韓国学校の青春

 高校生がもう10年前という年齢にきてしまった。じきに卒業して10年、入学したときの二倍の年齢、卒業してから二倍の年齢、と歳を重ねていくのだろうと思う。あのときフラれた女の子はもう結婚するそうである。

 中高生という多感な時期を韓国学校というなんとも特殊な環境で過ごしてしまった。特殊とはいっても、当の本人たちは普通の学校と比べようがないのだからそれが特殊かどうかはわからない。しかしあの環境がほかの学校と少し違っていたのだということだけはわかる。授業中に日本語と韓国語が飛び交い、黒板にはハングルが踊り、集会では愛国歌(大韓民国国歌)が流れる。一学年は40人前後、朝学校に登校すれば안녕하세요(韓国語でおはようございます)なんていう経験そうそうないだろう。もちろん世の中には「ごきげんよう」が挨拶の学校もあるとは聞いているが、そんなお嬢様学校でも化学の授業を韓国語ですることはあるまい。

 日本に四校しかない韓国学校のうちの二校に通った。これだけで半分を制覇したことになる。当時を知っている人からすると「おまえサボってばっかりで学校に来てなかったじゃねえか」と指をさされるかもしれないが卒業証書まで受け取っているのは紛れもない事実である。

 在日韓国人でもいまどき民族学校に通ったという人は多くない。おなじ同胞からもよくあれこれ尋ねられる世界である。そんな韓国学校の世界を少しだけでもいいので語らせてほしい。高校生が10年前になってしまったおっちゃんの備忘録である。

韓国学校のはじまり

 韓国学校というとときどき「朝鮮学校ですか?」と訊かれることがある。たしかに民族学校という枠組みではあるが、名前が違うからにはモノ自体も違うものだと思ってほしい。

 まず名前が示す通り、韓国学校は韓国の学校であり、朝鮮学校は朝鮮の学校である。この朝鮮は北韓(北朝鮮)だと思ってもいい。そして少し長くなってしまうが民族学校の起源について少し語らせてほしい。

 民族学校が日本にできた当初は反共とか金日成とか、とにかくイデオロギー性を帯びたものではなく、むしろ民族主義的な意味合いが大きかった。民族学校の多くは一部を除いて、その起源を日帝敗戦後に日本各地にいた朝鮮人が帰国前に子供たちにことばを教えようと始まった、学校というよりは私塾的なものだったという。あの難しい時代に撮った映像が残っていて観たことがあるのだが、掘っ立て小屋のような建物に子供たちが集まって韓国語を勉強しているのである。

 朝鮮人学校は韓半島(朝鮮半島)に大韓民国と北韓国(朝鮮民主主義人民共和国)が成立し、ある程度の政治色を帯びていくようになるのだが、そのあいだにGHQによる朝鮮人学校閉鎖騒動などがある。この際、阪神教育闘争という民族教育の権利を巡って衝突が起きた。閉鎖した理由は朝鮮人学校が共産主義の温床になると警戒したため、などいろいろな理由があるが、自分は民族教育の権利を奪いたい日本がGHQに入れ知恵したのだろうと思っている。その後、民族教育の保証のために公立の朝鮮人学校というのができ、さらに韓国戦争(朝鮮戦争)を経て・・・という話ができるのだが、このへんを細かく話していくと長くなるし本題とは関係なくなっていくため割愛する。とにかく戦後、朝鮮人学校としてできた私塾的なものが紆余曲折を経て学校としてのかたちができ上がっていった。

 1950年代、これらの朝鮮人学校は大きな転機を迎える。北韓国が在日同胞のための教育を支援すると申し出たのである。日本もまだ貧しく、韓半島も戦乱で南北ともに荒廃していた。折しも世界的に共産主義が流行っていた時代に、金日成が率いる北韓国は南に比べれば資源が豊富で、ソ連のバックアップもある共産主義の「祖国」は魅力的であった。こうして少なくない在日同胞が北韓国の側についたが、その流れで朝鮮人学校は北韓国の支援を受ける「朝鮮学校」として学校としての体裁を整えていく。

 一方、南側には大韓民国という国家がある。西側陣営についたこの国家は、多くの在日朝鮮人の故郷がある南側地域を支配しているものの、ちっとも魅力的な国家ではなかった。いまでこそ先進国であるが、父親のことばを借りるのであれば「乞食の国」。いまの日本から見れば信じられないかもしれないが、当時は北が豊かで南は貧しく、政治的にも北は安定し南は混乱していた。在日同胞は北側を「自分たちを支援してくれる国家」、南側を「自分たちが支援しないといけない国家」だと認識した。そういった事情から朝鮮人学校は朝鮮学校となることを選んだのである。

 しかし、すべての在日同胞が北側のシンパにならなかったように、学校も分裂した。北側につかないと決めた学校が、太極旗(大韓民国の国旗)を掲げたのである。これが韓国学校のはじまりであるといってもいいだろう。

 朝鮮学校は日本に何十とあるが、韓国学校ははじめのほうに書いた通り四校だけである。朝鮮学校は大学までついているが、韓国学校は高校まで。東京韓国学校は朝鮮学校とおなじく各種学校扱いだが、僕の母校・大阪建国学校と大阪金剛学園、そして京都国際学園はいわゆる一条校と呼ばれており、日本の学校としての認可を受けているのである。それとと同時に韓国の認可も受けているので韓国のカリキュラムもこなすことになる。卒業資格は日韓両国のものになるのだ。

日韓両言語が飛び交う授業

 「韓国学校って授業は韓国語でするんですか?」というのはいちばん多い質問である。前述のとおり、韓国学校は韓国の学校の許認可申請を受けているし、なにより韓国学校というくらいだから韓国語でするものだろうと思うのは当然だろう。ところがこの質問の答えは「先生による」といったところであろうか。韓国語ネイティブの先生なら韓国語で、日本語ネイティブの先生なら日本語で、といった具合である。

 ところが韓国語ネイティブの先生でも日本語がペラペラの場合もあるし、日本語ネイティブの先生でも韓国語ができるという先生は少なくない。もちろん在日韓国人の先生もいるし、日本人の先生もいる。日本人の先生は、留学だったり仕事で住んでいたことがあるなど、韓国となにかしらで関わっているという人が多い印象である。日本語で授業をしていても先生が韓国語で解説を入れたり、韓国語での授業でも日本語で注意をしたりする。

 確実に韓国語で授業をするのは「国語」である。韓国学校で国語というと韓国語のことである。韓国でも学校の韓国語の授業のことを国語と呼ぶように、韓国学校でも国語は韓国語の授業のことを指す。

 この国語の授業は習熟度別である。日本学校(一般の学校はこう表現される)出身で韓国語がさっぱりですという生徒から、本国出身の韓国語ネイティブの生徒までいるのである。彼らをいっしょのクラスに突っ込んでも授業が成り立たないので、だいたい三段階か四段階くらいにクラスを分けるのだ。このクラスは学期ごとに入れ替えがあるので、習得が早い生徒ほどぐんぐん上に進んでいく。幼稚園や小学校から通っていれば中学校後半から高校くらいにはネイティブと同じクラスまで進むことが多い印象である。

 そうそう、韓国学校は生徒の入れ替わりがある。建国学校は幼稚園から高校までついているが、進学の節目ごとに出て行ったり入ってきたりする。一貫校であるが一貫校ではない、といえばいいか。小学校だけとか、小中だけとか、中学だけ、中高、高校だけ、幼稚園から高校まで、なかには中学校だけ日本学校に行って高校で出戻り、などいろいろなパターンの生徒がいる。だから中学や高校に上がるタイミングで韓国語が全く分からない生徒が入ってくるのである。

 韓国出身の生徒の中途編入も多い。親の仕事の都合できました、みたいな生徒がある日突然、転校生として現れるのだ。韓国出身の韓国語ネイティブで日本に来たばっかりの日本語がぜんぜんできない生徒と、日本出身の韓国語がぜんぜんできませんな在日の生徒が同じクラスにいる。先生はやりづらいかもしれない。

 では日本の学校でいう国語はなんというかというと「日本語」である。ふだんは「日語」と省略される。もちろん教科書は日本のふつうの学校で使うものと同じものを使うので国語と書いている。韓国出身のネイティブで日本語ができない生徒は日語の授業のときに基礎日語班というところで日本語の基礎を叩き込み、だいたい半年くらいで日本語でする日語の授業に合流する。韓国学校に通っていてもふだんは日本にいるからか韓国語ネイティブが日本語を身に付けるのは早い。それに授業や教科書が日本語となると日本語を覚えなければ死活問題である。日語の授業はもちろん確実に日本語である。

 ほかの授業はほんとうに先生次第である。日本語で書かれた英語の文法のテキストを韓国語で解説、みたいな軽いバグみたいな授業もあった。理数系科目は用語がだいたい漢字語なので韓国語にある程度慣れれば漢字の読みもわかってくるので韓国語で授業をされても問題ない。ただし先生が話す言葉や黒板に書いてあることばが韓国語でも教科書は日本語である。

 韓国語ができない日本語ネイティブの生徒や、その逆で日本語ができない韓国語ネイティブの生徒は困ることになる。先生の言うことがわからない、黒板に書いてあることがわからないとくるのだ。助け合いの精神というのはこういうときに生まれるもので、だいたい把握している生徒がわかっていない生徒を助ける。

 定期考査の問題用紙は国語と日語以外はだいたい日韓両言語で書いてある。日本語ができない先生でもそのときは他の先生に翻訳を頼むのだという。回答も日本語か韓国語どちらで書いてもいい。手で書くのは圧倒的に韓国語のほうがラクなので韓国語でしゃしゃーと書いたりすることも多かった。

韓国語は身につくのか

 「韓国学校出身なら韓国語できるんですか?」と尋ねられることも多い。最近は韓国がファッションやポップミュージックの一端を担うようになり、ええかっこをしたいときは「えへへ・・・まあいちおう(照)」なんて答えたりするものである。だが実際のところ、その質問をされると「うーん」と悩むことが多い。できないに一票入れたいのだが、韓国語を必要とされる場合には「できません」と過小評価し、韓国語を必要とされない場合には「できます」なんて自信満々に言うとんでもない奴である。許してほしい。

 さきほど、民族学校の成り立ちを「戦後に現れた私塾のような朝鮮人学校が学校としての体裁を整えたのがいまの民族学校である」というようなことを書いたのだが、そのときに「一部を除いて」の書いたのを覚えているだろうか。そう、その一部の例外こそ、我が母校・建国学校なのである。建国学校は他の民族学校と違い、はじめから学校として建てられた、純然たる民族学校なのだ。建国という校名には「新祖国を建国する人材を育成する」という意味があり、阪神教育闘争時に一条校資格を真っ先に取得した。建国学校は「在日の学校」という政治的立場は中立を保って1977年まで太極旗を掲げなかった。そんなかんじで他とは少し違った歴史のある学校なのである。

 まあだからなんだという話なのだが、それほどまでに「在日の学校」だった建国であれど、現在の生徒の割合は肌感覚で3:3:2:2でニューカマー:本国出身:在日:日本人といったかんじで、在日生徒の割合は多くない。

 ニューカマーは1965年の日韓国交正常化以降に来日してきた人たちで、日帝時代に渡ってきた人たちの子孫であるいわゆる「在日」よりも新しく来た人たちだ。もっといえば彼らのなかでも特に親が韓国出身で本人たちは二世、という生徒が多い。本国出身は言うまでもなく韓国出身生徒のことである。ニューカマーは家庭環境にもよるが、韓国学校に行かせるほどの家庭なので韓国語を常用することが多く、本国出身生徒も韓国語ネイティブである。つまり生徒の半分以上かそれくらいかは韓国語ができる。

 日本語ネイティブ組の在日生徒はいろいろなパターンがあるが、いちばん多いのは「リピーター」だろうか。親が建国学校出身で子供も行かせるという人が多い。僕の親戚は家族三代建国学校である。民族団体の幹部の子弟もいれば、とくに学校や組織とは特に縁はないけど子供には民族教育を受けさせるため、という人もいる。

 最近は親のどちらかが日本人という、いわゆるハーフやダブルという生徒も多い。名前が日本語だから日本人だと思ったらお母さんが韓国出身という生徒も少なくない。

 そして日本人生徒は最近増えてきている。建国学校はバレーボールや吹奏楽、金剛学園はテコンドーやテニスが有名なのでそのために来る日本人生徒はわかりやすいが、ここ十年ほどの韓国ブームもあり「韓国語を勉強したい」という動機で入学する日本人生徒が増えた。先述した「国語のクラスをぐんぐんと上がっていく」タイプの生徒は日本人生徒が多かったりする。

 クラスの半分が韓国語ネイティブ、もしくはネイティブレベルに韓国語を操るが、日常的な会話はすべて日本語だけでできてしまう。学校にいれば嫌でも韓国語のリスニング能力は身につく。韓国語で数学の授業なんてこともあるので韓国語が聞けないと死活問題になってしまう。聞く能力だけは伸びるし、韓国出身者の言ってることもだいたいはわかるようになるのだが、会話の際は韓国語で言われたことを日本語で返事しても問題なく会話が成立してしまうのだ。これが韓国語能力に疑問符をつける要因になっている。

 個人的なことをいえば、これまで韓国語を使った仕事をしたこともあるし、入門レベルなら教えたこともある。だが、書いてあることや言われたことは理解できても、書いたり自分から話すのは苦手なのである。韓国人に突然、韓国語で話しかけられて条件反射のように韓国語で返答することはできるのだが、その人が日本語がわかるとなれば日本語で会話するように仕向ける、といった悪い癖がついてしまった。

 おそらく多くの韓国学校卒業生が「あのとき韓国語をもっとちゃんと勉強していればよかった」と後悔しているだろう。韓国語ネイティブたちの日本語能力に甘えて、いや、こちらも言っていることはわかっているので韓国語能力はあるのだが、自分から使う韓国語能力をじゅうぶんにつけずに卒業してしまったのである。このあたり、生徒によって韓国語に対してのスタンスによってひじょうに差が大きくなる。

 これが小学校となるとまた事情が少し変わってくる、らしい。らしい、というのは小学校は地元の公立小学校に通ったのでそのへんは又聞きになるからだ。小学校では高校受験や大学受験を意識したカリキュラムを組まなくてもいいので、中高と比べて民族教育科目に時間を割けることになる。そこで「今週は頑張って会話をぜんぶ韓国語で話しましょう」なんて週が設けられたりするらしい。

 日本語ネイティブで中高から入ってきた生徒でも、ちょっとした会話でも自分から韓国語を使っているような生徒はかなり韓国語が上手い。高校から入ってきた日本人であらゆる場面で積極的に自分から韓国語を使い、韓国の大学を卒業した同級生もいる。環境はあるので韓国語能力が伸びるかどうかは自分次第なのである。かくいう自分も、国語のクラスを何度も上がることを打診されたのだが、表向きはもっと基礎をしっかり勉強したいから、ほんとうのところはテストが難しくなるという理由で断っていた。こういう言い訳だけは韓国語でしっかり答えられるのだからタチが悪い。あのときもし怠けずにいれば、と思うことは多々ある。親にも「お前を何のために建国に行かせたんや」と言われると返す言葉がない。

 韓国学校で韓国語が身につくかどうか、といえばこればかりは本人次第であるとしか言いようがないのである。環境は用意されているので生かすも殺すも自分次第だ。

さいごに

 そんなわけで韓国学校の簡単な紹介であった。楽しんでいただけただろうか。長くて読みにくい文章だったかもしれない。

 通っていた親戚も卒業し民族団体を辞めたいま、学校とのかかわりはほとんどなくなってしまった。在学時はあれだけ嫌だったのに、もし子供ができれば民族学校に通わせたいなあ、なんて思ってしまうのである。

 多少、いや、じゅうぶんノスタルジックに浸っているところもあるかもしれない。思い出とは彩られてしまうものだからである。でもそんな思い出を語るにはまだ少し早いだろうから、とりあえず表の姿というか、よく訊かれる質問に対しての答えを長々と答えてみた。

 次はできれば少し突っ込んでカルチャー的なところも語っていければいいなと思う。

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