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#日記
この社会で生きていくための研究。
久しぶりに後輩から連絡が来ました。
それがすごく嬉しくて、何より私が今枯渇していたものを見つけてくれた気がして、涙が出ました。
元々学生の頃から、反出生主義であったり、生きること死ぬことを語り合う仲間が多かったのですが、働き始めてから、そんな時間なくて。笑
その子の連絡から始まったちょっとした議論がとても私の心に染み渡って、
あ〜私には、これが足りなかったんだ。
と悟りました。
私に大学
我慢・強がり・見えない生きづらさ #私なりの生きづらさ論
※こちら深夜の連投ツイートをまとめたものです。
強がりをとっぱらい、言動の奥の願望を知る必要がある話。不登校について語る時に、「行きたいけど行けない」「行かないから行かない」って子ども達がいるという話をする。
また、「行きたかったけど、諦めて行かない選択をした」子も含まれて、全てが別物であるとも話をする。
これはどんな言動でも言える話で、例えば人を頼ることだったり、助けを求めることだったりで
感情が溢れて、生きていると感じる。
わたしは、ちょうど不登校生に向けた活動や生きづらさに関わる活動をはじめた時から、よく泣くようになった。
多分きっと、誰かに本当の想いを伝えることがなかったからだと思う。
本音を話すと、強い心の底の声を吐露すると、涙が出る。
活動をはじめて数日、生まれてから16年で、はじめて知った。
死に損ないになる前、
わたしは自分の気持ちがわからないつまらない人間だと思っていた。
わたしは代替えの利く無
私たちは幸せに生きる権利がある。
私たちは幸せに生きる権利がある。
2年半前に書いたこと、今でも思い返します。この記事があったから大学で人権を考えようと思ったのかもしれません。
幸せか不幸かは自分が決める
最近あちこちで見かけます。# 不登校は不幸じゃないってやつ。
この取り組みすごく好きです。社会全体が不登校の今を知ってもらえる、学校に行かないが当たり前の選択肢としてある未来になるきっかけになる良い試みだと思います。
で
私たちが持つ「学ぶ権利」
私は大学に入って、とある資格を取ろうと思って「教育」についての科目を取って講義を受けてます。(この授業めっちゃ楽しいのですよ。興味深いって意味で。)
そして、この授業で「学校教育は今の日本にとって完璧なのか」「学校外での学び」についてを考えながら受けてます。
やっぱり「不登校」「生きづらさ」を考えるなら、教育という場所からの視点も持っておきたいと思ってるので。
今回、この記事で書きたいのは義
「不登校」でズルい私を肯定したかった
私はズルい。そのひとつの考えに縛られてきました。
きっと今もそうかもしれないけど。
今は、その私自身を認めてあげられるように努力する真っ最中。
その時書いた記事です。
肯定するための知識私、大学内では法学部政治学科というところにいて、政治のお勉強をしているんです。
でもその一方で、社会教育主事という資格を取るためのお勉強もしていました。(理由は教育の勉強したかっただけなんだけども)
その資
20になる私はもう「不登校当事者」なんて言えないかも。
かれこれ長いこと不登校について語ってきてるんだなぁとしみじみしています。
私が不登校生活をスタートしたのは、今から7年も前のことになるんですね。逆に終止符を打ったのは今から4年前。
歳を重ねるにつれてたったの数年はあっという間だと言いますが、もうとっくに昔の出来事なんだと感じます。
今回は当事者意識の話を書きますね。
何を以て当事者なんだろう。まず当事者という言葉は、
その事に直接関係を持
後天的な器用、人間的な不器用。
私の精神衛生の悪さがピークに達したときに、必ず吐き捨てるセリフがある。
「もっと頭悪く、人に頼らざるを得ない人間に生まれたかった。」
このセリフだけを聞くと反感を買う可能性が高いが、正直私は頭が良いと思っているわけではない。いや、そうではなくって。
セリフをわかりやすく訳すと、
「人に頼りたいのに、頼る前に自分で丸め込むなどして解決してしまう無駄な要領の良さが生きづらい。」
ということを言いたい
「何も知らないくせに」が生きづらさと向き合うキッカケ。#私なりの生きづらさ論
昔の私は兎に角トゲトゲしていたと思う。
それは人の温もりをわすれた捨て犬みたいな感じ。
当時大人に向けて放った言葉、周りの人に思っていたことは
「誰も私のこと、何も知らないくせに。」
もう捨ててしまったけど、たくさんノートに書き殴った記憶がある。
今思うと、「誰も私のこと、何も知らないくせに。」という誰もは、自分自身も含まれていたんじゃないかなって思ったりもする。
不登校とか引きこもりとかに