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ことば

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私のすきな言葉をここに。
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#やさしさにふれて

灯台の足元で

灯台の足元で

絶対好きじゃん、と思ってその時が来るまでしばらく大事に取っておく。私にはそういう癖がある。最近で言うと、Netflixで配信されている『LIGHTHOUSE』。星野源と若林正恭のトークバラエティ全6回。こんなの絶対好きじゃん、でも6回なんてすぐ終わっちゃうから勿体ない見方はできないじゃん。

満を持して、#1を見た。許されるならば、肩をそっとさすらせてほしいと思った、2人の。同じように味わいたい人

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信じること、信じられるということ

信じること、信じられるということ

ついさっき、触れた言葉だ。金色の光が筋となって届いた気がした。

読み始めた『アムリタ』の上巻1/3あたりを越え、私は一度本を閉じた。音楽にも、本にも、映画にも、背に心地よい温度の手が添えられた時のような、救いの表現を見つける。作り手の信じるもの(信念、というより柔らかいなにか)が込められている、と勝手に思っている。

「救い」と表したけれど、腑に落ちるという感覚が近いのかもしれない。導きを得るこ

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あなたたちを心から、私は

あなたたちを心から、私は

「きらきら」というより「ぴかぴか」している女の子たちと話す時間を持つようになり、3年になる。主観の表現でしかないけれど、ぴかぴかは「新品の感受性」と「電飾のような光り方をする」という意味でそう思っている。

傷ついていない子なんていなかった。それと同時に、"ただ傷ついているだけ"の子も少なかった。大人は簡単に【可哀想】のレッテルを貼る。それぞれいろんな事情があり、それを軽視するつもりは毛頭ないけれ

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瑞々しく飛び出しては留まり

瑞々しく飛び出しては留まり

noteの下書きが、31本もたまっていた。

たった1行しか綴られていないものもあれば、700字程度埋まったものもある。似たようなことを書いてすでに記事にしたものも含まれているが、多分、全く同じではないはずだ。その瞬間の心の泡立ちは、そこにしかないはずだから。

何本か開いて、ざっと読んでみた。ひとつには、先日初めて対話させていただいた方のことが書いてあった。語られる物語に、痺れるような感銘を受け

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ほどけた心のそばにいる

ほどけた心のそばにいる

「私のことばと想いがきちんと届く」
そう安心できる相手がいることは、なんて嬉しいものだろう。

好きな映画の話をしたときに興味を持ってくれること。お気に入りのお菓子をおすすめしたら一緒に買いに行ってくれること。自分の世界を広げたいからと私の趣味に乗っかってくれること。譲れない想いや軸を互いに伝え合えること、そしてそこに共鳴できること。苦手や弱さや恥をそのまま見せられること。

「ことばと想いが届く

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「好き」は生きしろに、鉱脈を掘り当てて

「好き」は生きしろに、鉱脈を掘り当てて

昨年の春、『余白を愛していきていく』というnoteを書いた。ありとあらゆる流れの中で忙殺されてはいるけれど、とはいえ私は「くらしを愛する」「好きというきもちを大切にする」ことを蔑ろにしたくないと思い続けている。

ここしばらくの記事でお察しの方もいるかもしれないが、薄暗い空白に押し込められるような感覚に見舞われていた。自分の人生では経験したことのないようなものを他人の人生を通してどかんと受け取った

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だいじょうぶ、をあげるよ

だいじょうぶ、をあげるよ

年末の足音がする。確実に聞こえてきている。もういくつ寝ると、と言うには少し早い。それでも間違いなく今年は終わろうとしている。

このままでは冷静に新年を迎えられない…と、昨年末の私は思っていた。末も末、残すところ2020年は片手指分の日数しかない、というときのこと。折り合いをつけてなんとか向き合っていたある事柄を、近しい人が土足で踏み抜いていくような出来事があった。忘れられない。ひとり布団の中で声

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