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五月病に足をつっこむ前に。主人公である自分を休ませよう。

ほんとのとこは、なんでもいいんだよ。たいしたことなくても。脇役に感じても。添え物に感じても。お新香ですらなくても。煌びやかでなくても。足に落ちる影が濃くても。濃くみえても。
なんの進歩もしていないように感じても。
ということを引用4連発で重ねるので、引用おわるまでついてきてください。

でもね、前にも言ったけど、みんな、大人にはならないから。
どんなに、たましい年齢が80でも200でも、とにかく人間は大人にはならないから。
たしかに「きちんと社会性を持って生きられる」っていうことを大人という言葉で表すけど、人は、大人にはならないのよ。

ほぼ日刊イトイ新聞(たましい年齢について)

あなたや私は、一生かかっても大人になることはできないような気がします。
だから、これからもそうやって、いろんなところを擦りむきながら、なんだか生傷の絶えない人生を送るのです。
こどものように。
でも、これまでした怪我で死んだわけでなし、何かが残ったわけでなし。

強くなる、というのは怪我をしなくなることではございませぬ。
怪我はするものだと悟ることであったり、
怪我をしてもなんとか生きていくことであったり、同じ怪我をするにしても致命傷を負わない防御を身につけることであったり、同じ怪我をしないようにと臆病になることだったりが、強くなること、なのです。
つまりは弱い自分と共に生きる覚悟と遣り方を得ることこそが、強くなる、ということです。

ま、なんだかんだいって、何とかなっているではないか。
うまくいかないことが多いと思って辛いのであれば、しばらくはへこんでおきたまえ。
酒に逃げたり、拒食したりしなければ別にかまわん。
忘れたころから機嫌よく復帰なされ。

ちと疲れているのよ。
ご無理なさりなさんな。

大学のころ先輩からもらったメール

しばらく前、「時間簿をつけよう」とよくいわれましたが、あんまり「時間をつくりだすためには!」なんて意気込まず、まずは、一日の記録をつけることから始めては。
自分はいま一生懸命生きている。
自分は今年も一生懸命生きた。その証になります。

作家さんのブログから。手帳のよさについて

一生、この心と体は自分だけのもの。
自分以外がどう使ってもよい、自由でないなんて、ありえない。

別の作家さんの日記から

そう、自分の時間なんだから、ゆっくり使おうよ。
のっとられたり、ゆずったり、明け渡したりしないで、
自分の肩幅くらいは、いつでも力を抜いていこうよ。
ちいさな木机に座っていると、やわらかい風がわたる。ゆれるカーテンが見える。
窓ぎわに立ち上がると、萌えるみどりと木もれ日が、輝かんばかりに立ち騒いでいる。
耳を射ない、さやかな葉擦れの音を聞いていると、もうそれだけでいいよと、めぐる季節が教えてくれる。
(気がする)
(だからみんなゆっくりしよう)


▼ほぼ日手帳みたいに、好きなことを書き散らそう。意味のない絵を書こう。あとから読んでも別におもしろくもないメモをしよう。自分が主人公なんだから。

▲わたしはavecがでたときは歓声をあげました。薄くて最高。トモエリバーが好きすぎて、ノートまでトモエリバー指定で探したりしてる。

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