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日本語を生きた人たち
もうすぐ100歳である。慶尚北道の山間部に住む、母方の祖父の姉のことだ。旦那さんも元気である。いちおう自分は民族学校で韓国語を学んできたが、母方の祖父の姉はあまりにも方言がきつすぎるため「マイルドな慶尚北道方言の通訳」を挟まないと話せないほどだ。いつも訪問すると手のひらに柿を持って包丁で切ってくれる。そして「食べなさい」とその切ってくれた柿を食べる。「食べなさい」は、母方の祖父の姉が、唯一知って
もっとみるもうすぐ100歳である。慶尚北道の山間部に住む、母方の祖父の姉のことだ。旦那さんも元気である。いちおう自分は民族学校で韓国語を学んできたが、母方の祖父の姉はあまりにも方言がきつすぎるため「マイルドな慶尚北道方言の通訳」を挟まないと話せないほどだ。いつも訪問すると手のひらに柿を持って包丁で切ってくれる。そして「食べなさい」とその切ってくれた柿を食べる。「食べなさい」は、母方の祖父の姉が、唯一知って
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