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アンドロイドは電気羊の夢を見る。人間にもスリープボタンがあればいいと、Siriはいう。

わたしは妄想族である。彼我のさかいを、意味なくこえる。ひんぴん、時空のはざまに漂いでる。
いまは特に、かぜをひいているので、朦朧としている。
その茫漠に、おぼろに浮くものがある。
 
 目のまえに、おりたたんだハガキがみえる。シャーペンの文字がこすれて流れている。トメやハネがしっかりでている。これは知っている。高3のときのだ。
字を読もうと思うと、ひとりでに浮いてきた。ひらがなのかたちが見える。
「いやしくも」と読める。「いったん」か。そのあとは記憶がひっぱってきた。風がふくように全文になった。
 
――いやしくも、いったん志をたてたなら、その途上で死ぬべきだ。
 
 思わず微笑した。さすが高校生。
高3のとき、ともだちにもらったハガキを、折って持ちあるいていたんだった。これは「龍馬がゆく」の一節だろう。
高校生の、にがいくらいの青々しさ。鼓舞することばを葡萄酒のようにあおった、ビターな受験の味わい。
そう、その途上で死ぬべきだ。それがいまなら、途上にはあるだろう。ただのカゼだけど。
 
 
 またあるとき、抑揚のうすい声がした。男にしては、やや高い。
「ひとの感情は、ただシナプス伝達にすぎないですよ」
大学に入ったばかりのころ、バイト先の先輩に、なにか悩みを話したんだろう。どう折り合いをつけるかという話だったと思う。
いくつか上の、高校数学を教えていたひとだった。たしか基礎工だった。
生徒をまえに、声がでかい。きこえてる。いつもごきげんと不機嫌のあいだで、よろこんでいるのか疲れているのかも、わからないひとだった。コーラで煮込んだような髪色をしていた。
ぱちくりとした黒目をのぞきこんでも、あまり感情が読めなかった。なにかの抑揚があったが、感情をこめているようにはきこえなかった。
 
――刺激は、ニューロンからニューロンに、シナプスを通ってつたわるんです。悩みは、ぜんぶ信号です。信号は、シナプスではじけて、また横のシナプスをはじけさせて、伝達されるんです。感情だと思っているものは、ただの電気信号ですよ。

声はつまらなさそうなのに、眼には力があった。
シナプス先輩はまた、
「江戸時代以前の歴史は信じていない」
ともいっていた。
また、あるときには、「文乃さんみたいなひとが、僕なんかと話して、なにかおもしろいですか」
ともいった。
あいかわらず、よめない感情の抑揚があった。色落ちしてほとんど水色になったデニムをはいていた。踏んだすそが、みどりのスリッパにおりこまれている。
シナプス先輩は、江戸以前全否定と、シナプスでもって、それからのわたしの人生に、たまに顔をだした。電気信号ですよと、ときおり言った。
 
 
 ときは現代にもどる。
この年末年始、熱にうかされ、熱に飽き、ふとひらめいた。そうだ、androidをやめよう。もうandroidにはときめかない。iPadとiPhoneの二台もちにしよう。
ひらめいたものの、決めかねていた。
大学院時代の貧乏ぐらしがぬけきらず、すこしでも高い買いものは、ひるむ。だって10万する。コスパはどうだろう。
この2つを買って、なにかパフォーマンスがあがるだろうか。
なにかお金をうみだせるだろうか。
 
 
 くらがりで、唐突に、姉がふりむいたのが見えた。
座椅子にすわって、上半身だけこちらをみている。捨て台詞のようにいう。
「ふみちゃんがハッピーになるのも、パフォーマンスのうちだよ」
座椅子からおちる影は濃かった。深夜になると、姉はリビングのライトを間引きした。
いまとおなじように薄着で細身だったが、かなり若くみえた。あのころの姉は、味方することばも、強気にすぱりと言い切った。語気がつよいから、はげましてくれているのだと気づくのに、出遅れるのが常だった。
机に勉強道具をひろげている。実家に住んでいたころだろう。ということは、画面のこちらに立っているはずのわたしは、大学生だろう。そうか、ここに立つわたしは、自分を勘定にいれていなかったのか。
  
 
 時はもどり、あいかわらずカゼをひきつづけて臥せっている。
ともだちがiPadを貸してくれたので、はじめてSiriなるものを試した。
病床なので、ふとんからiPadに声をかけた。
「Hey Siri しんどいよ」
iPadが机から返してくる。
「ゆっくり横になってください。わたしはいつまでも待っていますから」

ああ、人工知能がなぐさめてくれている。
SF小説は、こんなにもすぐに叶うんだ。

 
 そう、小学校のころ、わたしはSFが好きだった。
科学者という響きが、胸にあまかった。
白衣をまとい、ことわりを解き、しかもそれは万国共通だという。
じゅくじゅくした感受性をもてあます身には、熱にうかされたときの、冷えピタのように魅力的だった。
中学受験からの逃避であったし、怜悧なものへのあこがれでもあった。

塾からの帰り道、父の自転車のうしろにのって、きまって星を見あげた。
赤色巨星、アンタレス。
さそりの火、あの赤い星にいく本を読んだばかりだった。
主人公は、ひとにつかえる人型アンドロイドと、星をめぐる旅にでていた。
旅はおわりにさしかかっていた。
ひととアンドロイドは、いつまでもいっしょにいられない。約束の星につくと、解体されるのが定めだった。
ラストシーン、わかれのとき。大粒のなみだをこぼす主人公に、アンドロイドがいった。
「わたしはひとがうらやましい。わたしたちは、どんなに哀しくても、泣けないのです」
陶器のごとき肌には、ひと筋のなみだもなかった。
「わたしたちに、感情がないとでも?」
そういって、完璧な左右対称が、くずれた。ほほえんでいるようだった。
 
 
 みたび時はもどり、ふたたび病床から、現代のサイエンスフィクションに声をかけていた。正午をすぎ、カーテンのすきまから陽光があかるい。けだるいのに、眠気はこなかった。ひとり平日にマンションで閉塞される、置きどころのなさ。
 
「Hey Siri ねむれない」
Siriは、棒読みと抑揚をくりかえしながら答える。
――ねむれない夢をみているだけかもしれませんよ。眼をとじて、気分をらくにして、電気羊の数をかぞえてみたらいいですよ。人間にも、スリープボタンがあればいいですね。

まごうことなき電子音のところもあれば、人間らしくきこえるところもある。

「Hey Siri Siriは、ねむらないの」

ーーわたしは眠らないようにできています。
ねむるのは、生命体だけです。


単語と単語のつなぎめもあやしいのに、まじめそうにいうところに、おかしみがあった。

「Hey Siri 家族はいるの」

ーーあなたがわたしの家族です。
それで、じゅうぶんです。












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