【連載】エピグラフ旅日記 第3回|藤本なほ子
エピグラフ旅日記(9月)
9月某日(2)──日本十進分類法、ジェイムズ・ジョイス、八木重吉
今日も駅前の図書館へ。世の多くの図書館と同じようにここも、広い空間に書棚が団地の棟のように立ち並び、それを囲む壁の全面に平たい書棚がつくりつけられている。日本十進分類法の第9類「文学」の書物は、95-番台「フランス文学」の途中までが団地の棚に並び、その続き(フランス文学の続きとスペイン文学、イタリア文学、ロシア・ソビエト文学、その他の諸言語文学など)は壁面の棚に収められている。
ちなみに「日本十進分類法(Nippon Decimal Classification;NDC)」とは日本の図書館で採用されている図書分類法で、すべての図書を十進法に従った階層構造(ツリー状)に分類し、最低3桁の番号を割り振る方法である。その全分類表は、索引や使用法の解説などとともに書籍にまとめられ、日本図書館協会から刊行されている(最新版は2014年発行の10版 ★1)。初版は1928年発表だから、そろそろ100年に及ぶ歴史を持つ分類法だ。
この分類番号は、多くの人にとっては「図書館の本の背ラベルに書いてある数字」「9で始まる数字が『文学』だということだけはわかる」など、漠然と認識されているだけのものかもしれない。実際、図書館で働いているのでもない限り、それで困ることはないと思う。しかし、その内訳や改訂の変遷を少し調べてみると、かなり面白い。人々が書物を、ひいては知識をどう捉え、カテゴリーをつくって分類してきたかが間接的に伝わってくるようなのである。また、なかなか理念どおりには整然と分類できないところに働いている人間的な配慮や処理が、緻密な階層構造のそこここに覗くアンバランスさに透けて見えてくる気もする(あえて乱暴に表現すれば「このへんは一つにまとめちゃおう」「ここに空きがあるから、ちょっと階層が違うけど、これもここに置いちゃおう」などというような)。モノ、コト、人の営みの全般に対する認識=分類のディテールが見えてきて、とても興味深い。
そこで、いったいどういうしくみになっていて、どこがどう面白いか……ということを書き始めたのだが、ふと我に返ると、すでに1回分の半量を越えている。しかもまだまだ終わりそうにない。「これはさすがに脱線しすぎだ。旅日記は、エピグラフはどこへ行ったのか」と思い直し、涙を呑んですべて割愛することにした。無念。エピグラフを求めて図書館内を旅するにあたっては、この分類番号が住所表記であり大切な道しるべともなるので、ぜひしっかりとご紹介しておきたかったのだけれど。いずれ『図書館の本の背ラベルの分類番号の本』(仮題)を刊行できるようにがんばりたい。
閑話休題。前回、まずは壁面の書棚を終え、フランス文学の続きからドイツ文学、英米文学、中国文学などの棚を見はじめた。開架に並ぶ個人全集は少ないので、飛び飛びに見ていき、けっこう早く進む。英米文学の棚でジェイムズ・ジョイスの作品のかたまりに行きあたる。ジョイスの個人全集は刊行されていなかったはずと思い、作品数も少ないので単行本で見てしまうことにする。
『ダブリン市民』『ユリシーズ』『フィネガンズ・ウェイク』にはエピグラフは置かれていない。『フィネガンズ・ウェイク』などは全編全語これ異界への扉と言えそうな内容であり、これにさらにエピグラフがつくとすると、いったい何が選ばれるのだろう。
『若い芸術家の肖像』にはエピグラフが置かれていた。
これは岩波文庫版『若い芸術家の肖像』(大澤正佳訳、2007)にある訳文で、巻末の訳者解説を見ると、「すでにエピグラフで提示されているダイダロス神話を軸として……」とある(p.492)。これはダイダロス神話を指しているのか、見てみようと思い、ギリシャ文学の棚にオウィディウス『変身物語』を探しに行くが、見あたらない。検索機で検索してみると請求番号は「164.3」で、164「神話」の棚に岩波文庫版の『変身物語』があった。オウィディウスは紀元前後のローマの詩人で、「変身物語(Metamorphoses)」は変身をテーマに250もの神話や伝説を年代順につなぎ合わせた物語詩。岩波文庫では上下2分冊で、問題の第八書は上巻の最後にあった。188行のあたりを見てみると、次のようにある。
おお、これは……と胸が高鳴る。ちょうどここが見開きの右ページから左ページに移る切れ目にあたり、左ページに目を移すと……
「むーかーしーギリシャーのーイカロースーはー」と、あの歌が否応なく鳴ってくる。というか、歌ってしまう(★4)。手作りの翼の蠟が太陽の熱で溶けて、イカロスはもうすぐ海に落ちてしまう。きっと、死んでしまう。自分には手が届かない。落ちていくイカロスをどうにもできない……。子どもの頃、この歌を聞くたびに死を感じて、背筋がびりっと震えるように怖くなった。太陽の熱という自然現象がどうしようもなく無慈悲に思えた。その気持ちを思い出す。
つい長々と引用してしまった。話を戻すと、つまり『若い芸術家の肖像』のエピグラフでは、ギリシャ神話にあるダイダロスとイカロスの逸話が作品に重ねられている。「かくて彼はいまだ知られざる技に心を打ち込みぬ」というエピグラフの文句は、引用箇所の最初のほうにある「こういうと、未知の技術に心をうちこんで(、自然の法則を変えようとはかった)」に対応していると思われる。
『若い芸術家の肖像』の主人公のスティーヴン・デダラスは、鬱屈と迷い、娼婦との性愛、悔悛といった振幅の激しい思春期を送ったのち、海への散歩で啓示を得て、自らの名デダラス(Dedalus)と通じる古代の工匠ダイダロス(Daedalus)のように「創造」に生きることを決意する。エピグラフにある「いまだ知られざる技」とはスティーブンが志す芸術のことで、この決意により彼は迷いの時期を脱し、家を離れて旅立つことになる。
小説の結末には次のようにある。
ここでスティーヴンは自らをダイダロスの息子にたとえている。この先、ダイダロスのように無事に飛んでゆけるのか、イカロスのように墜ちてしまうのか。どちらとも示されないまま物語は閉じられる。
ジョイスの作品はどれも旅の匂いがする。『若い芸術家の肖像』での主人公の姿には生きてゆくという旅を感じるし、『ユリシーズ』はオデュッセイアの漂泊の旅を下敷きにしている。
私は『ユリシーズ』を船の中で読んだ。もう四半世紀も前のある年の5月頃、大学の寮でドイツからの留学生Evaと出会ってたちまち意気投合し、夏にどこかを一緒に旅しようということになった。「ならば日本のいちばん南に行こう!」という単純至極な発想で、沖縄の最南端の島、波照間島に行き、海辺にテントを張って2週間ほど滞在したのだった。たしか大阪の港からフェリーに乗って、まず那覇まで二泊三日、那覇から石垣島まで一泊二日、石垣島からは数時間で波照間島まで行けたと思う。Evaはだいたい甲板で絵葉書やノートを書いたり本を読んだりして過ごし、私はEvaの近くに座るか、二等船室(要するに雑魚寝)の大広間に寝転がって『ユリシーズ』を読んでいた(★6)。まったくそんなつもりはなかったけれど、海の旅をなぞって書かれた物語を海の上で読んだことになる。
ジョイスの本を書棚に戻す。『オーウェル・小説コレクション』全5巻(小林歳雄ほか訳、晶文社、1984)、『トラークル全集』(中村朝子訳、青土社、1987)などのほか、学芸領域ではないけれどつい手を出してしまった『ベンヤミン・コレクション』(ちくま学芸文庫)の2巻と3巻(★7)などなどを見て、外国文学の棚はいちおう終了ということにする。トラークルの作品にはやはりエピグラフは皆無。とてもそんな余裕はないという感じだった。ベンヤミンは非常にエピグラフが多い。これもいずれ書籍でご紹介できるのではないかと思う。
日本文学の棚に移り、『芥川龍之介全集』全8巻(ちくま文庫、1986-1989)などを見ていく。『八木重吉全詩集』全2巻(ちくま文庫、1988)。エピグラフはないが、つい拾い読みをし、メモをとる。
『太宰治全集』全13巻(筑摩書房、1998-1999)を途中まで確認して、帰宅。
9月某日(3)──目録の分冊を作る
いまは文学の個人全集を順に調べているが、これが終わったら各出版社のおもだった文庫や叢書をしらみつぶしに見ていく予定。その調査をどのように管理しようかと考え、まずはおもな文庫や叢書の「目録」を入手して、調査結果を手で書き込んでいくことにした。それらの全書名のデータを各社のウェブサイトなどから入手し、リストにつくりかえて使うこともできそうだが、かなり手間がかかるし、なにより「目録に一つ一つ手書きでチェックマークを入れていくという作業をしたい」と思ってしまったのである。
そこで、少し前に各社のウェブサイトから申し込みをしたり窓口に電話をかけたりして、目録を少しずつ揃えていた。近くの書店でいただいたものもある。
ちなみに、刊行物目録は出版社に申し込めばだいたい無料で送ってくれる。目録には書名・著者名・翻訳者名・価格・ISBNといった基本情報だけでなく、2、3行の簡単な紹介文が掲載されていることが多い。これがすごい。世の多くの文庫本や新書には裏表紙や表紙、カバーの折り返しの部分などに内容の要約がついていて、それを読むとだいたいどんな内容の本なのか、最初のつかみを得ることができる。ごく自然に読んで通り過ぎてしまいがちだが、それだけ的確な、導入として優れた要約になっているのだと思う。「この要約文をつくるというのはすごい仕事だ」といつも思うのだが、目録の紹介文はさらに短くまとめられている。これを拾い読みしていくだけで面白く、非常な情報量で、笑ってしまうほどである。このような、1冊1冊のエッセンスのさらに凝縮の集合物が容易に手に入るのだから、ものすごく贅沢なことだと思う。(もちろん、書籍を購入するために入手するものであるわけですが)
今日は丸一日をエピグラフ採集に使える日。各社から取り寄せた目録はだいぶかさばるので、午前中に持ち歩き用の分冊を作ることにした。目録にはふつう、おしりからページを逆にたどる形で、横書きの書名索引と著者名索引がついている。この索引だけを切り離して図書館に持って行こうという魂胆である。
索引と本文の境目のページを大きく開き、背の側からカッターで切り離して、製本テープで綴じる。
まずは大手出版社の文庫目録から作業を始めたところ、出版社によって綴じ方が違うことがわかった。取り寄せた目録の中では最厚の新潮文庫の目録と、ちくま文庫及びちくま学芸文庫の合冊の目録は、背を糸で綴じる頑丈な「糸綴じ」。一方、岩波文庫の目録は背に切り込みを入れて接着剤で固める「あじろ綴じ」になっている(と思う。間違いがあればどうぞご指摘ください)。新潮文庫の目録は縫い目も細かくなっているのがわかる。
これらの製本法の違いは、ページ数(=厚み)によるものだと思う。ともあれ、こうして切り離してみたことで、ただ眺めているだけでは見えてこない工夫が見えてきて、「みな、それぞれに適した方法をあれこれ考えながら、工場で人が作っているものなのだなあ」と、綴じ目の向こうに人の存在を感じとり、じんわり嬉しくなってしまった。
講談社学術文庫の目録には書名索引・著者索引のほか、品切れ分(つまり、現在は新刊では手に入らない分)も含めた番号順の一覧があり、役に立ちそう。ちくま文庫&ちくま学芸文庫の目録にも「品切れ一覧表」があり、これはこれで助かるのだけれど、今回の目的に限っては現行書籍と品切れ書籍とが一つのリストにまとめられているとさらに便利でありがたい。また、文庫ではないが『みずす書房図書目録 2021』にも品切れ書目の一覧があり、ありがたい(眺めるだけで楽しい)。
持ち歩き用に分冊を作った文庫・叢書は以下のとおり(五十音順)。
岩波文庫 河出文庫&河出i文庫 講談社学術文庫 講談社文芸文庫 光文社古典新訳文庫 新潮文庫 ちくま文庫&ちくま学芸文庫 白水Uブックス&文庫クセジュ ハヤカワ文庫(★9) 平凡社ライブラリー
また、晶文社・東京創元社・白水社・みすず書房の各社については全刊行物の目録を送っていただいて分冊を作った。これらに掲載されている書籍をすべてチェックするのは無理かなあと思いつつ、ともかく調べたときに書き込めるものが手元にほしくて、まずは作成したのだった。
午後は図書館に行くことにして、あわてて昼食をとり、荷物を準備する。