自分のルーツを知るとき

 中高と韓国系民族学校を卒業したのだが、小学校は地元の公立小学校に通っていた。ついでに幼稚園も地元である。中高のあいだだけでもまわりが韓国人ばかりの環境にいたので、日本の大学に入って名簿を見たときに周りが日本人だらけで逆カルチャーショックを受けたものである。

 僕は気が付けば在日韓国人であることを知っていた。物心がついた時には「武田」という名前とは別に「李」という名前があって、親から「お前は韓国人だ」と言われていた。事実、10歳までは大韓民国籍だったわけで、中学二年のときに民団の母国訪問研修で韓国に行くまで自分が韓国籍から日本籍になっていたことを知らず、日本のパスポートだったことにショックを受けたほどである。

 父方の家は長老派系プロテスタント一族なので法事はしないのだが、仏教徒の母方の家は月に一度くらいのペースで法事がある。法事は在日韓国人が「自分が在日だと感じる瞬間」だといわれ、よくアイデンティティ調査などでも「法事をすることで自分が韓国にルーツがあることなどを感じますか」などと尋ねられることがあるが、法事をしないキリスト教徒などを無視しているのはいかがなものかと思わなくもない、というのは余談である。

 法事がどう見ても韓国式でやっている家の人でも、自分のことを韓国人だと知ったのはだいぶ後になってから、という人も珍しくない。ほかの家がどうやって法事をしているのか知らないからである。かくいう自分も一般的な日本人の法事の風景を知らないし、法事をする家の日本人と結婚しない限り参加することはないだろう。

 かつて外国人登録証は14歳の誕生日になってから役所に取りに行くものだったらしい。10本の指を犯罪者のように採取する、いわゆる指紋押捺があった時代のことだ。いまは16歳になってからで携帯義務はない。よく上の世代の在日二世、三世から「14歳の誕生日の前日に学校から帰ると親が真顔で『お前は実は朝鮮人で、明日は学校を休んで役所に行って外登証を作ってこい』と言われた」という経験談をよく聞く。そのときに初めて自分の国籍と本名を知り、アイデンティティに悩み始めるというのが定番というわけではないのだろうが、そういった人が少なくない時代があった。

 いまは帰化する人も増えた。両親が在日韓国人でも生まれた時から日本国籍で、名前も日本風の名前で、親の戸籍謄本を見る機会がなければ、親が何かしらのタイミングで告げるまで知らないという人も現に珍しくないのだろうと思う。

 大学生のときには民団の学生会で会長を務めたほどまで活動していたのだが、あるとき飲み会で初めて見る顔の学生が来たので話しかけたところ「僕、先月に突然、親に『お前じつは韓国人やねんで』って言われて…自分の韓国語の名前とか、本当に韓国のこととか何も知らないんです」と言われたことがある。緊張していたのは初めて来た場所だったからということ以上に、ほんとうに自分はこの場所にいてもいいのかという不安があったからなのだろう。飲み会に来た経緯を尋ねたところ、民族名で大学に通っている同級生に相談したら連れてこられたとのことであった。まあダメなことはないのだが、自身の在り方に混乱している状況でいきなり連れてくるのはわりと人を選ぶのではないかと苦笑してしまった。彼はのちに学生会によく参加してくれるようになったのだが、民族団体に繋がることだけが正解だとは言えなくても、悪くない導かれ方だったのだろうなと思う。

 ときどき、大人になってからルーツを知ったとか、子供のころから知ってたけどルーツと向き合おうと思ったというときに、文明の利器インターネットで「在日韓国人」などと調べて、公共空間に溢れているヘイトを目の当たりに自分のルーツは「触れてはいけないもの」だと判断してしまう人がいる。そういう人たちは余計に在日であることから逃げようとしてしまう。ルーツと真正面から向き合って探し求めることだけが必ずしも正しい道ではないのだが、暴力的な言論空間に叩きのめされてしまう前に民団なり朝総連なりのなにかしらの民族団体にコンタクトをとることができた人は幸いだろうなと思うのである。

 なかにはヘイトに感化されてしまい、ことさら自身のルーツを隠し、攻撃するようになる人もいる。攻撃することで自分は在日ではない、もしくは在日でも「模範的な在日」なのだと周囲に示すことが目的なのだろう。僕のように本名で生活し、民族団体で権益擁護運動なんかに多少なりともかかわっていた同胞をみると「反日」だと糾弾し、自分のように日本人に迎合する「模範的な在日」になるべきというのが正論であると振りかざしてくる。他人の価値観を否定するつもりはないが、ヘイトに塗れたネット社会が生み出した被害者なのだろうなとも思うわけである。

 だが多くの在日は、民族学校に通うほどの民族エリートであれ、日本名を常用しながら自然体に生きている人であれ、おおよそ子供のころからなにかしら知っているという人が多いだろう。僕のように在日であることを明確にアイデンティティの中心に据えて、在日社会にどっぷり浸かったり学習したり啓蒙したりしようとしている在日のほうが珍しいのだろうとは思う。例えが正しいかどうかはわからないが、仏教徒と自覚して家で毎日お経を唱えているか、なんとなく仏像を見たら拝むか、くらいの差だろうなとは思う。

 我が家は父方も母方も、韓国民団の幹部を務めていたほどの家で、ほかの家に比べると在日の色が濃かった。親族呼称はサンチュン(おじさん)とかコモ(おばさん)とかヒョン(兄さん)といったように韓国語だし、親戚のおじさんたちも自分も韓国学校に通っていたし、韓国との繋がりも深い。だからなんだというかんじはするが、とにかくかなり在日としてのアイデンティティが濃い家である。

 そんな我が家にも変化が起きている。僕の父親の妹、韓国語でいうとコモ(おばさん)に当たる人は、我が家で真っ先に日本国籍を取得した。理由は結婚した相手が日本人の議員さんだったからである。韓国籍の配偶者がいることは特に問題にならないとは思うのだが、とにかく結婚を機に日本国籍を取得し、いまは四人の子供、僕から見ればいとこたちがいる。いちばん上の子は高校生だが、彼らは自分が韓国人だということを知らないそうなのである。それどころか「韓国人であることを言うな」とまで口止めされている。

 僕はいつか言ってやろうと思っているのだが、いちばん上の子は高校生だから、もしかしたらもう手遅れなんじゃないかとさえ思っている。子どものころから自分が韓国人であることを知っていたとしてもいずれ悩むことはあるだろうが、高校生がなにも知らないところにいきなり「おまえは韓国人だ」と言われるとちょっとしたパニックになるかもしれない。相手のおじさんは議員とだけさらっと書いたが、議員を辞めたいまも某保守系政党の党員だ。まさかそんな父親がいるのに母親が韓国人だと思わないだろうというわけだ。

 僕は傷口が広がる前に母親が韓国人であることを伝えるべきなのではないかと提案しているのだが、コモは隠し通すつもりらしい。僕を含めたほかのいとこたちに箝口令を敷いている。父方のいとこたちは民族学校や韓国の大学にまで行っている人もいるのだが、コモの一族が来ると学歴の話などはできないのがわが父方の一家である。まだこれはわかりやすい例かもしれないが、親がどちらも在日でも子どもに伝えていない、口が裂けても自分たちが韓国人であることを伝えないという家は自分が思っている以上に多いのではないかと思う。

 こういうのは高校生くらいがリミットではないかなとも思うのだがどうだろうか。もちろん僕のように「在日在日してる」在日にはわからないだけで、成人式の日にお前は実は韓国人だと言われたとしても意外と皆、けろっとするものかもしれない。民団が闘ってきた差別撤廃運動の成果が、在日であることで不利益を感じなくなった社会なのだが、その結果として良くも悪くも自分が在日であることを意識せずとも生きれる社会になったため、そこまで考えすぎる必要もないのかもしれない。もしかしたら自分が考えすぎているだけなのかなとも思う。

 母方のいとこたちはひとりはベトナム人と、あとは全員が日本人と結婚した。日本人と結婚したいとこの子どもたちは配偶者側の戸籍にしか入れていないので子どもたちには韓国籍はないが、自身が日本と韓国のハーフであることは伝えているようである。ごく自然に在日であること、まだ小学生なので詳しくは話していないが、神戸長田という在日韓国人集住地域に住んでいることもあってか、話を聞いている限りでは日韓ハーフであることを生きているようだ。長田の小学校には在日の児童を集めて韓国文化に触れさせる民族学級もあるので、ごく自然に受け入れることができているのかもしれない。

 ここであえて強引に結論にもっていくが、やはり自分のことを知るのは早い段階のほうがいいだろう。遅くても中学生くらいがいいのかもしれない。高校の修学旅行で外国に行く段になって役所にお前は日本人じゃないと言われるとか、大人になってからなにかのひょうしに急に知るとかよりはいいんじゃないかなと思う。もちろん家庭環境などはそれぞれなので押し付けるつもりも、これが模範だともいうつもりはない。

 最後にもうひとつ、地元の話をもってこの取り留めのない話を終わりにしたい。二年ほど前に民団の仕事をしていたとき、地元の支部の名簿に幼稚園と小学校の同級生の父親の名前を見つけた。彼女が生まれる前からかなり早い段階で帰化していたようである。家に帰ってから地元の民団支部に長年かかわっている親にそのことを尋ねると、その子が韓国人であることは知っていた。

 当時、青年会で活動をしていた僕は冗談でお前は韓国人や言うて飲み会にでも誘おうかなと言うと、親が真顔になり「あの子には韓国人って言うな。あの子のお父さんからも口止めされている」と言われたのである。僕は幼稚園の時から「ボク韓国人やねん」とクラスで言いふらしまくっていたものだから、バレるかもしれないと懸念したのだろう。いっしょに園庭を走り回り三輪車を乗り回して、ランドセルを背負って六年間いっしょに小学校に通っていた彼女との付き合いも20年が経った。ことしで26歳になった彼女はまだ韓国人であることを知らないようであるが、これから先なにかのひょうしに自分の父親が韓国人であることを知ったとき、どのようにその事実を受け止め、どのような反応をするのだろうかと、他人事ながら興味と不安を交えながら気にしているのである。

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