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原稿用紙二枚分の感覚

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「原稿用紙二枚分の感覚」の応募作や関連する記事をまとめています。
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#掌編小説

祖父の想いで

祖父の想いで

それは夢だと解っていた。
家の中は橙色の裸電球でも暗く、まるで停電の蝋燭のような儚い灯りの中にいた。なのに、奥の襖を開けると途端に明るく、日が照っていて眩しいくらいの夏が覗いた。
一歩前に出ればそこは外で、さっきまでの陰鬱な屋敷内が嘘のようで、それが夢なのだと解った。壁を透かして見ているような、そんな映像が目の前に、とにかく眩しく、照明を間違えて調節したような、目を開けていられないくらいの光で、慣

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掌編小説『水色スイマー』

 ゴーグルを通してみる水底は肉眼で見るのと妙に遠近感が違う。
 俺はクロールで五十メートルプールの中程まで息継ぎなしで泳ぐ。手足の先からピリピリと酸素が抜けていく。限界に達した時、水面から最小限の動作で息継ぎをする。一気に肺が膨らむ感覚がした。
 五十メートルプールの端までたどり着くと、俺は勢いよくプールから上がった。吹きすさぶ風が、もう六月になるというのにどんどん体温を奪っていく。もちろん下半身

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【掌編小説】おもいで

 白く乾いた茶色い土に、ぽとり、ぽとりと。黒いしみが落ちていた。

「ちょこれーとだ!」

 女の子が言う。

「かのちゃん、ちょこ、れぇ、と!」

 女の子がしゃがんだ。

「かのちゃん!」

 ひかりを受けてふわふわ揺れる、か細く短く逆立つほつれ毛。女の子のうしろ頭と、黒いしみ。

「かのちゃん!ほら!」

 腰を折って、目をしみに近付けた。じんわりと、ふっくらと、縁から盛り上がり、縁から剥

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[掌編小説]「K」の空間#原稿用紙二枚分の感覚

[掌編小説]「K」の空間#原稿用紙二枚分の感覚

建物の前には「K」の形のプロダクト。ギィ、と鳴るのは重い扉。漂うのは白ワインのコロンの香り。そんなお部屋にお邪魔します。扉、ガタン。

香りの先には笑みを浮かべた白髪老婆。受付カウンターの天板はテカテカで。そこに両手を添えて待っていた。

呪文が聞こえた。フランス語。

手を突っ込む。ひんやりとしたコロナコイン。ポケットの中ジャラジャラしてる。3枚掬って老婆の手元に。脇から垂れる酸っぱい汗。

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長い髪 #原稿用紙二枚分の感覚

長い髪 #原稿用紙二枚分の感覚

「お母さん!お母さん、いないの?」

半泣きで走って帰った家は空っぽで、帽子とランドセルを乱暴に玄関先に投げ込むと、由美子は斜向かいの山田家に走った。

5月にしては暑い日で、山田の叔母さんは風を通すために玄関のドアを開け放っていた。玄関先には母のサンダルが並べられていて、奥の居間からは良く通る母の声と山田の叔母さんの笑い声が聞こえていた。

「お母さん!」

まるで自宅かのように靴を脱ぎ捨て、挨

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アスファルトの上の陽炎(ショートショート)

アスファルトの上の陽炎(ショートショート)

歩いても歩いても景色は変わらなかった。
右手に広がる青々とした田んぼ。前方に佇む山は霞んで見えた。
目の前のアスファルトは山に吸い込まれるように一直線に伸びていた。
ジ、ジジジーィ!
油蝉の鳴き声が尻すぼみに止んだ。
アスファルトには木の影が黒々と刻印されていた。
汗が左頬を伝わる。
左の眼下に白い砂のグラウンドが現れた。大学野球の練習場だ。
僕はカバンを置くと、捕手の人形のキーホルダーが躍った。

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目覚める前もずっと暗い

目覚める前もずっと暗い

 夢の中でだけれど、初めてバラの花束をもらった。青いのを三本、リボンで結んだ小さな花束だ。八重咲の花びらには蛆が這っていて、でも、とても良い匂いがする。
 棘の部分がむき出しのままだから、無理に握らされるとすごく痛い。渡してきた相手の手も血塗れで、きっと彼も同じくらいに痛かったはずだ。これでおあいこということには、けしてならないけれど。
 私と彼が初めて会ったのは子どものころで、やはり眠っていると

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掌編小説 お弁当

掌編小説 お弁当

 週5日勤務のうち4日は訪れていた定食屋が、とうとう臨時休業の貼り紙を掲げやがった。
 さほど高くなく、もちろん美味くって、ご飯のお替わりが無料で、平らげたあとも追い出す雰囲気を醸し出すことなく、ぼんやりと本を読んでいられるランチの店は近場ではここしかなった。

 仕方がないので街を行きつ戻りつうろつき歩き、適切なランチの店を探し求める。探せ、この世のすべてをそこに置いてきた、とかつぶやきながら。

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ルンナは夜明けまでに

ルンナは夜明けまでに

 ルンナは、昨夜トイレに入って内側の鍵を下ろした。

 手探りで下腹部に起きた変化を確かめる。両脚の間に突如出現したドームのようなものが、圧力の高まりによって、徐々に大きくなる。押し出されるようにして飛び出したそのドームのようなものを、自らつかんで引きずり出す。ずるずると抜けたとき、手の力も抜ける。

 水洗トイレのわずかな水溜まりから、今取り落としたものを慌てて拾い上げる。手のひらで丁寧に拭きな

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最初の晩餐

最初の晩餐

 今宵もいつも通り、妻が作りたての夕飯をテーブルへと運んできた、本日の献立は、スマホケースのムニエル、ボトルキャップの浅漬け、ハンガーのカーテン巻き、それと白飯であった。

 ……ハッと顔を上げると、妻と兄妹は既に食事を初めていることに気が付く。妻に俺に向かって怪訝な顔をするので、俺は箸を動かし始めた。俺はまず初めに白米を口に入れ、続いて白米を頬張る。

 「パパ〜!おれもその皮ケース食っていい?

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僕らは歩いていく #原稿用紙二枚分の感覚

僕らは歩いていく #原稿用紙二枚分の感覚

ザジャリザジャリと僕らは歩く。

淡紅色の砂浜に、2つの影が、長ぁく伸びる。

ザジャリザジャリと影を追い、僕らはゆっくり身を寄せる。

2つの影が1つになって、離れるときには手で繋がっていた。

会話の無いまま、僕らは歩く。

ザザァザザァと打ち寄せる波。

右掌を握り直し、指を君の左手に絡ませた。君の肌の柔らかさと、薬指にはめられた指輪のツルツルした硬さを感じる。

半歩先を行く君がそれを握り

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約束事

約束事

 雨叩く夜の密林。深い深い海の底のような闇に紛れ、湿気を掻き分け、兵士たちは退却を続けている。
 負傷者のうめき声と、血の臭い。
 全員の荒い呼吸と、汗の臭い。
 追駆者たちの散発的な銃声と、硝煙の臭い。
 雨では消えぬ、戦場の音。
 雨では流せぬ、戦場の臭い。
 兵士たちの足並みはすっかり乱れ、随分と数も減っていた。下手に反撃する者は、横殴りの雨のように返ってくる敵の弾に蜂の巣にされた。まだ動け

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【掌編小説】カレーの日

 病院の窓。外。ショッピングセンターの駐車場。数少ない車。ぴかぴか輝く、屋根や鼻っ面。
 独り者のドアが開いた。運ばれてきた食器には、いつも通りに蓋がされている。お皿の数は少ないのに、何だかいつもより豪華に見えるワンプレート。

 「お食事ですよ。今日はアレですよ」
 「えへへ」

 看護師さんが含み笑いで退室する。蓋を開ける。食欲をそそる、あの匂い。有名店のとっておきのスパイスが入っている訳でも

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