記事一覧
吐いた言葉を飲み込んでいく
いわゆる「ブログ」という媒体を
始めたのは高校生の頃。
そう考えると、17歳とか18歳ぐらいから
やっては消して、やっては消してを繰り返している。
現在37歳
20年ぐらいどっかで言葉を書いている。
辞めて辞めて辞めて、
また書きたくなって
辞めて辞めて辞めて、
また書きたくなって
20周年記念、というわけではないが、
一つ一つ思い出してみようと思う。
①2003年頃〜2005年
6/26 くだらない理屈
こうしなければいけない
ああしなければいけない
あれはダメ
これはダメ
こうすべきだ
ゴニョゴニョゴニョゴニョ言ってる間に
気づけば思ったより歳をとった。
Twitterの使い方はこうだとか
インスタはこうだとか
noteはターゲットを絞ってとか
そんなことを考えているうちに
めんどくさくなって何も続かなかった。
そんなことを繰り返すぐらいなら、
ごちゃ混ぜでいいから
6/24 知らず知らず疲れて
あれだけ好きで、人生を共にしてきた
ラジオを聴かなくなった。
聴かなくなったというか、聴けなくなった。
いつものように再生してみるものの、
「ああ、今はいいや」って消してしまうことが多くなった。
あれだけ好きで、人生を救われ続けてきたバラエティやお笑いを見なくなった。
いつものようにテレビをつけるものの、
なぜかしんどくなって消してしまうことが多くなった。
あれだけ好きで、休みの日に読んで
6/16 陰の者、陽の者
学生時代にお笑いにハマってからというもの、
演劇やラジオ、観てる映画も本もアニメも音楽もサブカル界隈を通ってきたので、
あと、学校で人気のあるタイプでもなく、
ごく少数の男子にウケる人間で
思春期に周りとうまくいかなくて、
高校は地元から離れた男子校に行ったという経歴もあって
自分は陰キャ属性の人間だとして生きてきた。
だから、趣味を探すにしても、
ハマれるものを探すにしても
インドアなも
君と私のどきどきキャンプ
休みができたら、キャンプに行く。
そんな過ごし方が、少し板についてきた気がします。
キャンプは敷居の高いものではなくて、
もっと気軽なものだということが、分かってきました。
本日はこちら
京都、南丹市日吉ダムのキャンプ場
川のせせらぐ素敵なキャンプ場に。
天気が少し心配でしたが、
ポツポツ程度で済みました。
なによりも
自然がきれい。
何度かキャンプをやって、
家帰って、キャンプ用具
はじめたて!私のキャンプ
前回、ソロキャンプに興味あるって記事を書いたら
note公式のマガジンに入れていただけたみたいで
沢山の人に読んでもらえた。
非常にありがたい。
他のクリエイターさん達の
素敵なキャンプ記事が並ぶ中
僕のどうでもいい「斧」の記事がそこにあって
場違いで恥ずかしい。
ただ「斧」と言いたいだけの記事が、
皆様のキャンプライフを汚してしまってないかと
思う次第です。すみません。
note公式の斧が僕
5/23 そんな夜を探してる
いつぞやもこんな記事を書いたと思うんだけど。
この為なら、時間を捧げられるという趣味や特技がない。
最近YouTubeで、プロゲーマーの動画を見る事にハマってるんだけど、
当たり前の事だけど、
プロゲーマーの人達って
めちゃくちゃ楽しそうにゲームをプレイするし
めちゃくちゃ悔しそうにゲームをプレイする。
こんなにも感情が揺さぶられることって、
僕にはないなあと思うね。
その代わりと言っては
5/21 KYOTO SUNRISE
もうちょっとだけ、京都の話。
ハンナさんのお店を訪ねた時に、
「ああ、そういえば吹山くん、知り合いから良ければって言われた話があるんだけど」
「ん?」
「平安神宮で京都サンライズって音楽イベントがあって、そのチケットあるんだけど、行く?」
「あー、土曜なら空いてるから是非」
「友達いれば、他の人も誘っていいよ、友達いればね、友達いればだけど」
「友達はいねえ!てか知ってて言ってない?
5/20 タイムスリップフリーハグ
柄にもなく、
小説っぽいのを書いたものですから、
何だかその世界がずっとまだ残ってて、
抜け出せていません。
俳優さんが「その世界に入り込んで、役が抜けない」というのはこういう感覚なのでしょうか。
なんにしても、
デトックス期間が必要そうです。
この話を書くにあたって、
しばらく京都にいたのですが、
舞台となる飲み屋さんを久々覗いたら、
10年前にいた何人かの常連さんと再会することができまし
あいまいな夜 あとがき
人は過去を美化しようとする
やっぱりそんな気がしています。
前々から形にしたいなと思ってきた事でしたが
物語とは言え過去の恋愛ベースなんて「誰が興味あんねん」と
物語にすることで「美化」して「良かったもの」として出すことに
違和感を覚えていて、ずっと書けずにいました。
未だに、こうやって形にしてよかったのかという葛藤があります。
物語の結末は、いくらでもハッピーエンドにすることは出来たので