「相棒」から「おかえりモネ」へ抱いた違和を思ってみる
小さい頃からテレビ好きな自分。
でも、テレビドラマはそうでもなかったのですが、修士論文を書くために勤め先を辞めたタイミングで朝ドラで「あまちゃん」が始まったので、そこから主にコメディ要素が強めなものをちょいちょい見るようになりました。
今は、大河の「鎌倉殿の13人」に期待してます。
そんな中、正月早々「相棒」の脚本を書かれている作家の太田愛氏が「相棒20元日SPについて(視聴を終えた方々へ)」と題したブログをアップしてネット上で話題となりました。
詳細はブログを読んでいただくとして、
つまり、
〈演出側が何の相談もなしに、社会不安を煽動するようなエキセントリックな演出を入れてしまった〉
ということで、太田氏が心痛しているというものです。
「相棒」は、たまーに昼間の再放送を「あぁ、やってるな」と思う程度ですが、〝話題だけ先行してる俳優を使うだけのワンクール消費ドラマ〟ではなく、〝一話一話きっちり丁寧に作っているのが売り〟という認識でした。でも、こういうことが明るみに出ると、実際はそうではないのかなと。
さて、「相棒」の内実はさて置き、私はこの太田氏の告白を知った時に、2021年10月まで放送をしていたNHK朝ドラの「おかえりモネ」で抱いた違和を思い出しました。
「おかえりモネ」は、気仙沼からほど近い亀島(モデルは気仙沼大島)で育った永浦姉妹(姉が百音(モモネ)=モネで作品のヒロイン。妹が未知(みち)=みーちゃん)が登場します。姉妹はともに中学生だった時に東日本大震災で被災していて、モネは震災当日に高校受験の合格発表で仙台にいたため島を襲った大津波は見ていません。でも、島にいたみーちゃんは津波を経験していて、認知症の症状が出始めていたおばあちゃんを連れて避難所へ逃げていたということになっています。
なお、みーちゃんはモネに「津波見てないもんね(≒お姉ちゃんはあの時に何もしてない≒役たってないよね)」とトラウマになる言葉をかける役どころです(なので、モネは誰かの役に立ちたいと思い続けていて、それがドラマの鍵になっています)
で、なんやかんやあって(←乱暴)、姉妹関係も雪解けしモネのトラウマも軽くなってあとは放送がラスト数回というところで、みーちゃんがモネに衝撃の事実を告げます。
それは、
「動かないおばあちゃんを置いて自分だけ津波から逃げた」
というものでした。
オイオイオイ!
あと数回で終わりなのにそんなに重い告白を入れてどうするんだ!!
と突っ込まざるを得ない急&強引な展開。
みーちゃんの告白からだいぶ前の回で、震災当時に本土で小学校の先生をしていた姉妹のお母さんが、なぜ教師を辞めたのかを娘たちに告白する場面があります。
それは、
「あなたたち(永浦姉妹)が心配で仕方なかったので、帰宅困難で教室に残された(姉妹よりもずっと幼い)教え子たちを置き去りにして島へ帰ろうとした。そんな自分は教師失格だから辞めた」
というものです。
しかし、みーちゃんはこのお母さんの話を聞いて動揺するとかは一切無く、おばあちゃんを置いて逃げたという「傷」を告白をモネにした時にも、お母さんの話にはまったく触れていません。
お母さんの心からふり絞る告白は何だったの、みーちゃん……。
結局、モネはみーちゃんに
「〝みーちゃんは悪くない〟って言い続けるから」
というような言葉をかけて、この問題は終わります。簡単解決。
あと数回の放送なので「これで終わり!」なのも仕方ないのですが、このみーちゃんの告白は本当に必要だったのか、「相棒」の問題を受けて改めて疑問に感じました。
この告白が無くても、モネの恋人である菅波先生(呼吸器科の医師)とコロナ禍前夜(ラスト部分の舞台は2020年初頭)をもっと入れるとかして話は進めることができるはず。
と思うと、みーちゃんの告白の存在は「それ、いる??」とますます疑問。
ということもあって、これも「相棒」のような「エッ(驚)」という演出を盛り込んで視聴者を引きつけるためだけの、急に決めた設定だったのかな、と勘ぐってしまいます。
ちなみに、脚本を担当した安達奈緒子氏は、下部リンクのインタビューではこのことについて何も話しておりません。ネットで拾えるドラマ終了後の安達氏のインタビューは、概ねこのリンク記事と同内容なので、今の段階では「納得しての放送だった」と受け取ります。
私は震災に関する書籍の編集をちょっとだけ手伝ったのですが、その中に津波から逃げるために親しい人を置いて逃げざるを得なかった人が後悔の念を吐露している文章がありました。
加えて、テレビでの被災者の方へのインタビューで、「おばあさんが〝足手まといになるから置いて行け〟と孫である自分を避難させ、おばあさん自身は目の前で津波に呑まれていった。そんな自分は生きてていいのかと自問自答している」という方の話も聞きました。
そういうエピソードが現実に、おそらく数多く存在することを思えば、たとえドラマ(虚構)とはいえ、簡単に済ませていい「傷」なのかと残念に思います。ドラマでは、結局おばあちゃんは津波からは助かっているのですが、そこは「助かったからいいじゃん」ではないはずです。
でも、ひょっとしたらこのドラマの違和は、自然災害という逃れられない絶対的で巨大な暴力を考え続けるために与えられたものなのかも知れません。