名前をひとつ捨てること

 李という姓だけを名乗るようになって早3年ほどが過ぎた。在日韓国人で生まれ、10歳のときに親といっしょに帰化して、日本語の名前が戸籍上の表記だという期間が14年ほどあった。その間に2度、大学生のときと大学を出る前に家庭裁判所に姓改名の申し立てをしたが却下され、弁護士を紹介してもらって20万円で解決したわけである。数字がたくさん出てきて申し訳ない。

 在日韓国人にとって名前はアイデンティティのひとつだといわれる。日常的にはすべての場面で日本語の名前、金本さんとか国本さんとかで生活していても、ふだんは出さない真の名前がある。それは金なんとかさんとか李さんとかさんとかなわけだが、最近は生まれながらにして日本語の名前の日本国籍だったり日本国籍に帰化して日本語の名前しか名乗らなかったりという人であれば、民族名なるものはもはや使う場面もないし、うちに秘められた名前であるともいえる。自分の「民族名」を知らないという人も増えた。
 韓国籍であれば外国人登録証や韓国の緑色のパスポートに書かれた見慣れない名前が自分の「本名」なんだなあと思うこともあるのかもしれないが、そうでなければ自分の民族名を知らなくなって生きていける。

 一方、人によってはその民族名にこだわるのだという人もいる。僕のようにいちど日本名で日本籍になっていたのにわざわざ民族名に改姓する人間なぞ傍から見ればこだわっているそのような在日韓国人のひとりだ。こだわらなくても幼いころから民族名しか使っていないので、朴某以外に名乗る名前のないという人もいる。

名前ってなに?
バラと呼んでいる花を
別の名前にしてみても美しい香りはそのまま
―『ロミオとジュリエット』シェイクスピア(小田島雄志訳)

金城一紀『GO』角川文庫, 2007.

 僕のバイブルともいえる、在日韓国人の青年が主人公の小説はこの一節から始まる。「お前の愛する俺が誰だろうと関係ないだろう」とでも言いたげなこの小説をいちどは読んでみてほしい。ジュンク堂の角川文庫棚に行けばある。僕のバイブルだと表現したように、この小説には全信頼を置いているのだが、僕が容認できなかったのは名前についてだった。
 もちろんこの引用に際して考慮するべき背景は存在する。しかし僕には隠す名前もなかったし隠すつもりもなかった。それはこの小説の主人公も言っていることだが、決定的に違うのは僕が隠したくなかったことだ。外に出て日本語の名前で呼ばれたときに「俺は李っていうんだよ」と何度も訂正したくなったものである。

 僕が日本語の名前を捨てるとき、両親をはじめ親族全員から反対された。何が悲しくて今さら「李」になるのだと何度も言われた。ふだん日本語の名前だから隠せているのに韓国人だとわかれば必ず不利益を被る。採用試験を通過したのに韓国人と分かった途端に採用を見送られた、日立就職差別事件を見てきた世代は切実だった。
 親は先ほど引用した『GO』の著者と同じ世代を生きている。きっと彼らは名前に対して敏感で、バラの香りは二の次だったのだろう。

 「うちの通名は神田というんです。民族名は姜(かん)。祖父が『俺は神田(カンだ)』と言えるようにこの名前にしたと聞いています。長男のこの子がうまれたときに、通名の欄にはなにも書かずに出したんです。俺は姜だ。そういう子に育ってほしくて」
 高校の同級生の父親から聞いたことばだ。僕の父親と年齢はそう変わらない。きっと彼の父親は悩んだ末に通名を名乗らない、いや、「名乗らせない」選択をした。
 もっともこれは彼を天の国に見送るための葬儀で聞いたことばだった。そうでなければ民族意識の高い在日韓国人のじじいのわがままにしか聞こえなかったかもしれない。彼は姜という名前を背負って在日韓国人を生きた。自ら命を絶ったことと名前にはなんの関係性もないだろうが、父親にとっては名実ともに「俺は姜だ」と名乗ることができた、神から授かった最愛の子だったはずだ。

 僕が民族名を名乗って生きる決心をしたのは姜君と出会った民族学校でだった。とうぜん僕も在日韓国人なので日本名を名乗る必要性がなく民族名で通学した。殆どの生徒が民族名を当たりまえに名乗る環境だからこそ、その自由が学校外で享受できていないことに違和感を覚えた。そのときには既に戸籍上の名前は李ではなかった。
 姜君をはじめ、学友は与えられた名前を当然のように名乗っているだけだったはずで、それが僕にとっては羨ましかった。あまりに大げさかもしれないが、李を名乗ることは自由への渇望だったのかもしれない。

 お酒の飲みすぎで若くして世を去った母方の叔父の位牌には民族名が書かれた。生前はもちろん日本名でしか生活をしていなかった叔父の最期は、本国韓国から来た僧侶に、自分はまったくわからなかった韓国語のお経が極楽へのはなむけとなった(もっとも、日本語読みでもわからないものだが)。
 姜君のように生まれたときから民族名しかなかった人もいれば、死してから本名を名乗る者もいる。

 僕が民族名を取り戻したのは洗礼のときだった。弁護士を雇い改名を認められる1年前の復活祭に、洗礼名となる殉教者の名前に並んで李の文字が躍った。名乗る名前は自由だが、その生殺与奪の権を自分で握ることは困難なのである。

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