も予定していた全10回の最終回となった。無理にまとめる必要も

【連載】エピグラフ旅日記 第8回|藤本なほ子

エピグラフ旅日記(10月)10月某日(6)──エピグラフ探索用データベースと「ameqlist 翻訳作品集成」  9月からここ1か月ほど、「文芸領域の主要な文庫や叢書」のみを対象に、エピグラフの採集活動をつづけている。  いままで、エピグラフの有無を調べた本については、さまざまな出版社から送っていただいた文庫や叢書の目録(の分冊)の各項の頭に、えんぴつで印をつけて記録していた。品切れの本(=出版社に在庫がなくなってしまったけれど、いつ増刷されるのか、そもそも増刷されるのか

【連載】異界をつなぐエピグラフ 第9回|コウセイ畏るべし|山本貴光

第9回|コウセイ畏るべし1.校正のおかげです  この連載では、いささか古めの本を多く扱ってきた。意図してそうなったというよりは、気づいたらそうなっていた。といっても、現代の本にエピグラフがないわけではない。むしろ、日々手にしている本のあちこちでお目にかかる。  最近読んだ本で、こんなエピグラフに出会った。  これは校正者の牟田都子さんの『文にあたる』(亜紀書房、2022)という本に現れる引用だ。この本では、校正にまつわるあれこれのトピックに触れた文章が50ほど並んでいる

【連載】異界をつなぐエピグラフ 第8回|「幾何学ノ素養ナキ者」はどこから来たのか|山本貴光

第8回|「幾何学ノ素養ナキ者」はどこから来たのか1.最古のエピグラフ問題再訪  前回、ジェラール・ジュネットの『スイユ──テクストから書物へ』(和泉涼一訳、水声社、2001)を手がかりにして、そこで「エピグラフを添えた最古の例」と目されていたラ・ロシュフコーの『箴言集』を眺めてみた。  『箴言集』の最初の版は1665年に刊行されたもの。といっても、同書には最初からエピグラフが備わっていたわけではない。詳しくは前回をご覧いただくとして、途中のあれこれを端折って言えば、第4版

【連載】エピグラフ旅日記 第7回|藤本なほ子

エピグラフ旅日記(10月)10月某日(2)つづき──サトクリフ『思い出の青い丘』  図書館のいちばん端の棚から……ということで、日本十進分類表のおしりのほうから手をつけてしまい、900番台後半の、その他の諸言語文学、ロシア・ソビエト文学、イタリア文学、スペイン文学、フランス文学あたりの棚をうろうろし続けている。分類番号の並びを気にせず、手あたりしだいに見ていたのだが、「もっとちゃんと、整然と進めよう」と反省し、棚の区切りで93-番台「英米文学」に飛び、番号の順に見てゆくこと

【連載】異界をつなぐエピグラフ 第7回|これが最初のエピグラフ?|山本貴光

第7回|これが最初のエピグラフ? さて、ここまでのところ、いくつかのエピグラフを眺めてきた。といっても、どれだけあるかも分からないエピグラフの全体からしたら、私が触れたのは砂浜でたまさか手に触れた一握りの砂といったところかもしれない(いや、もっと少ないかも)。  他方で、藤本なほ子さんによる姉妹連載「エピグラフ旅日記」をご覧いただくとお分かりのように、藤本さんはエピグラフ・ハンターとして書棚のあいだを探索していらっしゃる。その結果をまとめつつあるリストを見ると、なんとたくさ

【連載】エピグラフ旅日記 第6回|藤本なほ子

エピグラフ旅日記(10月)10月某日(1)つづき──神西清ラインをたどる   ロシア・ソビエト文学の棚に滞留している。『パステルナーク詩集』(★1)を眺めてしばしの時を過ごした後、棚に戻し、さあ仕事をしよう、と棚の続き(右方向)に向かい、岩波文庫やちくま文庫、講談社学術文庫、平凡社ライブラリーなど、おもだった文庫や叢書を手当たりしだいに抜きとって閲覧席に運ぶ。  ドストエフスキーやトルストイなどはすでにほぼすべて全集で確認済みなのだが、翻訳の違いが気になったり、もしや全集

【連載】異界をつなぐエピグラフ 第6回|ペレック先生、困ります|山本貴光

第6回ペレック先生、困ります1.ペレックと遊ぼう  ここではエピグラフを眺め歩いている。エピグラフとは、本の冒頭や章のはじめに添えられる短い文章のこと(★2)。  そんなことを頭の片隅に入れて日々を送っていると、面白いことに、そのつもりがなくても本を開くたび、目が勝手にエピグラフを探すようになる(これ、ほんと)。つい先日も、別の用事があってジョルジュ・ペレックの『さまざまな空間』を読み直しているうちに、自分の不明を恥じることになった。いままでどうして気がつかなかったんだ?

【連載】エピグラフ旅日記 第5回|藤本なほ子

エピグラフ旅日記(9月)9月某日(6)つづき──アントニオ・タブッキの3つのエピグラフ   「まずはおもな文庫や叢書を、エピグラフがないか一冊ずつ確認していく」という方針の下、壁際のスペイン文学とフランス文学の棚をうろうろしたのち、イタリア文学の棚へ。 (ちなみに、今回の調査ではできるだけ網羅的なデータをつくりたいと考えており、主だった著者については、エピグラフがあった作品だけでなく「エピグラフがなかった作品」の情報も記録している。たとえばこの日のノートを見返すと、以下の

【連載】異界をつなぐエピグラフ 第5回|人文界のスターたちをお迎えした強力な弁護陣、あるいは護符型エピグラフについて|山本貴光

第5回|人文界のスターたちをお迎えした強力な弁護陣、あるいは護符型エピグラフについて1.どこへ連れていかれるのか 世にヘンテコな本は数あれど、18世紀英国のお坊さん、ロレンス・スターン(1713-1768)が書き継いだ『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』(全9巻、1759-1767)ほどヘンテコな本となると、そうそうお目にかかれるものではない(★2)。  などと申せば、「またまた大袈裟なんだから」とおっしゃる向きもあるだろう。私自身はどちらかといえば物事を大袈裟に言

【連載】エピグラフ旅日記 第4回|藤本なほ子

エピグラフ旅日記(9月) 9月某日(3)午後──太宰治、宮沢賢治、向田邦子、夏目漱石   午前中に文庫目録の分冊をとりあえず6冊つくり、あわてて昼食をとって、駅前の図書館へ。『太宰治全集』全13巻(筑摩書房、1998-1999)の続きを第4巻から見ていく。  太宰治は、初期の作品(1930年代後半から1940年頃)には凝った印象のエピグラフが結構あったが、戦中から戦後にかけてのよく名の挙がる作品群では、「津軽」に見えるだけだった。    初期作品には、タイトルの左下方に

【連載】異界をつなぐエピグラフ 第4回|私は引用が嫌いだ|山本貴光

第4回 私は引用が嫌いだ1.そんな本があったのか! コンピュータやプログラムに関する本を読んでいると、しばしばエピグラフにお目にかかる。  かつて、とは高校生や大学生の頃のことだが、コンピュータ書にプラトンやニーチェといった哲学者の言葉がエピグラフとして掲げられているのに出会うたび、ちょっと驚くというか、意外な場所で意外なものと遭遇したという気分になったりもした。いまにして思えば、別段驚くようなことではない。むしろそんなふうに感じた私の側に、理系と文系の区別のようなものがあ

【連載】エピグラフ旅日記 第3回|藤本なほ子

エピグラフ旅日記(9月)9月某日(2)──日本十進分類法、ジェイムズ・ジョイス、八木重吉   今日も駅前の図書館へ。世の多くの図書館と同じようにここも、広い空間に書棚が団地の棟のように立ち並び、それを囲む壁の全面に平たい書棚がつくりつけられている。日本十進分類法の第9類「文学」の書物は、95-番台「フランス文学」の途中までが団地の棚に並び、その続き(フランス文学の続きとスペイン文学、イタリア文学、ロシア・ソビエト文学、その他の諸言語文学など)は壁面の棚に収められている。

【連載】異界をつなぐエピグラフ 第3回|ホラーの帝王にしてエピグラフの王|山本貴光

第3回 ホラーの帝王にしてエピグラフの王1.どう見てもエピグラフ愛好家 世の中には、エピグラフをこよなく愛するもの書きがいる。これまでも、ときおり「この人はもしかして……」と感じることはあったものの、逐一確認したりはしなかった。  だが、このたび『エピグラフの本(仮題)』をつくるにあたって、あれこれの本からエピグラフを探して集めてみたところ、「これはやはりどう見てもエピグラフ愛好家ですな」という一群の人びとが浮かび上がってきた。  というのは、同書の発案・編集者であり、本