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論文をnoteにアップします

以前に書いた論文(主に文芸評論)を、ちょっとずつnoteにあげて行こうかと思います。
最初は、所属する大学院で出している冊子(『日本文学論叢』50号)に載せた評論
「救いを問いかける――赤坂真理『箱の中の天皇』論」
です。
主要大学院の国文学研究専攻等には送付している冊子ですが、リポジトリ化がされていないので、加筆・修正したものをnoteにアップします。
初めて文芸評論を意識して書いた文章なので、研究論文の匂いもちょっとしますが、その辺はご容赦ください。

2019年度、赤坂真理先生が客員教授として大学院の創作の授業(我が専攻には文芸創作のプログラムがあるのです)で一年間教鞭をとられたのですが、その授業に参加して、先生のものの見方や発せられた言葉が、今も大いに研究や論文の参考になっており、非常に得るものが大きい授業となりました。
そのおかげで、授業終了後は見事に〝赤坂ロス〟となって抜け殻状態に…。
で、授業では一年間の成果として冊子を作るのですが、そこには研究論文として『東京プリズン』の論文を載せました。
でも、自分としては〈『東京プリズン』+『箱の中の天皇』〉という二作品に対する論文を書きたかった。
自分の力量と時間と紙幅が足らなかったから書けなかったのですが、そのことを赤坂先生に言ったら、
「『箱の中の天皇』論は別に書いて」
と仰っていただいたので、
「じゃぁ、専攻で出す『日本文学論叢』に投稿しよう」
と決めて書いたのが、「救いを問いかける――赤坂真理『箱の中の天皇』論」になります。

最初は
「石牟礼道子と美智子妃との関係やチッソと水俣と皇室との関係、確か雅子妃のおじい様はチッソの社長だったよなー」
とか思いつつ、企業責任と戦争責任を絡めた論文という方向性を持って書いていたのですが、ナゼか道はそれにそれて結局は120%考えもしなかった着地点に到達しました。
でも、この〝考えもしなかった〟というのが、実は自分が奥底で考えている問題なのかも知れないな、と感じています。

論文は全文をバーーンとアップしても良いのですが、あまり長いのもアレなので、章ごとに連載のような形でアップして行きますので、お付き合いいただければ幸いです。