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公開セミナー「村上春樹と時代精神:トーク・オブ・ザ・タウンから」のメモ
10/8に早稲田大学で行われた
公開セミナー「村上春樹と時代精神:トーク・オブ・ザ・タウンから」
に参加してきました。
セミナーの趣旨は
「村上春樹はどのような評価を受けてきたのか。40年を経て書き直された「街とその不確かな壁」の意義とは。1980年代から現在まで、その時々の新聞、雑誌記事資料にみられる言説(トーク・オブ・タウン「街の話題」)をもとに村上春樹とその作品をめぐる時代相、社会心理をさぐ
「シンポジウム 詩とはなにか、小説とはなにか」覚え書き(感想)
5/6開催の法政大学国際文化学部主催のオープンセミナー
「シンポジウム 詩とはなにか、小説とはなにか」
へ詩が不得手なのに聴講しに行きました。
登壇された詩人の山﨑修平さんとは博士課程の指導教授が同じというゼミ仲間で、日ごろ大変お世話になっているにもかかわらず詩については
「(鈴木には)情緒がないので分からない」
といつもモヤモヤした回答(というか事実)しか返せない自身を反省して
何か得るものがあ
「モールの想像力」展(@高島屋資料館TOKYO)感想文
大学の図書館の本を片っ端からパラパラめくっていた中に、2005年に出版された東京という都市の表象を論じた本(書名忘れました)があった。
その中で、千葉県船橋市にある日本初の米国型(車で来る客がメインとした大駐車場がある)ショッピングモール「ららぽーとTOKYO-BAY」について、
「おしゃれ過ぎずでもカジュアル過ぎない人たちが集う場所」(大意)
と微妙にdisる表現がされていて、何となく納得すると
文豪からの呪い――『しししし4』のおまけ
赤坂にある双子のライオン堂書店さん。
白山にお店あった頃からお世話になっていますが、不肖私め、ライオン堂書店さんが出している文芸誌『しししし3』と『しししし4』のコラム「本と生活」に文章を書いております。
『しししし3』(特集:サリンジャー)が「できない読書」
『しししし4』(特集:中原中也)が「電車読書の思い出」
前者は〈本に書き込みができない&布団の中で本が読めない〉といった内容でして、後者は
救いを問いかける――赤坂真理『箱の中の天皇』論③
3.救われなかった「男」たち『箱の中の天皇』における「男」は、マッカーサーとプッチーニのオペラ「蝶々夫人」の海軍士官ピンカートンに象徴されている。二人ともアメリカ人であるうえ、ピンカートンはまだ年若い日本人の少女の蝶々を妻にし、マッカーサーはマリを「コールガール」と呼び、横浜の街娼であるメアリとの〈関係〉を匂わせるという、戦後のアメリカと日本の関係を男女関係に当てはめる〈縮図〉として登場しているの
もっとみる【評論】救いを問いかける――赤坂真理『箱の中の天皇』論②
(論文内の人名は敬称略となっております。ご了承ください)
2.「箱」と「空」『箱の中の天皇』は、『東京プリズン』ではアメリカに留学中の高校生だったマリのその後を描いている。
舞台は、天皇(この作品では令和に譲位をした明仁上皇)が生前退位を「お気持ち」として表明した一年前、母親と横浜を訪れたマリはメアリと称する白塗りの娼婦からの指令で、連合国軍最高司令官総司令部(以下、GHQ)の最高司令官である
【評論】救いを問いかける――赤坂真理『箱の中の天皇』論①
(この論文をアップしたことについて書いたnoteです。お読みいただければ幸いです。なお、論文内の人名は敬称略となっております。ご了承ください)
1.はじめに 2020年6月、WEBサイト「Real Sound ブック」において「阿部和重、町田康、赤坂真理……〝J文学〟とは何だったのか?90年代後半「Jの字」に託された期待」と題する記事がアップされた。内容は、2019年秋号(2019年7月発売)よ
論文をnoteにアップします
以前に書いた論文(主に文芸評論)を、ちょっとずつnoteにあげて行こうかと思います。
最初は、所属する大学院で出している冊子(『日本文学論叢』50号)に載せた評論
「救いを問いかける――赤坂真理『箱の中の天皇』論」
です。
主要大学院の国文学研究専攻等には送付している冊子ですが、リポジトリ化がされていないので、加筆・修正したものをnoteにアップします。
初めて文芸評論を意識して書いた文章なので、
大学院生に〝ふさわしい〟のは誰なのか?
奨学金を受給されて大学院で研究している主婦の方に対して
「旦那の稼ぎで生活費まかなってるくせに、稼ぎもないのに安易に大学院に来るな」
「大学院はカルチャースクールじゃないんだ」
「奨学金は本当に研究者になりたい人に優先的に支給すべきだ」
などというツイートをぶちかまして騒がせている人がTwitter上に登場。
案の定、それに反論するリプやRTの嵐で針の筵のようですが(その後、ツイ主氏はこのツイート
群像新人評論賞最終候補を受けて
この度、第65回群像新人評論賞の最終候補に拙論
「〈雑種〉であること――中上健次のクレオール性」
(※〝雑種〟はルビで〝ハイブリッド〟&筆名は本名の漢字表記)
が選ばれました。
最終候補の連絡から選評の載る雑誌の発売までタイムラグがありすぎて
「実は最終候補は自分の思い込みで、妄想だったのだ!」
という感覚がどこかにあったのですが、ちゃんと「群像」に載ってました。
「群像」(2021年12月号)
小説をめぐるグルグル
論文を書くにあたって、昔の文芸誌をめくることが多々ある。私の場合、60年代末から現在までが書き物の射程範囲なので、近現代文学研究からすると昔といっても〝ごく最近〟のことだったりします(ゆえに旧漢字&かな遣いは苦手だったりする)
今、90年代後半にデビューをした某作家の論文に着手していることから、そのあたりの文芸誌をパラパラめくってると「文学離れが加速!これでいいのか、今の文学?」的な内容がしばし