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在日あれこれ

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在日韓国人三世として見たこと、聞いたこと、思ったこと、感じたこと。
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記事一覧

夢の88オリンピック

夢の88オリンピック

 韓国・慶尚北道のある村、田んぼのど真ん中に「愛郷同胞」の記念碑が建っている。生まれ故郷のこの村に日本から多くの寄付をした僕の母方の祖父の名前が刻まれている。かつて韓国を恐怖政治体制を敷き、一方では発展をもたらした朴正熙大統領もこの近くの出身で、いまでも祖父方の親戚の家に行くとかの独裁者の肖像画がかかっている。むこうのおじさんは「この町に高速道路が通ったのは朴正熙のおかげだ」というが、どう見ても村

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結婚するなら朝鮮人

 母親方のいとこたちはひとりを除いてみな日本人と結婚した。残るひとりのお相手はベトナム人である。対する父方のいとこたちは同胞と結婚した。
 こう並べると僕の母方の家族よりも父方の家族のほうが民族色が強い。そう判断できそうだが実際のところは逆で、母方は韓国民団の幹部や民族学校卒業生を何人も輩出したが、父方家族は民族団体や学校にかかわらないだけでなく在日であることを隠そうとするほどである。それでも同胞

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名前をひとつ捨てること

 李という姓だけを名乗るようになって早3年ほどが過ぎた。在日韓国人で生まれ、10歳のときに親といっしょに帰化して、日本語の名前が戸籍上の表記だという期間が14年ほどあった。その間に2度、大学生のときと大学を出る前に家庭裁判所に姓改名の申し立てをしたが却下され、弁護士を紹介してもらって20万円で解決したわけである。数字がたくさん出てきて申し訳ない。

 在日韓国人にとって名前はアイデンティティのひと

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戸籍の読み仮名記載と自分への影響

戸籍と読み仮名

こんな記事が発表されていました。戸籍に読み仮名を届け出させるという話です。
じつは2023年現在の日本の戸籍制度では読み仮名を記載していません。
戸籍に載っているのはその文字だけ。なので「中島洋子さん」という方がいるとすると、戸籍には「中島洋子」としか書かれていなくて「なかしまようこ」なのか「なかじまひろこ」なのかがわからないということになります。もちろん本人に問い合わせればわか

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日本人の習慣がわからない話

日本人の習慣がわからない話

 僕の両親は在日韓国人で、そのまた両親(つまり両祖父母)は韓国出身である。血縁の親戚は全員が韓民族ということになる。
 父方は祖父が代々キリスト教徒なので父方宅では祭祀がない。祖母はもとは共産主義者で大韓民国サイドに転向した非キリスト教徒なのだが、北送(帰国事業)で7人きょうだいのうち5人が北韓国(北朝鮮)に行ってしまったので祖母のほうで祭祀が受け継がれなかった。

 一方、母方の家は韓国式の祭祀

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手も足も出ません

手も足も出ません

 高校生のときは不登校だった。といっても家にこもっていたわけではなく、朝起きてちゃんと制服を着て、授業の準備をして電車に乗っていた。学校に行かず公園に行ったり、近くのカフェで時間をつぶしたり、図書館で夕方まで時間を潰すなど、そんな生活を送っていた。
 どうして学校に来ないのだと言われると「わかりません」だった。学校が嫌だというわけではなかったし、同級生と仲もよかった。行けば楽しいのはわかっていたが

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「日本と韓国どっち応援するの?」というよくある質問

 サッカーワールドカップは日本がグループリーグを突破し、クロアチア戦で敗退したものの、世間ではたいへんな盛り上がりをみせていたようである。我が家でも父親が夜中にテレビで大音量で観るもんだからたまったもんではなかった。
 僕は個人的な理由からサッカーが好きではないので(この理由については語れば長くなるので割愛)サッカーワールドカップも観ないのだが、このようにスポーツ大会が盛り上がるのはいいことではな

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祖父のソウル賛歌

祖父のソウル賛歌

 1950年6月25日、北朝鮮が北緯38度線を越えて南側に侵攻してきた。日本では朝鮮戦争と呼ばれるこの米ソの代理戦争は、韓国では「韓国戦争」やその開戦日を取って「6・25戦争」と呼ばれることが多い。朝鮮半島に大きな爪痕を残したこの戦争はもちろん民間人も巻き込み、人々の人生を大きく変えた。
 勢いをつけた北韓国の人民軍は南部の洛東江(川)まで一気に攻め込んだ。大韓民国政府ごと玄界灘に飛び込み「アカ」

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自分のルーツを知るとき

 中高と韓国系民族学校を卒業したのだが、小学校は地元の公立小学校に通っていた。ついでに幼稚園も地元である。中高のあいだだけでもまわりが韓国人ばかりの環境にいたので、日本の大学に入って名簿を見たときに周りが日本人だらけで逆カルチャーショックを受けたものである。

 僕は気が付けば在日韓国人であることを知っていた。物心がついた時には「武田」という名前とは別に「李」という名前があって、親から「お前は韓国

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森本のおっさん

 民族学校に入る前、地元の韓国民団(在日韓国人団体)の支部の韓国語教室に通っていた。大きな支部ではないので子ども向けクラスがなく大人といっしょに学習するのである。先生は韓国に留学経験もあり韓国語教師としてのキャリアも長い在日韓国人の先生で教え方も上手かった。そんなかんじで、ぼろい支部会館の会議室で韓国語の基礎を学んだ。

 父親に文字を教えてもらっていたこともあって、入門ではなく初級クラスから勉強

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我が家の帰国運動

 久しぶりに祖母の家を訪ねた。大阪の北側、北摂地域でひとり暮らしをしているので、近くに用があったついでに寄ったのである。ばあさん孝行な孫である。母方の祖父母と父方の祖父がこの世を去ったいま、90近い祖母しか残っていない。幸いなことに、足腰以外は元気なので長生きしてくれるだろうと思うのだが、めったに顔を見せない孫がひとりで来たので後日「もう死ぬんかと思ったわ」などという話を父親にしていたそうである。

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日本語を生きた人たち

 もうすぐ100歳である。慶尚北道の山間部に住む、母方の祖父の姉のことだ。旦那さんも元気である。いちおう自分は民族学校で韓国語を学んできたが、母方の祖父の姉はあまりにも方言がきつすぎるため「マイルドな慶尚北道方言の通訳」を挟まないと話せないほどだ。いつも訪問すると手のひらに柿を持って包丁で切ってくれる。そして「食べなさい」とその切ってくれた柿を食べる。「食べなさい」は、母方の祖父の姉が、唯一知って

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韓国学校の青春②

 前回の続き。今回はカルチャー的なところというか、言語環境や学校行事などの紹介である。

特殊な言語環境 大学のとき、朝鮮学校出身の先輩たちによくしてもらっていたが、朝鮮学校卒業生は朝鮮語と日本語の混用がひじょうに多いことに驚かされた。「미안합니다 電車が止まってる때문에 少し遅れる입니다(すみません電車が止まっているので少し遅れます)」なんてのを聞いたときはたまげそうだった。女性は日本語で話すと

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韓国学校の青春

 高校生がもう10年前という年齢にきてしまった。じきに卒業して10年、入学したときの二倍の年齢、卒業してから二倍の年齢、と歳を重ねていくのだろうと思う。あのときフラれた女の子はもう結婚するそうである。

 中高生という多感な時期を韓国学校というなんとも特殊な環境で過ごしてしまった。特殊とはいっても、当の本人たちは普通の学校と比べようがないのだからそれが特殊かどうかはわからない。しかしあの環境がほか

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