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自分の文化を取り戻す-脳特性と言われても

Twitterのプロフィールから「ASD+ADHD」の文字をつけたり外したりしている。今は外したいターンだ。
ここ数日の急な寒暖差と、忙しかった疲れと、昨日の美容院でつけてもらったヘアオイルの香りで起きた頭痛を引きずっている。
セットしてもらいたいとき、これからどうしたらいいんだろう。無香料のヘアオイルを持っていくべき?

さて、脳特性。

わたしはこの脳特性といふ概念を、自分の今の人生とどう結びつけていけばいいのか、まだよくわからないでいる。
というのも、36歳まで知る機会がなかったからだ。
幼少期から「何かおかしい、自分だけが違っている」とは感じていたものの、すぐに「自分が変わっている、ということを言うとややこしいんだな?」とも学び、じゃあ困らないように努力して生きるしかない、とシフトした。
自分の適応できなさを「努力不足」と捉えてPDCAを回してきた36年がわたしの人生だったのだ。

なので、発達特性に偏りを持っていたことは大きく腑に落ちると共に「これをどう捉えればいいのか?」という戸惑いの始まりだったのも正直なところである。
特にASDの特性は自分にとっては「自分らしさ」として強く影響していると思っていて、もしASDでない状態にする何かが発明されようなら、わたしはわたしらしさの大半を失うだろう。

こうして文字にすれば、自分の偏った興味や、こだわりの強いところ、融通の効かないところは明らかだ。
自分を「発達障害」という概念の眼鏡で観察し続けているおかげだ。
自分を把握しやすくなったこと、調整しやすくなったことは、今まで苦しかった自分にとってはとてつもなく大きな希望の光だった。

でも、これを脳特性と言われても、と思ってしまう。
ずっと知らずに生きてきたのだ。
わたしの親しい人たちも、個性の一部として感じ取ってくれていた性質に、「こういう脳特性で…」なんて説明するのも、なんだか場違いな感じもしてしまっていた。
特性由来や過剰適応からの体調不良をマシにできると思えば、伝えることもいい働きをしているのだろうか…

わたしは、ずっとこの自分と折り合いをつけようとしてきた。
自分にとってこの性質は苦しく、でも自分らしさとして愛そうとしてきた。
これを、後から知ったことと組み合わせようとしてもうまくできない。
借り物の感じから逃れられないような気がしてしまう。

どうして不特定多数の人たちに「ASDの人は〜」と決めつけたように無邪気に言われる必要があるのだろう?
生きてる人のぶんだけストーリーがあり、その人なりの地獄がある。
どうしてこんなに分かり合えなさで苦しみ続けるのだろう。

それでも、自分だけは自分の味方であろう、と去年の6月にはじめてはっきりと思えたから、まだ大丈夫だと思える。
きっとなんとかなると思えることがこんなに心強いなんて。

わけがわからなくて頭が痛いことは相変わらずたくさんあるし、わたしもわたしのわけがわからないけれど、いつかはこの「人から借りたサイズの合わない服を着ている感じ」も愛せる日が来るのだろうか。

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