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30代で公務員からWebライターに転職した男の自分語り

やあ、Tomだよ!noteはじめました。
いや誰?ってことでとりあえず自分語りします。

日本人・パーマ頭・ゴリラ体形・アゴヒゲ・30代半ば・独身。

生きがいはバイク旅とキャンプと酒。

2024年5月からとある中小企業で、駆け出しWebライター・マーケターとして働き始めたおっさんです。

前職は某政令市で約12年、事務職の地方公務員をしていました

2年ほど国に出向したこともあります。

思えば、公務員時代はほんとにいろいろあったなあ・・・。

静かに泣く筆者
涙ちょちょぎれるぜ

公務員人生に迷っている人は、1つのサンプルとして。

公務員を目指している人は、一種の実体験レポとして。

公務員じゃない人は、こんな人もいるんだなーって感じで。

ちょっとお付き合いいただけたら嬉しいです。



記事を書く目的:かつての仲間を応援したい

まずは、noteをはじめた目的を語らせてください。

結論、僕がnoteをはじめたのは、記事を書くことで、かつての仲間=今もがんばり続ける公務員の人たちを応援したいと思ったからです。

「救いたい」なんて大それたことは言えません。
ただ、今を思い悩む公務員の人たちが、幸せに生きるためのお手伝いをしたい!

ピースサインする筆者

僕自身、公務員としての12年は、ひそかに苦悩と疑念の日々でした。

自分で言うのもなんですけど、組織ではほどほどに評価していただいていたと思うんですよね。
(詳しい経歴はのちほど)

幸い、人間関係もぜんぜん悪くなかったです。

でも、職務と組織に疑問を抱きながら、終わりの見えない長時間労働に心身が壊れかけたころ。

僕は転職を決意しました。

外の人にはなかなかわかってもらえないけど、今の行政は、職務に真っすぐな人ほど追いつめられていく世界です。

  • 増え続ける仕事

  • 上り続ける難易度

  • 減り続ける人員

  • 答えの見えない社会課題に、何も決められない上層部(もぅマヂ無理)

  • 暗愚と言うしかない高齢議員(もぅマヂ勘弁)

そして、何歳まで延びるかわからない定年。

このまま公務員として、人生の大半を終えていいのか。

そう思い悩む方も多いでしょう。

僕はキャリアコンサルタントではないので、「こうするべきだ」なんてことは言えません。

それでも。

  • 少しでも脱・公務員を考える人には、体験に基づく助言と、ほんの少しの後押しを。

  • そのまま頑張ることを選ぶ人には、より楽しく生きるための提案と、ささやかなエールを。

  • これから公務員を目指す人には、公僕として生きる良し悪しと、一歩踏み込んで将来を考える機会を。

そんな風に少しでも誰かに、人生の示唆を与える記事が書けたなら、公務員だった僕の半生も供養される気がするんです。

歓迎する筆者
隙あらば自分語り

ここでひとつことわっておくと、今後、当面は匿名で記事を書こうと思います

別にやましいことは何もないけど、明るく楽しい話ばかりではないので。

具体的な組織や人に配慮して、話せることが減るのは本末転倒だと思っています。
(もちろん守秘義務は遵守しますよ!)

それでは「一応ちゃんと公務員してたよ!」ってことで、僕の経歴をお話しますね。

Tomのこれまで:公務員から民間へ転職

大学を卒業するころの僕は、夢も目標もない、自堕落な人間でした。

やりたいことがないからろくに就活もせず、大学院を受けて不合格に。

1年ニートをしたのち、なんとか某政令市の試験に受かりました。

この時点で、公務員らしからぬ無計画さが露呈していますね・・・!

恥ずかしがる筆者
あなはずかしや


1. 入庁・納税課に配属

ともかくメシを食わねば、という理由だけで公務員になったわけですが・・・。

最初の仕事は意外にも、自分の性格に合ったとても楽しいものでした。

それが税金を滞納した人からの徴収、いわゆる滞納整理ですね。

滞納者の財産を差し押さえたり、公売(オークション)したりします。

「TAX」と書かれたボードを持つ筆者
税金は大変だけどちゃんと払いましょう

納税課は、合わない人にはなかなかつらい部署かもしれません。

怒鳴られることも珍しくありません。

包丁を向けられたこともありました。








包丁を向けてくる高齢女性
ちびるでホンマ








ただ、僕はこの仕事が性に合っていました。

正義感が強め・けんかっ早い・工夫や思案が好き、といった気質が自分にあることをここではじめて自覚した気がします。

(いつも客に怒鳴り返して、あとで上司に説教されていました・・・。)

たぶん公務員生活で、一番やる気に満ちあふれていた時期だと思います。

ガッツポーズする若かりし頃の筆者
あのころは若かった・・・(そして細かった)

納税課には以下のようなよさがあります。

  • 公務員では珍しく個人の成果が数字で出る
    (徴収率=徴収した金額÷担当している滞納額)

  • 財産をどう見つけて差し押さえるか創意工夫の余地がある
    (やる気次第で、その自治体では前例のない差押えに挑戦できたりする)

  • ワークライフバランスはとてもよい
    (毎日残業しても滞納がゼロになるわけじゃないので)

そんなよさを謳歌した結果、少しは評価してもらえたのか、希望していた企画部門に異動することになります。


2. 企画部門に異動

次に配属されたのが企画部門です。

実際にやらないと、イメージしにくい仕事だと思います。

計画を作ったり、首長の特命事項(無理難題とも言う)をなんとかしたりね。

民間企業の経営企画にわりと近いかもしれません。

どの部署でも受け止められない重要事項を、サッカーのボランチみたいに拾い上げる役割だと思っていただければ。

配属されたのが新しくできた係だったので、最初の年は平職員が僕ひとり

あのときはほんともう・・・。

ひざまずいて泣く筆者
ある種の修行期間でした

ICT(情報通信技術)専門の係にいたのですが、文系出身なので全く知識がありません。

なので、未熟なりにあちこちかけずり回って、助けてくれる人とのパイプを作り続けました。

最後の方では地元にも東京にも、あちこちに技術者や行政マンとのつながりができてましたね。

個人的な飲み会にも呼んでもらったり。

それで助けてもらいつつ、市の分厚いガイドラインを一人で書き上げたこともあったなあ・・・。

正直、エリートと言われる人ほどバリバリ優秀だったわけじゃないです。

でも、一応の成果は残したし、自分なりにはよくがんばったと思います。
そして・・・。








企画部門で4年が過ぎようとしていたころ、会議室まで上司に呼び出されました。

「国に行ってみない?」

おどろいている筆者
え、自分がっすか?!

実は直前の人事面談で、その上司に「飽きてきて何がしたいかもわからないので、とりあえずガラッと環境を変えたいです」と話していました。

やけくそか!(笑)

そんなキャリアプランのかけらもないアホが面白かったのか、上司は思わぬ選択肢を拾ってきてくれたんですね。

言ってみるもんです。

この出向経験が、のちに僕の人生を大きく変えることになります。


3. 出向時代とたくさんの出会い

身バレしちゃうんで、出向先がどこだとか仕事内容とかは、詳しく言えません(笑)。

研修派遣だったので、身分も給与も出向元のまま。

表面的には国家公務員っぽく働いていました。

この出向経験について言えるのは、そこで出会った人たちが、僕の人生哲学を大きく変えたということです。

職場には自分以外にも、いろいろなところから出向してきた人たちがいました。

自治体からはもちろん、名だたる企業からも集まっています。

みんな各組織を代表してきているわけですから、純粋に優秀です。

でも、それ以上に、

  • 好奇心が強い

  • 問題意識が強くて改善意欲がある

  • 何かしらのジャンルのディープなオタク
    (必ずしも仕事の分野ではない)

  • それぞれ違うベクトルで変人

という特徴があったように思います。

みんな違って、みんないい。

だから互いを尊敬して、助け合いながら働いて。

ときには一緒に全力で遊んで。

僕の価値をありのままに認めてくれた友人たちが、何もないと思っていた僕に、大きな自信をくれました。

大学を出たら、あとはつまらない社会人生活が延々続く・・・。

そう思っていた学生時代の自分に教えたいくらい、楽しい毎日

両手でサムズアップする筆者
歳を重ねても素敵な出会いはどこかにある

そんな出向時代を経て、次のようなことを思うようになりました。

  • 世の中には、想像よりもはるかにいろいろな生き方がある

  • 自分の生き方や価値を認めてくれる人は、必ずいる

  • 自分と価値観が合わない人や組織の顔色をうかがう必要はない

  • いまがどうであれ、人生にはいつか必ず楽しいことが待っている

  • どう生きたとしても、自分次第でその時々を楽しむことはできる

いちど公務員になったからって、生き方はひとつじゃない。

この友人たちのように、認め合える人たちと生きていきたい。

そんな気持ちをほのかに抱きながら、僕は地元への帰路についたのでした。

4. 帰庁そして激務

地元に戻ってからの仕事も、あまり詳しく話せないんですよね・・・。

どの省庁に出向したのか、なんとなくわかっちゃうので。

新採用職員の人がわりと行きたがる花形部署、とだけ言っておきましょう(笑)。

でも、その実態は、希望でいっぱいの新採用職員にとても言えたものではありません。

戻ったその部署で、僕ははじめて庶務(総務の小さい版みたいなの)を経験しました。

一方で、庶務なのに計画策定といくつかの事業も担当していました。

しかも、部署内でとりわけヘビーな事業ばかり。
自治体ではよくあることです。

僕の場合「省庁の経験を生かせ」という意向があったことは、間違いありません。

でも、同僚もみんな深夜まで働いていましたね。

日付が変わるまで働くこともざら。

残業は多い月で100時間くらいでしょうか。
(もっとひどい部署もあるぞ!)

土日に出てきたり、職場に寝泊まりしたこともありましたね。

疲弊しながらパソコンに向かう筆者
もっとずっとひどい顔をしていたはず

前から薄々気づいてはいたんです。
僕、そもそも定型的な仕事が苦手なんですよね。

「この処理、いらなくね?」「この手続きはなんのためにあるんだ?」みたいな雑念が常に浮かんじゃって。

だから、庶務なんてもってのほか。
(ほんと公務員に向いていない)

しかも、苦手な定型業務にプラスオンして、省庁の経験を生かした負荷の大きい仕事。

(ちなみにこの仕事、ろくに理解していない議員に目をつけられて、議会が開かれるたびにしょうもない答弁を書いていました・・・。)

仕事の量と難しさ。

そして何より、自分で自分につきつける「この業務、なんの意味があるんだ?」という疑念。

省庁から戻って2年目も終盤に差し掛かったころ、僕の心身には限界が近づいていました。

倒れこむ筆者
健康より大事なものなんてない、絶対に


5. 限界

家に帰ってきたら「仮眠グアウト」とか意味不明な独り言を言って。

晩メシの前にちょっと横になったら、いつの間にか朝・・・みたいな生活でしたね。

そのころでしょうか。

当時住んでいたマンションはエレベーターがなくて、毎日階段を使っていました。

ある日、仕事から帰ってきたら、階段を一歩も登れないんです。

どうしても力が入らず、15分くらいその場にしゃがみこんでしまいました。

しゃがんだまま泣く筆者
消力(シャオリー)って感じ

またある日の深夜には、布団の中で理由のわからない不安に襲われ、呼吸ができなくなりました

その後、仕事を休んで病院に行ったら、まあ普通にうつと診断されましたね。

休職まではしませんでしたが・・・。

薬で少し良くなって、医者を信用できずに、薬を止めたらまた悪化して。

仕事に行くとき以外は、ほぼ布団で横になる日々でした。

布団から出られない筆者
最後の方はプライドだけでなんとか仕事に行っていた


6. 転職活動

不思議と「死のう」とか「おしまいだ」などとは思わなかったですね。

それはたぶん、出向時代に感じた、

「いろいろな生き方がある」
「どうとでも楽しく生きられる」
「必ず楽しいことは待っている」

という思いが、頭のどこかに焼きついていたからだと思います。

死ぬくらいなら仕事なんか辞めればいい。

そう考える判断力が残っていただけ、まだマシだったんでしょうね。

そして2024年1月、正月で少しだけリフレッシュした脳みそで、「転職活動をするなら今だ」と思い立ちました。

どうやって転職したのか、詳しくはまた別の記事で書こうと思っています

30代からのキャリアチェンジを考える人向けに、コツとか実体験とかね。

とりあえず転職サイトに登録して、職務経歴書を書いてみて、ちょっとでも気になった企業は片っ端から応募して・・・。

転職に関する本や記事もけっこう読み込みました。

公務員から民間への転職は全然不可能じゃない、という手ごたえも得ました。

不思議なもので、実は、転職活動をはじめたら急速に病状がよくなったんですよ。

読書に精を出す筆者
いまならもっと上手くできるはずだけど、当時はがむしゃら

恐らく、うつの最大の原因は「自分の人生をコントロールできていない感覚」だったんでしょうね。

だから、自分の意思で人生を決める行動に移ったことで、自分を肯定できるようになっていったんだと思います。

転職活動=究極の自己決定です。

企業を研究したり面接を受けたりするうちに、具体的にやりたいことをイメージできるようにもなりました。

キャリアに迷う人、やりたいことが明確でない人は、とりあえず勢いで転職活動をはじめてみるのも個人的にはアリだと思います。

その結果、公務員をそのまま続けることだって別にできるんですから。

時間休をとりまくって、面接を受けたり、それでも予定が合わなかったり。

そうとう苦労はしましたが、なんとか今の職場を含むいくつかの会社から、内定をいただきました。

ピースサインする筆者
なんとかなるもんや

もともと文章を書くことが好きだったのと、マーケティングに興味があったので、未経験ながらSEOライターとして働くことに。

SEO(検索エンジン最適化)が気になる方は、以下のページがわかりやすいですよ。

まあ転職した矢先に、SEOはいまとても難しい状況になってるんですけどね・・・。

そのあたりはまたおいおい。

さあ、ここから僕の人生の再生がはじまります。

7. 退職

前の職場には、最終面接に進んだ時点で退職意思を伝えていました。

多大な迷惑がかかるのは確実でしたが、最後は盛大な送別会と餞別まで。

とても温かく送り出していただきました・・・。
ありがとう、◯市!

別れを告げる筆者
退職は、今生の別れではありません

12年間つねに人間関係に恵まれたことは、公務員生活で最大の幸運でした。

まあ実は、退職日の関係で人事とゴタゴタしまして

すんなり退職とはいかなかったんですけどね…。

そのあたりの体験談はまたの機会に!
きっと転職したい人の役に立つはずです。

8. 再生の旅・日本一周

実は、転職先が決まったら絶対に実現すると決めていた夢があります。

それは、相棒(バイク)といっしょに日本一周をすることです!

筆者の愛車
病床でも心のよりどころだった愛馬

退職前の有給消化で1か月ほど時間を使えたので、北は北海道から南は沖縄まで駆け抜けました。

いい歳して何を学生みたいなことを、と思う方もいるかもしれません。

でも僕には必要なことでした。

いつかこの旅をするって決めていたから、うつのときも、転職活動中も、なんとか耐え抜けたんです。

その価値がわからない人に、無理にわかってもらう必要はありません。

仕事を辞めて、こういう夢をかなえること。
それもまた、自分の人生を自分で選ぶことです。

バイクを楽しむ筆者
この旅で体調もずいぶんとよくなりました

そして、この旅の道中でいろいろな人に出会いました。

  • 引退後にカブで全国を旅している工芸家さん

  • 定住せずに季節労働をしながら全国を回っているライダーさん

  • 仕事の技術を生かした配信をしているキャンプ系Youtuberさん

  • 子どもの自立後に移住して、キャンプ場の管理人をしているご婦人

  • 会社を辞めて地方に移住し、職人になった友人

本当に十人十色の生き方があって、別に正解なんかありません。

彼らに共通していたのは、自分で選んだ道を全力で楽しんでいることです。

出向時代に思ったとおり。

選んだ道を楽しめるかどうかは、それを解釈する自分次第。

人生の評価基準を、ほかの誰かに預けるなんてナンセンス。

人はどうとでも楽しく生きていけるんです。

Tomのこれから:公務員を辞めて

以上が僕の、公務員としての12年間です。

そして、僕はいま、出向時代を過ごした土地に舞い戻って暮らしています。

そう。自分で道を選んだら、住む場所だって選べるんです。

将来の不安がまったくないとは言いません。

それでも、2年前には考えられなかったような、穏やかな生活です。

みなさんの生活がどうか健やかなものでありますように

公務員からのキャリアチェンジを少しでも考えたことがある人に、それを思いとどまらせている一番の要因。

実はそれは「転職先が見つかるどうか」ではなく、「転職したその先でちゃんと生きていけるんだろうか」という漠然とした不安ではないでしょうか。

僕がこの先を楽しく生きていけば、たった一例とはいえ、「余裕余裕!」と答える根拠になるんじゃないか。

そう思いながら日々を生き、そしてこの記事を書いています。

僕も全然これからなんですけどね。

そして「どうとでも生きていける」「いざとなったら辞めてもいい」と思えたなら。

公務員を続ける選択をする人も、強く自分らしく生きていけるのではないでしょうか。

・・・随分と長くなってしまいました。

今回はこれで終わりです。

読んでくれて本当にありがとう

いつになるかわかりませんが、今後は以下のようなことも書ければと思っています。

  • 30代以上の公務員がキャリアチェンジするときのやり方

  • 転職活動の軸や、自分の強み・弱みの見つけ方

  • キャリアチェンジすべきかどうかの判断基準

  • 退職の流れと、退職時に注意すること
    (そして人事との戦い方)

  • 転職活動で心を強く保つ方法

  • 公務員生活のストレス対策

  • 公務員からWebライターになるとどうなるのか

全部書けるかな・・・?

今後ともどうぞよろしくお願いします。

以上、Tomでした!


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