マスブチミナコ

フッ軽すっ転び芸術家🏄‍♀️カオスを愛する多言語話者🧠ASD+ADHD

マスブチミナコ

フッ軽すっ転び芸術家🏄‍♀️カオスを愛する多言語話者🧠ASD+ADHD

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

その苦しみに、ひとつ角砂糖を

中学2年生のときだったと思う。担任の先生は、国語の女性の先生だった。ショートヘアというよりも「短く刈り上げた」という方がピッタリくるようなサッパリした出で立ちで、お腹を突き出すような立ち方をして、いつもベストを羽織っていた。 その先生が教壇で話したことを、20年近く経った今でも細かいところまで覚えている。国語を通して人生を豊かにすることをたくさん教えてくれた。 中でも素敵だと思ったのは「本は注文しない。出会うものだから」という言葉だ。今ほどすぐに欲しい本が買えなかった時代

    • 【自分の文化を取り戻す】 - こんなにも豊かに似ていない世界で

      玉ねぎのヘタを切り落としたら、断面が生き物の目のように見えて驚いた。睨まれている。まるで「おまえはイマココに生きているのか?」と問われたようだ。 しばらく体調不良でキッチンに立つことができなかった。少し落ち込みつつ、野菜室にたまっている野菜を切って冷凍していく。目の前の野菜がどんな様子か見ていると、同じように「玉ねぎ」とラベルが貼られるものだって様子が全く違うことに気づく。普段「人と人とは違う」なんて言っているわりに、自分が観察を怠っていた。玉ねぎだって「世界はこんなにも豊

      • 自分の文化を取り戻す - 自分自身の編集

        珍しく、人としっかり対面する土日を経て、頭の中に溜まっていた思考を少しずつ指先まで運ぶ。 指先からキーボードへ、そして日本語のフォーマットに納めていく。 この一連の流れは、日常の営みに似ている。 乾燥機に仕上がった洗濯物をそれぞれ合う形に畳んで、属する場所に適した形で収納していく、そんな感じだ。 思考は適切に納めたほうがいい。 わたしの思考そのものは日本語ではないし、ましてや他の言語でもない。わたしの思考はわたしの知覚できない形で自分の中に存在していて、それを今は日本語にチ

        • 自分の文化を取り戻す - 土になって手で考える

          坂口恭平著「土になる」を読んだ。 「生き延びるための事務」を読んでから著者に興味を持って図書館で借りた本だ。夏休みのこの時期に読めてよかった。 わたし自身、著者のように、絵も描けば文章も書き音楽もするような人間なので、いろいろと励まされ心を一緒に動かしながらの本の旅になった。 手で身体でものを考える習慣を取り戻そうとしていて、その考えともすごくリンクする。 最近、日々書くバレットジャーナルも大きくしたくなって、ノートを変えた。 媒体を小さくして細やかに書き留めたいときも

        • 固定された記事

        その苦しみに、ひとつ角砂糖を

        マガジン

        • 自分の文化を取り戻す
          10本
        • エッセイ
          13本
        • 読まれた記事
          8本

        記事

          猫と読書

          朝風呂でさっぱりした身体を布団に横たえると、猫が左腕に頭を預けてきた。 わたしから見る視界、猫の後頭部。 黒と白の模様。 わたしの腕で盛り上がる猫の頬のあたりは毛が黒く、すこし茶色も混ざっている。 重みはほとんど感じない。 Tシャツの袖口の近くに乗せた猫の頬が、ほんのり温かい。 猫がいると左腕が動かせない。 本が読めない。 仕方なしに、本を左腕の方に持って行って開く。 畑仕事について書かれている文章を読みながら、頭の中に映像を再現する。 麦わらを敷いた畑と、蜜蜂と、青い空。

          おばあちゃんの打ち水

          ぱしゃ、ぱしゃと音がして、すずしい風の感触がする。 網戸から少しだけ家の外の音もする。 そうして、世界がとっくに朝を迎えているということにやっと追いつく。 ああ、朝か。ねむたい。 おばあちゃんが打ち水をする背中を視界に入れようと思うも、まぶたが重くてかなわない。 ぱしゃ、ぱしゃ、と鋭い音が耳だけに届く。 わたしの体は相変わらず眠ったままだ。 水は冷たいんだろうな。 もし水をかけられたら、きっとひゃっと声をあげてしまう。 鳥の鳴き声も聞こえてくるけれど、もしかして鳩じゃな

          おばあちゃんの打ち水

          自分の文化を取り戻す - 頭痛

          頭痛で寝込んでいる。 夏は暑すぎるし、やたら雷が鳴ったりどしゃぶりの雨が降ったりもするし、わたしの乱れやすい自律神経には厳しかったのだろう。 でも、元気に過ごせた日が多かったのでつらくなってしまって、しくしく泣きながら書いている。 わたしの頭痛は感覚刺激もとてもよく受け取るので、こういう時はおそるおそる過ごす。 ちょっとした音にもピリピリしてしまって、ヒステリックになってしまう自分にもつらくなってしまう。 もっと寛大に色々なものを受け入れられたら…もっと自分のやりたいことに

          自分の文化を取り戻す - 頭痛

          自分の文化を取り戻す - 蝶を見つけて文章に

          小説を2冊買った。 レジの列に並びながらこの記事の作成ボタンを押す。 いつも文章を書く時はこんな感じで、わたしは何かと何かのはざまにいる。 言葉が逃げてしまわないように、急いで、でも確実に文字を入力していく。 蝶を捕まえるみたいだな、と思う。 あるいは野良猫に触ろうとした時にも似ていて、文章を書く時、息を潜めて忍び足になる。 文章がしばらくそこを動かないだろう、と目処が立ったのでマックシェイクに意識を移す。 今、大好きなストロベリーシェイクを喉に運んでしまってもきっと大丈

          自分の文化を取り戻す - 蝶を見つけて文章に

          凸に頭をあずけてやすみたい

          夏が始まった、暑い。 ネックリング?を買った、暑い。 暑い時間帯を避けようとしてみるも、暑い。 最近、仲間内で「とにかくやってみようぜ!」ムーブメントが沸き起こっており、いつも腰が重くなるあれこれをやるにも肩の力を抜こうとしている。なぜ「やらなきゃ」と思い込みすぎてしまうんだろう?好きでやりたいことはそのままやってしまえばいい、と分かりながら繰り返しこのループに陥る。 思い込みが強くなると全身も心にも力が入って、「好きで好きでやりたい楽しいこと」だったことが、怖くて大変で

          凸に頭をあずけてやすみたい

          感覚過敏とASDをアートといっしょに歩く

          今日、外は眩しいんだろうか? 窓からカーテンを少し避けて外を見る。 太陽の光に思わず目を細め、サングラスを入れたかわいいケースがカバンの中に入っていることを確認して、小さく息を吐く。 今日も元気に過ごせたらいいなあ。 今まで断片的になってしまっていた自分の感覚の話を、できるだけ言葉にして今の記録として文章にしておこうと、この記事を書いた。30代後半で発達障害の診断に辿り着いた一人の女性の話だ。 未来のわたしが振り返るとき、自分の立ち位置を探るために役に立つかもしれない

          感覚過敏とASDをアートといっしょに歩く

          言葉のおくすり

          日曜日の夜。 少しずつ「今日を店じまい」していく。 洗い物をしながら、今日飲んだり食べたりした楽しい時間をもう一度思い起こす。楽しかったな。 今日は「あなたはかなり慎重に、精密にいつも言語化してるよね」って嬉しい言葉を言ってもらってしまった。 嬉しい、うきうき。 また見返したい言葉に出会ったりもらったりすると、わたしはスクショも撮って保存するし、ノートにも書き写す。 言葉が大好きなのだ。 大好きだからこそ言葉を通して大きく傷つくこともあるのだけど、そこから切り替えてくれる

          言葉のおくすり

          4.29

          注意を払うべきことを減らすと、普段より考えが「今、ここ」にとどまっていることを感じる。 本当は体が捉えていたはずの感覚信号を、脳がどんどん伝えてくる。 今日は歩いていて「風って、指の間でくるくる回ってるんだな」とはじめて思った。 そうして目の前の刺激ひとつひとつに等しく注意を払うと、感覚過敏は起こりにくくなる気がするので面白い。 最近また少しカメラを触っているのだけど、カメラのボディとレンズのぶん自分から遠いはずなのに、自分の感覚を正直に映し出す気がする。 「眼球がとらえる

          3行でいいから書いてみよう

          今までより少し、人の情報が入らないようにデバイスを使って過ごしていると不思議な気持ちだ。 自分がいかにひとつひとつの出来事に動揺して、それを戻さないまま次へ、次へと流されていたかがよく分かる。 だから静かに自分一人で書こう。 言いたくないことは書かなくてよくて、 怖いことも書かなくてよくて、 きっとそんなふうでも文字を綴ることはできるのだ。 不安が強すぎるあまりに、毎回一発逆転ホームランを打たなければと極度に緊張していたりする。 大丈夫だ、そんなの無理だ。 人は失敗する。

          3行でいいから書いてみよう

          ぬるりと粘度を持った冬季うつの日々

          頭の中にただ文字を流し込んでいきたいという欲望を常に抱えて生きている。 小さい頃は車に酔ってでも本を読み続けたし、文字を見ると吸い寄せられるように解読しようとしていた、と母から聞いたこともある。 だけど自分の求めているような文字の連なりに出会えることばかりではなく、また自分が読めるだけの体力を持ち合わせていない時もあり、どちらも悔しい。今は両方が入り混じった状態・かつ後者寄りである。 冬季うつの状態はもういつからだったか。 少なくとも10代の頃からなので結構なベテランなはず

          ぬるりと粘度を持った冬季うつの日々

          距離を出して捉え直す、掴めない自分と分からないままの世界

          「Salut, comment ça va?」 外国語レッスンのときにしか起動しないSkypeに連絡が入って、おや?と思うとフランス語の先生からだった。 「元気?今何してる?」「動画見てたよ」「いいね、どんなの?」「これ」「君は本当に日記が好きなんだね!」 不安なところは辞書アプリを使いながら、短いやりとりが続く。ずいぶんフランス語でもできることが増えた。 先生は「ふと時間ができたから送ってみた」とのことだけど、こういう連絡がとても嬉しい。 以前もしばらくレッスンを受け

          距離を出して捉え直す、掴めない自分と分からないままの世界

          自分の文化を取り戻す-脳特性と言われても

          Twitterのプロフィールから「ASD+ADHD」の文字をつけたり外したりしている。今は外したいターンだ。 ここ数日の急な寒暖差と、忙しかった疲れと、昨日の美容院でつけてもらったヘアオイルの香りで起きた頭痛を引きずっている。 セットしてもらいたいとき、これからどうしたらいいんだろう。無香料のヘアオイルを持っていくべき? さて、脳特性。 わたしはこの脳特性といふ概念を、自分の今の人生とどう結びつけていけばいいのか、まだよくわからないでいる。 というのも、36歳まで知る機会

          自分の文化を取り戻す-脳特性と言われても