おばあちゃんの打ち水
ぱしゃ、ぱしゃと音がして、すずしい風の感触がする。
網戸から少しだけ家の外の音もする。
そうして、世界がとっくに朝を迎えているということにやっと追いつく。
ああ、朝か。ねむたい。
おばあちゃんが打ち水をする背中を視界に入れようと思うも、まぶたが重くてかなわない。
ぱしゃ、ぱしゃ、と鋭い音が耳だけに届く。
わたしの体は相変わらず眠ったままだ。
水は冷たいんだろうな。
もし水をかけられたら、きっとひゃっと声をあげてしまう。
鳥の鳴き声も聞こえてくるけれど、もしかして鳩じゃないよね?
庭の松の木に鳩が止まるといつもおばあちゃんが大きい声を出して追い払う。心臓に悪いから、もう鳩は来ないでほしい。
涼しい風がまたひとふき、頬の産毛をなぞっていく。
打ち水は、おばあちゃんの家ではじめて知った。
普段暮らす家では母はいつも忙しく、目を覚ましたらもういないこともよくあったほど。
母が打ち水をしているところも一度も見たことがない。
故郷は暑い南の島だから、そもそもそんな習慣もないのかもしれないけれど。
おばあちゃんが家の外で打ち水をして、その音でうっすら目覚め、うとうととする夏休みが、わたしはとても好きだった。
昨日食べた大きなハンバーグ。
おばあちゃんがわたしのためにいっぱい用意してくれる、納豆とたらこといくら。
「お食後」と出してくれる新鮮ないちごには練乳をかけて、底がぼこぼこしたスプーンでつぶしてから牛乳をかけて食べる。
青くて細かい模様が入った陶器のお皿に、冷たい牛乳といちごが浮かんで、絶妙な配合のいちご牛乳になる。
わたしは打ち水もしないし、おやつを「お食後」とも言わない。
「おどろき、もものき、さんしょの、き。」とおばあちゃんのリズムで言うこともしない。
おばあちゃんがあの笑顔で言うから特別だった。
おばあちゃんの打ち水で目覚めるから特別だったし、おばあちゃんと一緒に食べるからおやつはお食後だった。
「みなこは寝ぼすけだねえ」とおばあちゃんが起こしに来て笑う姿を見るのが好きだったから、夏休みは思う存分眠った。
宿題は進まないのに本ばかり読んで絵ばっかり描いていた。
読書感想文は書きすぎてしまって削るのが面倒だから逆に気が重くなっていた。
おばあちゃんはそんなわたしをどういうまなざしで見つめてくれていたんだろう。
打ち水をしながら、起きてこないわたしに対して「やれやれ」とゆるしてくれていたと思いたいけれど、いらつかせてしまったこともあったのかもしれない。
こんなふうに、ずっと昔の小学生の時の夏休みを、過集中に気づかずリピートしまくった音楽のように感じている。
おばあちゃんが空の上に行ってしまっても止まらない夏休みのメロディ。
ラジオ体操は面倒だけど、おばあちゃんが温泉卵を作って励ましてくれるからなんとか行ったものだった。
近所のスーパーの駐車場、スタンプを押してもらうカードがくるくるねじれるのをもどかしく見つめながら体操をしたことを覚えている。
変わらず絵を描いて本を読んで、繰り返し同じ歌を歌って、そうして文章も書いている。
おばあちゃんがどこかで見てていてくれたら、笑うだろうか。
そのままだねえと呆れるだろうか。
おばあちゃんの家から帰る時に悲しすぎてパニックになって泣くわたしに、また見えなくなるまで手を振ってくれるだろうか。
また会いたいまた会いたいと思いながら20年くらい経った。
相変わらず苦手な朝に、あの打ち水の音が聞こえたらいいのにと思いながら目覚める。
もう二度と過ごせない夏休みだから、決して消えることもない夏休み。
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