【連載】エピグラフ旅日記 第8回|藤本なほ子
エピグラフ旅日記(10月)
10月某日(6)──エピグラフ探索用データベースと「ameqlist 翻訳作品集成」
9月からここ1か月ほど、「文芸領域の主要な文庫や叢書」のみを対象に、エピグラフの採集活動をつづけている。
いままで、エピグラフの有無を調べた本については、さまざまな出版社から送っていただいた文庫や叢書の目録(の分冊)の各項の頭に、えんぴつで印をつけて記録していた。品切れの本(=出版社に在庫がなくなってしまったけれど、いつ増刷されるのか、そもそも増刷されるのかどうか未定の本)など、目録に掲載のない本については、余白にひとつひとつ書名と著者名、叢書での番号(「赤001-01」など)、エピグラフの有無、確認した日付などを書き込んでいた。
しかし、余白にも限りがある。そもそも、調査結果を編著者の山本さん、創元社の担当編集者の内貴さんと共有したり、調査結果をもとに「エピグラフに引用される作家のトップ10」「聖書をエピグラフにしている作品の数」などなどの統計を(「統計」としてはごく限られた範囲のものになるだろうけれど)とったりするには、いつの日か、すべてコンピュータに入力する必要がある。
そこで、「そこまでやらなくても……というか、やらないほうが……」と思って手を出さずにいたのだが、意を決して、おもな文庫、叢書、全集については、全収録作品のリストをつくることにした。それをまず用意しておき、そこに作品ごとに、エピグラフがあったら「○」、なかったら「×」を、調査日や補足情報とともに書き加えていく。そうして、たとえば「ハヤカワ文庫SFについては全何冊のうち何冊が調査済みで、調査できていない作品はこれこれ」ということが常に把握できるようにしよう、という計画である。
(なお、この方式では当然ながら、単行本については記録できない。また、本調査のメインのデータベースは、探索の旅の中で採集したエピグラフを入力するものなのだが、そこでは「どの作品にエピグラフがあったか」はわかるが、「どの作品にエピグラフがなかったか」はわからない。そこで、作家単位のリストも別につくり、「エピグラフがあった作品名/なかった作品名」や、作家ごとの傾向性など気づいた点を記録していっている)
……と頭で考えるのは簡単だが、さて、いったいどうやってそのようなデータベースをつくったものだろうか。ゼロから手でひとつひとつ入力していくのが良心には叶うが、そしてそういう作業は決して嫌いではないのだが、今回はたぶんやらないほうがいい。手間暇をかけてデータベースを育てあげていくうちに、恐らくそちらの作業に熱中してしまい、エピグラフのことを忘れてしまう。
どこかから、文庫や全集の書名、著者名、刊行年など最低限の書誌情報がシンプルに並べられたデータ(しかも品切れの本も含めたもの)を入手できないものだろうか。それが見つからなければ、たとえば手元の目録たちをスキャンしてPDFデータにし、その画像をOCRで読みこんでテキストデータに直していって、……やはりエピグラフのことを忘れてしまいそう。
各出版社のウェブサイトをひととおり調べてみる。それぞれ、視覚的に見やすく、目的の書籍を探しやすいように設計されている反面、そのまま流用させていただけるようなシンプルな一覧を備えたページは少ない(★1)。
Wikipediaには、「○○文庫」「○○全集」の類がかなり立項されており、中には全書目の一覧を備えたものもあって、 まず概要を知るにはとても助かる(たとえば「世界幻想文学大系」(国書刊行会)など)。とはいえ、これはボランティアの有志がつくっている百科事典であり、記述の根拠や文責の所在が必ずしも明確でなく、調査の基礎資料とするにはやはり少し心許ない。
なにかいい方法はないものか……とインターネットであれこれ検索していたところ、素晴らしいウェブサイトに行きあたった。世の中には、人目に立たないところでひっそりと、すごい仕事をこつこつ進めている人がいるものである。
「ameqlist 翻訳作品集成(Japanese Translation List)」(以下「ameqlist」と略記)
『エピグラフの本』(仮題)に関心を持ってくださるような諸氏には、このサイトをご存知の方も多いのではないか。これは、日本で出版されている「SF、ホラー、ミステリ、文学等の海外作品の翻訳作品」の網羅的なデータベースで、作家名、地域名、出版社名、その他さまざまなSpecialな切り口から検索できるようになっている。「網羅的」と一言でいうけれど、ほんとに、本気で「網羅的」なのである。
このように、索引の入口は10行余りのごく簡単な見た目なのだが、これがとんでもない魔界(あるいは天上界)への入口なのだ。
サイト運営者は雨宮孝(Amemiya Takashi)さん。「since: 1997/ 4/ 8」と記されている。つまり、約25年越しのプロジェクト。「「あの作家の翻訳作品はもっとないのか!」、「この作家のあれは、なんという作品だったか!」に応えられることを目標にしております」「現在、およそ38,000ファイルあります。広告もいれて400Mバイト」と書かれている(2021年10月末現在)。400メガバイトとは、4億1943万400バイト。……これがおよそ何文字くらいに相当しうるのか、概算してみた結果を★2に記しておく。
(2022年9月28日に再度確認したところ、「現在、44,000ファイル以上、あります」と修正されていた。この1年足らずで6,000ファイルが追加されたのか……あるいは、ファイルを分割整理されたのだったり、集計されていなかったページがごっそり見つかったりしたのかもしれない)
トップページから、上の図2の7行目、「出版社索引(Publisher Index)」をクリックして中に入ると、出版社の五十音順のインデックスが現れる。
ここから、たとえばいちばん上の「あかね書房(Akane Shobo)」をクリックし、各社のページに入ると、まず簡単な紹介文があり、その下に「単行本(Hard Cover)」という項目と、同社が刊行したさまざまな叢書の名称が並んでいる。
試しに「単行本(Hard Cover)」をクリックしてみると……
このように、同社が出版した単行本の名前が刊行年順に並んでいる。
「SF、ホラー、ミステリ、文学等の海外作品の翻訳作品」に限定されてはいるものの、もしかして、この勢いで、雨宮さんの目に入りうるすべての作品がリスト化されているのだろうか……? と、恐ろしい考えがちらりと頭をよぎる。
しかも、データはここでは終わらないのだ。ここからさらに、たとえばいちばん上の『イソップ童話』の項目をクリックしてみると、その先のページでは驚くべきことに……
このように、各社から出版されている『イソップ童話』がずらりと並んでいるのである。
いま、クリックして行き着いたのは、このページの途中の、あかね書房の部分だった(URLは「https://ameqlist.com/sfa/aesopus.htm#akane01」となっており、最後の「#akane01」が、ページ中の「あかね書房」の箇所への目印になっていることがわかる)。そこで、このページのいちばん上までスクロールしてみると、
こんなふうになっていて、あ、このページは各社の『イソップ童話』を集めて並べたのではなく、「イソップ」という著者の作品のうち、日本語への翻訳書を出版社ごとに並べたリストになっているのだな、と気がついた(★3)。
各翻訳書については、書名、原典の書名、訳者、発行者、刊行年が記され、改訂版・新版などがある場合はその刊行年も記されている。ローマ字表記以外の人名には、( )でローマ字表記が示されている。
ここで、「ameqlist」のトップページ(=ホームページ)に、「出版社索引」と並んで「Authors Index ラストネーム」があったことを思い出し、トップページに戻ってみる(図2)。もしかして、ここからも「イソップ」の同じページにたどり着けるのではないか。
……果たして、図2のいちばん上の「Authors Index ラストネーム(Last Name)A-Z」をクリックすると、アルファベットが並んだページに飛び、その中の「A」をクリックすると、ラストネームが「A」で始まる著者の名前が列挙されたページに飛んだ。数を数えてみると、なんと1510名! 「A」だけでこれである。「Z」までの総数は……推して知るのが恐ろしい。
イソップ(AEsopus、アイソーポス)は844番目に、「タニア・アービィ(Tania Aebi)」と「ヴァレリー・アファナシエフ(Valery Afanassiev)」の間にいた。
この「イソップ(AEsopus)」をクリックすると、予測したとおり、図8の「イソップ(AEsopus)」のページにたどり着いた。つまりこのウェブサイトは、著者、地域、出版社、編者、有名な賞の受賞作などさまざまな入口が設定されているが、最終的には図8のような「著者ごとの邦訳書一覧」のページに行き着くようにつくられているようだ。
これで、「ameqlist」の構造の大枠の大枠はなんとなく捉えられたような気がする。しかしこのサイトのすごいところは、ハイパーリンクを活かして工夫された構造とともに、収められたデータの圧倒的な「量」である。
実は、今回のエピグラフ調査を本格的に始める前に、「最低限、どの文庫や全集、シリーズを調査対象とするか」を山本さん、内貴さんと検討するため、おもな文庫や叢書のリストを作成したのだが、その時すでに「ameqlist」のリストをお借りしていた。
たとえば、出版社索引から、早川書房のページに飛んでみる。
こんなふうに、出版社の簡単な紹介文の次に、最初に「単行本」へのインデックスがあり、そのしたに「ハヤカワノヴェルズ」「ハヤカワ・ミステリ」「ハヤカワ文庫SF」……と、同社の叢書名が並んでいる。
エピグラフ探索の対象とする叢書などを決めるにあたっては、まず「ameqlist」にある出版社索引をながめて出版社の候補のあたりをつけ、各出版社のページから叢書や文庫、全集の名称をすべて抽出させていただいてリスト化した。
しかし、やはり漏れてしまう出版社もあるし、そもそも「ameqlist」は文芸の翻訳書に特化されているので、そうでない書籍は抜けてしまう。それを補う観点から、山本さんと藤本より「これも入れておきたい」という叢書名を個別に足して、候補リストをつくった。その結果、全部で27出版社、叢書・文庫・全集などの数は700以上となった。そのリストを山本さん、内貴さん、藤本のそれぞれが点検し、「◎」「○」「△」で優先順位を付けて、「この叢書はなるべく網羅的にエピグラフ調査をしよう」という対象を決めたのだった。
このように、『エピグラフの本』(仮題)制作では、そもそもの出発点から「ameqlist」の大きな恩恵を受けている。そしていま、さらに、「○○文庫」「○○ブックス」「○○大系」「○○全集」などのそれぞれに含まれる全作品名の一覧をも、「ameqlist」や他のデータベースのお力を借りながらつくろう、と思い立ったのである。
沼にはまりこまないよう、対象をごくごく限定して。
10月某日(6)つづき──沼にはまりこむ
まずは、岩波文庫はすべて確認したいと考えていた。だから、リスト作成は岩波文庫から手をつけた。
「ameqlist」では、岩波文庫は「1927〜1945年」「1946〜2000年」「2001年〜」および「ワイド版」の4ページに分割されている。ワイド版以外の3ページのリストをまるごとコピーさせていただく。
勝手におじゃまして、お仕事の成果をお借りいたします。ほんとうにありがとうございます。いつか、菓子折を両手に山盛りに抱えて、雨宮さんに御礼を申し上げに参りたい。というか、トークイベントなどにお招きして、詳しいお話をうかがいたい。
ただ、「ameqlist」は翻訳書に限られ、原則として文学以外は収録されていない(実際はそうでもなく、たとえば「アダム・スミス」「アインシュタイン」なども含まれている)。じゅうぶんに膨大すぎる情報量ではあるのだが、偏りは避けるべしと考え、インターネットでさらに別のデータを探す。
岩波書店のウェブサイトでは岩波文庫、岩波新書などの目録のPDFが公開されており、岩波文庫の目録はダウンロード済だったので、まずはここからテキストデータを抽出してお借りする。
東京都東村山市の古書店「哲学堂書店」のサイトに、青帯の0〜200番(日本思想)、601〜699番(哲学)のリストが公開されていた(2021年9月現在 ★4)。これもありがたく使わせていただく。勝手に申し訳ございません。ありがとうございます。
これで、重複分もふくめて約5,700項目となった。現在刊行されていない書目は、黄帯(日本の古典文学)と緑帯(日本の近現代文学)はまったく含まれず、白帯(法律・政治、経済、社会)は一部を除いて含まれていないが、とりあえずはこれでよしとしよう。
3つのデータをそれぞれ整形して、エクセルの同一のフォーマットに落としこむ。IDを与え、各種のラベルをつけ、表記をおおまかに統一して重複分が抽出できるようにする。タイトルの音順にソートし、ざーっと上からながめて、エラーのパターンを調べて、それぞれのエラーをざっくり修正していく。
……ここまでで3日目に入ってしまった。(もちろん、終日この作業だけをしていたわけではないが)
はっと我に返る。私はいったいなにをしているのか。山本さんや内貴さんとともに始めたのは、「岩波文庫の全書目のリストをつくる」という仕事だったっけ?
これは、ちょっと、立ち止まるほうがいいのかもしれない。
おふたりにメールを書く。「深みにはまりました」「私は何をやっているのでしょうか。……おふたりから現実的なご助言をいただけましたら大変助かります」と正直に記して、調査対象の見直しと刊行時期についてご相談すべく、打ち合わせをお願いする。
10月某日(7)──とりあえず図書館へ
とはいえ、調査をつづけないとなんとなく落ち着かないので、打ち合わせを待つある日、とりあえず図書館へ行く。
いままでかなり長いあいだ、ウイルス感染防止のため、図書館の閲覧席が半数に減らされていた。毎日が椅子取りゲーム状態で(とくに電源使用可能な席)、1日2回の「閲覧席券」配布時は15分も前から長い列がつくられていたのだが、ちょうど今日から全席使用可能になったようで、空席もちらほら見えた。図書館の民に平和が戻り、ありがたい。
英米文学の棚のつづき。岩波文庫、白水uブックス、新潮・現代世界の文学(←第4回にも書いたが、装幀を見るだけでじわりと嬉しい。お世話になりました)、新潮クレスト・ブックスなどの叢書に加え、今日はなんとなく「おまけの日」の気分で、単行本も見ていく。
ブライアン・エヴンソン『遁走状態』(柴田元幸訳、新潮社、2014)。柴田元幸さんによる「訳者あとがき」に、エヴンソンがベケットの本を読む体験を描写したことばが引かれていて、面白い。
背表紙の書名に心惹かれる単行本を、今日は次々と手にとってみる。と、気づいたことがあった。たとえば『善人はなかなかいない──フラナリー・オコナー作品集』(横山貞子訳、筑摩書房)は1998年5月初版初刷発行で、同年8月に3刷。マイケル・オンダーチェ『イギリス人の患者』(土屋政雄訳、新潮社)は1996年5月初刷発行で、翌1997年6月に5刷。ジェラルド・カーシュ『壜の中の手記』(西崎憲他訳、晶文社)は2002年7月に初版発行、同年9月に3刷。いずれもハードカバーだが、刊行してまもなく版を重ねている。
これらの作品が当時どれだけの知名度があり、一度に何部ほど印刷されたのかはわからない。一方で現在、外国の小説の翻訳書がどのくらい発行され、読まれているのかも詳しくはわからないけれど、20余年前のこの頃は、現在よりも多くの人が紙の本の小説を読み、購入していたのだのだろうと感じる。
そして、南アフリカの作家ナディン・ゴーディマの短篇集『ジャンプ』をめくっていたら、「幸せの星の下に生まれ」という作品の冒頭に、なんと、先日、『対訳 ブレイク詩集』の中にあって、先人の手で花の付箋が貼られていたブレイクの詩「無垢の予兆 Auguries of Innocence」からのエピグラフが! びっくり!
帰宅してから調べたところ、エピグラフのこの部分は、詩の終わりのほうにある、次のくだりの最後の2行だと思われる(★7)。
一方、『対訳 ブレイク詩集』(松島正一編)で花の付箋が貼られていたのは、詩の冒頭の次の箇所(★8)。
たまたまこの2冊を短時日のうちにつづけて開いた私にだけ起こりえた、ごく個人的な経験だけれど、偶然の符号に驚く。エピグラフが、花の付箋に行く先を指し示されて異界をつないでしまったよう。超自然的、ブレイク的である。
10月某日(8)──やんわりと軌道修正
今日は、仕切り直しのため、オンラインで打ち合わせ。調査の網を(自ら好き好んで)広げすぎ、これでは来年秋はおろか、いつ本が刊行できるかわからない……という内情を山本さん、内貴さんにお伝えし、相談する(★9)。
山本さんより、
「藤本さんが作成なさったリストをすべて調査できたらほんとうに素晴らしいが、すこしばかり無理があるように思うので、まずは幾つか全集を選んで調査し、その後「人」単位で、「この人は必ず調査しよう」という作家の著書を調べてゆくのはどうか」
と、至極もっともでバランスのとれた方針案をいただく。さらに、
「「エピグラフに引用される作家ベストテン」などの統計的なデータを示せたら面白いが、それも、調査対象の範囲を限定し、「これこれの全集や叢書を調査しました」などと、母集団をちゃんと謳うのがよいのではないか」
とのご提案をいただき、この本でのエピグラフ調査の対象は巻末などに明記しましょう、と3人で意見が一致する。
おふたりと話し、深みにはまりつつあった自分のエピグラフ探索活動(というかリストづくり)が、大きくは肯定されつつやんわりと軌道修正していただけたと感じられ、ほっとする。……「肯定されつつ」という部分は思い過ごしかもしれないが。
山本さんより「ほかのお仕事のこととか、採算のことも考えて……」とご心配の言葉をいただき、恐縮する。