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#コラム
まるで、地球の裏側からきたような。
恋愛体質な人と恋愛の話をするのが苦手なのは、哀れみの目で見られることが面倒だ、という理由が大きいように思う。
「(私みたいに)すごく好きになれる人が現れるといいね!きっといるよ!」
という励ましの言葉も、30年近く言われ慣れるともう反論する気も起きない。
恋愛体質であることは、そんなに偉いものなのだろうか。
人生において絶対的な正義だと、無邪気に信じるべきものなのだろうか。
「好き」より「
地下鉄の窓ガラスに映った自分
人が黒歴史としてしまい込み、蓋をしている思い出の箱をうっかり開けてしまうことがある。
例えば、ある英語が得意な人が結婚したばかりの頃のこと。当時は、奥さんとのラブラブ過ぎるエピソードをこんな風に語っていた。
「結婚前からよく妻に英文でラブレターを書いている。すると妻が、『ここがどういう意味かわからないんだけど……』と質問して来て、それに答えてあげる時間が楽しい」
それから月日が流れ、何かの拍子に
相手を自由にすることば
敬語は、慣れてしまうととても楽なものだ。
もちろん相手への敬意を示すものではあるのだけれど「敬語を使っていれば間違いない」という気持ちから敬語を使っていることが、わたしはよくあった。「逃げの敬語」というか「消極的な敬語」みたいな感じだ。
それもあって、相手が年下だったり「必ず敬語を使わなくてもいい」という状況のときも、どうも敬語をずるずる使ってしまっていた。
敬語を使うこと自体は悪いことでは
ガマンの鎧を着ている人の話
自分が「ガマンの鎧を着た人」だと気がついたのは30歳だった。
もちろん生きていれば誰もがガマンをした経験はあるし、「わたしは誰よりもガマンをしてきたのよ!」と不幸自慢をしたいわけではない。むしろ他人から見たら「さんざん好き勝手にやってきたじゃないか」と言われるくらいだと思う。
自分では選べないような家庭環境や経済状況でガマンすることは少なからずあったし、生まれ持った見た目や体質で他人を羨ましい
なぜ、最近はみんな「おすすめは?」と言うのか、考えてみました
飲食店で働いている人はみなさんご存じかと思いますが、今、お客様ってみんな「おすすめは何ですか?」って質問してくるんですね。
「旬のお魚を扱っているお寿司屋さん」なら「今はやっぱりブリだね」とかあるかもしれないのですが、普通、飲食店は「どのメニューも自信を持っておすすめ」なんです。
「うーん、カツカレーはあんまりおすすめじゃないなあ。だったら、きつねうどんの方がおすすめですよ」なんてことはありえ