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「幸せだ」そう言える人生は美しい。

この記事は卒業式が終わった翌日に書きました。ブログにはN高のことは書きませんでした。

N高生として卒業について、卒業式について書きません。それらは、きっとただの節目に過ぎず、何も変わることはないから。

今回は、生き方について。

「逃げ」はれっきとした選択肢。

学校を辞める
仕事を辞める
休学する
長期休暇をとる
引きこもる
ニートになる

こういった選択をすると、周りはこう言います。

「逃げたら最後だよ。」
「この先にはもう道はないよ。」
「逃げたところで何も変わらないよ。」

私が思うに周りで生きている人は、どうやら、逃げるという行為が嫌いみたいです。
「逃げるな、戦え」という思考の方が多いイメージがあります。

多分、逃げたことがないからです。逃げた先を知らないからです。

私が学校に行かなくなった時、周りは必死に学校に戻すように、中学に行くように、全日制の高校に行けるように、と色んな事をしてくれました。
でも、その裏腹に、私の心は荒みに荒んでボロボロになりました。

頑張っても、努力して結果がついても、誰にも認められないし、やりたくない事を強いられて、誰のために何のために生きているのかも分からなくなりました。

見えない苦しみを与える何かに、立ち向かえば、立ち向かうほどに、心に傷がついて、芯が折れ、皮だけで繋がって何とか生きている気分でした。

でも、その環境から別れて、逃げてみたことで光が見えました。
その光に手を伸ばしたことで、逃げた先の道を見つけ、必死こいて切り開いた先が今です。


色んなことを、色んな人に言われたけど、逃げた先に道はあったし、全然まだまだこれからだし、私の中で変わったことだっていっぱいあります。

だから私は逃げた選択を後悔していないです。そして、自分の選択を信じて進めば道は切り開けるって信じるようになりました。(きれいごと気持ち悪いね笑)

この話で何を伝えたいかというと、「逃げるな、戦え」はただの1つの価値観に過ぎず、言った人の美徳でしかないってことです。

だから私は、チートのように扱われがちな逃げという選択肢はれっきとした1つの選択肢なんだと、ここで伝えたい。

どんな形でも幸せなら美しい

逃げという選択肢にしても、何にしても、生きようと思ったら、非難されることも、苦しいアドバイスをもらうことも、批判されることもあります。
人生ですから。

でも、その人たちの意見を全部反映させる必要はないんです。
悩んだ時に経験者からの耳を傾けて、困った時にたくさんの意見を参考にすれば良いのです。
その人生を生きるのは、貴方しか居ないし、決定権を持つのも貴方だけです。

そして、誰かから褒められるような、羨ましがられるような生き方を、無理にしなくてもいいんです。
社会の声は時代と共に変わります。周りの人がすごいと言う生き方も変わっていきます。
だから、貴方が幸せだと胸を張れる生き方がある方向へ、それがどんな道でも歩んでいけばいいのです。

幸せだと感じられる生き方がそこにあれば、その生き方はどんな形であっても、美しいことに変わりはありません。
貴方の心と生命が健やかに過ごせているのであれば、きっとそれはステキな人生です。

私自身も、これから先、色んなことが待ち受けていたとしても、私の思う幸せを大事に、私らしい生き方を作っていきたいです。
私の中で、私が思う美しい生き方を研究したいです。

幸せで美しい生き方を求めて、挑戦する、挑戦しようとするステキな皆さんに、
これから先も幸せで美しい生き方であることを祈ります。

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