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記事一覧

漫画版『うつ病九段』をうつ病?の自分が読んだ感想など

漫画版『うつ病九段』をどうにか読み終えた。長谷正人先生がすすめておられたので原作本は既に読んでいるし、文春オンラインで連載されていた漫画版も全部読んでいたし、いわば何度目かの再読ということになるのだが、脳がダメになっているのか内容を全然覚えておらず、たまに「あっ、ここ連載中に読んだな」と気付く程度だった。
なお僕はいちおう「うつ病」という診断を仮につけられてはいるが、双極性障害や難治性うつ病ほか別

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水野しず『きんげんだもの』を読んだ

水野しず・著『きんげんだもの』(幻冬舎、2021年)から、気に入った金言を順不同で紹介していきます。なお引用するのは金言のみです。金言よりもありがたい内容が書いてあるコラム?エッセイ?のほうは敢えて引用しないので本を買って読みましょう。あと金言に添えられたイラストもGood!なので買って読みましょう。

この世で最もありがたいのは 水

これは真理ですね。僕は糖尿病予備軍なのか心因性多飲症なのか知

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いわゆる「進歩的文化人」たちのWikipediaページについて

タイトルの通り、いわゆる「進歩的文化人」とみなされる作家・評論家・学者などのWikipediaページに関して、思うところがあったので記事にします。具体的に言えば、その人物の功績以上に、戦前戦中と戦後の言動の不一致や旧社会主義国およびその指導者への親和性の高さなど、糾弾の対象となるような記述が(恐らく右派のウィキペディアンによって)いささか不当なかたちで強調されていることです。
現状、ある人物につい

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日記(le 13 juin 2021)

落ち込んでいることここ数日、ツイッターなどで落ち込んで、死ぬのなんのと言っているのは、ごく簡単に言ってしまえばある専任ポストの公募に落ちたためです。こちらとしてはかなり力を入れて書類を作り、業績も揃え、せめて面接までは行ってくれ……!と願って応募したのですが、薄っぺらな茶封筒にA4ペライチの、わら半紙のように質の悪い紙で、お祈りの手紙が届きました。たぶん、大学での教歴がまだない(非常勤は今年の9月

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あの人が牛だったの。

まえおき『美少女戦士セーラームーン』主題歌として知られるDALI「ムーンライト伝説」(作詞・小田佳奈子、作曲・小諸鉄矢)にメロディを流用されたKEY WEST CLUBの「夢はマジョリカ・セニョリータ」という楽曲があります(作詞・川島だりあ、作曲・小諸鉄矢→川島だりあ)。作曲に「→」を入れたのはCD発売時にクレジットが変更になったからです。小諸鉄矢はCM NETWORKなるTM NETWORKをも

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日記(le 15 juin 2021)

書きかけている記事のこと書きかけたまま放置している記事は今のところ2件ある。

ひとつは前々から言っている、いわゆる「進歩的文化人」たちのWikipediaページに当人の業績以上に詳しく「左派的な立場をとることの偽善性への揶揄・非難」が記述されていないか、という問題について。これは取り上げる人物・ページも大体決まっており、特に一部人物の揶揄・非難のために使われている書籍『学者先生戦前戦後言質集』や

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日記(le 4 juin 2021)

歌人として致命的な欠点のこと歌が暗唱できない。記憶していても上の句だけとか下の句だけとか、一部だけということが多い。早稲田短歌会の歌会に初めて出たころ、とにかく先輩たちが何か先行する歌の話題が出るとすぐにパッと暗唱できるのに驚いた記憶がいまも鮮明に残っている。僕が暗唱できないのは短歌だけでなく俳句や川柳、近現代詩でも同じ。短いフレーズを覚えておくのも苦手で、それは日本語だけでなく英語やフランス語で

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日記(le 1er juin 2021)

大学教員としての安東次男のことふと思い立って安東次男のことを国会図書館ndlサーチで調べたら、東京外語大の教授だったのに紀要論文、というかアカデミックな形式の論文をなにひとつ書いていないらしいことを知って衝撃を受けた。
戦後しばらくはフランスの抵抗詩人やシュルレアリスムに関心があったらしくアラゴン(『レ・コミュニスト』の共訳)やエリュアール詩集などの翻訳はいくらかしているし、サガン『悲しみよこんに

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落合太郎メモ

京都帝大で仏文学・言語学の教授として研究と教育に当たったあと、旧制三高や奈良女子大学で名校長・名学長として知られた落合太郎の経歴について、Wikipedia含めweb上にはほとんど見られない色々のエピソードが集まってきたので、そのうちしっかり原典に当たり、出典を明らかにしてまとめて記事にしたいと思っている。これはそのための準備的なメモ。

黒岩涙香との関係印刷業を営んでいたものの零落した?父親が知

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フラグメント001

エクスタシスはabsence du moiであるが、それを語るに際して非人称の話法に訴えず、むしろ『無神学大全』期のバタイユは一人称単数代名詞の主語を多用していることからmais il y reste encore le jeということが言える。私=自我(moi)が名詞であるのに対して、jeのほうの「私」は空虚な指示詞である(バンヴェニストの代名詞論)。非人称によってmoiの不在を語ることは、とも

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フラグメント002

アフォリスム風に求道者であることと怠惰であることとは、たぶん両立する。自分では怠惰のゆえに退けているとばかり思っていた様々のことが、はたから見れば求道のために不要なものを切りつめていく態度でないとはいえない。苦行のなかに身を置いてじっと耐える求道者は、一日じゅう寝床を出ない無精者にも見えるだろう。

ジャン・ルーシュを読んで観測者(observateur)ないし観客(spectateur)であるこ

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初めてマラルメを読んだ頃

自己は確実な将=来たる〈死〉のための唯一の場所として在るがゆえに、〈わたし〉という将=来を蔵した個人的【ペルソネル】な存在となる。虚構【フィクション】とは恐らく将=来しないものの謂だ。そしてあらゆる方法【メトード】は論理や物語や韻律を追うために利用される、言語による虚構【フィクション】である。

方法【メトード】は全て個人的【ペルソネル】なもの(たとえば、デカルト)に始まり、それを突き詰める(たと

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矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん!』私的註釈

昔やっていたブログに、2017年のクリスマスイブを潰して書いた記事をここに再掲します。インターネット・アーカイヴで見付けてくださった白江さん、ありがとうございます。

ずっと読みたかった矢作俊彦の改変歴史SF大作『あ・じゃ・ぱん!』を読んだ。
第二次大戦の終結が史実とは異なったかたちになったため、ドイツや朝鮮半島のように東西に分裂してしまった二つの日本、西側の「大日本国」と東側の「日本人民民主主義

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階段と死の寓話――福永武彦『塔』とマラルメ『イジチュール』(『雛罌粟』3号掲載)

5年後からのまえがきこの文章は2016年に詩誌『雛罌粟(コクリコ)』に書いて載せてもらったものです。一時期マラルメの「イジチュール」に強い関心を寄せていた僕は、『福永武彦戦後日記』に彼のデビュー作となった短篇「塔」がこの「イジチュール」を念頭に置いて書かれたものだったことを知り、比較文学の論文にしたいと思っていました。しかし僕はマラルメの研究者でも福永の研究者でもないし、博士論文を完成させるために

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