#エッセイ
食堂のおっちゃんは、パスワードをわたしに聞いてくる。知らんがな。そして訃報。
職場の調理師のおっちゃんは、食堂がしまっているとき、たまにおべんとうをくれる。
「家族4人分つくるのも、5人分も変わらん」と毎回いう。
「ありもので作ったからな」と、「男のまかない飯やで」も、毎回つけてくる。
ななめ下を見たまま、ほほえみもなく、レジ袋に入ったタッパーを手渡して去る。
ことばも、いい方も、語尾もあらい。
ぶっきらぼうで、責めているようにも聞こえる。
映えなんて気にしないお弁当は、た
ハンプティは元には戻らない。玉子を見ると思い出す、玉子を横取りしたら、肺結核の父が喀血した本の話。
わたしはたまごが好きである。
今夜はのこりもので済ませようと思って、1品足すためにたまごを焼いたら、そのたまごだけ完食してしまった。
こどもか。
その次に、まだ食指の動く、ポタージュをのみほした。
ポタージュはカボチャが至高だと思っているけれど、ジャガイモも、なかなかいける。
さいごにのこった、たいしておいしくない、ホワイトシチューを平らげながら、これを書いている。
たいしておいしくないものは、冷
アンドロイドは電気羊の夢を見る。人間にもスリープボタンがあればいいと、Siriはいう。
わたしは妄想族である。彼我のさかいを、意味なくこえる。ひんぴん、時空のはざまに漂いでる。
いまは特に、かぜをひいているので、朦朧としている。
その茫漠に、おぼろに浮くものがある。
目のまえに、おりたたんだハガキがみえる。シャーペンの文字がこすれて流れている。トメやハネがしっかりでている。これは知っている。高3のときのだ。
字を読もうと思うと、ひとりでに浮いてきた。ひらがなのかたちが見える。
燃えあがるノートルダム寺院をかこった市民たちが、アヴェ・マリアを歌っているというニュースを聞いたとき。
ぞくりとした。
あまりに絵画的だった。
伝統的といってもいい。
中世ヨーロッパのできごとかと思った。
ノートル=ダムとは、わたしたちのマダム、すなわち聖母マリアを指す。
聖なるマリア寺院が、炎にのまれて、うち崩れてゆくさまを、民衆がとりかこむ。
聖歌をうたいながら。
マリアを祝福する歌をうたいながら。
教会のステンドグラスにでも、ありそうなモチーフである。
しばらくすると、教会史として絵画になる
ほんとうは故郷なんてどこにもないんだとわかっているのに、どこかへ強烈に曳いていく、わびしさもない、つらさも息苦しさもない、透きとおった感情だけがあるような音色。
大河ドラマ清盛の第1回、子どもの歌が流れたときの、あの、頭をなぐられたような感覚は忘れられない。
遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
画面のこちらで、目をむいた。
梁塵秘抄だ!音色があったんだ!
音階がひとつかふたつ、少ない気もする。
7音に慣らされているのか、元来、ひとの心のうちはそういうものなのか、この音の落ちぐあいは、どうも不穏な気持ちにさせられる。
この2行だけを、延々とルー