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【評論】救いを問いかける――赤坂真理『箱の中の天皇』論①

この論文をアップしたことについて書いたnoteです。お読みいただければ幸いです。なお、論文内の人名は敬称略となっております。ご了承ください)

1.はじめに

 2020年6月、WEBサイト「Real Sound ブック」において「阿部和重、町田康、赤坂真理……〝J文学〟とは何だったのか?90年代後半「Jの字」に託された期待」と題する記事がアップされた。内容は、2019年秋号(2019年7月発売)より大胆なリニューアルをした文芸誌「文藝」が売上、評価ともに好調なことを受けて、文芸・音楽評論家の円堂都司昭が90年代後半に同誌が起こした「J文学」運動を検証するものとなっている。
 円堂によれば、「J文学」とは「明確な定義があったわけではない。(中略)1990年代にデビューした作家たちの総称として、とりあえずJ文学が使われたのである」とし、「J文学は、J‐ポップを意識したネーミングだった。(中略―「J-WAVE、Jリーグをはじめ、日本の略称Jを使った言葉がいろいろ作られた時期であり」)ワールドカップと日本サッカー、洋楽と肩を並べるジャンルとしてのJ‐ポップというように、Jの一字には世界のなかの日本という含みもあった。純文学をもじったJ文学は、そんなJのニュアンスを小説にも与えようとするものだった」と、そのネーミングの事情を説明している。そして、「J文学」の仕掛人で、当時「文藝」の編集長だった阿部晴政の「スタジオ・ボイス」2006年12月号の談話が同WEB記事内で以下のように紹介されている。

(略)(ママ―引用者)J文学って、僕らが勝手に文学をリミックスしたという感じなのかな。文学をカジュアルにして、敷居を低くしたいというのが僕らの狙いだったから、同世代の音楽やコミックと結び付けてリミックスして純文学の古臭いイメージを刷新したかった。

「スタジオ・ボイス」2006年12月号

 当時の「文藝」の振舞いは、文学が〈カルチャー〉から凋落しそうだという危機感から、それまで〈カルチャー〉の〝下(サブ)〟に位置すると軽んじていたにもかかわらず隆盛をしてきた〈サブカルチャー〉へ接近することで、何とか生き延びようとする涙ぐましい姿、と感じられても仕方がない。だが、「J文学」はメディアなどでそれなりの反響はあった(注1)ものの、当初の目論見よりも雑誌や単行本の売れ行きが芳しくなかったせいか、「文藝」は2000年以降あえてこの呼称を使用していないとされている(注2)。
 結局、短命に終わった「J文学」運動だが、「J文学」の作家たちはその後もコンスタントに作品を書き続けている者が多い。円堂は同記事内で二人の作家の名前をあげ、その変化を、「J文学」の「J」の字から以下のように述べている。

(前略)かつてのJの字は、グローバルと日本の関係を漠然と連想させるものだった。それに対し、赤坂真理は『東京プリズン』(2012年)で東京裁判を、『箱の中の天皇』(2019年)で天皇制をテーマにし、阿部和重は昨年発表の『オーガ(ニ)ズム』で完結した神町トリロジーで日米関係を扱った。J文学の代表格だった二人は、もっと明確に日本やアメリカと対峙する小説を書くようになったのだ。

円堂都司昭「阿部和重、町田康、赤坂真理……〝J文学〟とは何だったのか?90年代後半「Jの字」に託された期待」

 敗戦後から続く日米関係の捉えなおしに代表される、かつて「J文学」が「古臭い」として避けようとしていた政治的なテーマを、代表格的な二人の作家が呼び戻したことは、ある意味において皮肉なことなのかも知れない。それは、かつて仕掛人の阿部晴政が狙った、文学を「カジュアルにして、敷居を低くしたい」こととは真逆のことだからである。
 一方、そのような「古臭い」文学テーマの呼び戻しをもとに書かれた作品の評価は高いものであった。なかでも赤坂真理の『東京プリズン』(河出書房新社、2012年)は、毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部賞といった賞を受賞し、新聞などの書評で「これは世界文学である。今すぐ各国語に翻訳して欲しい。」(注3)や、「読み終わった時、戦後史について、日本という国の精神誌について、新しい像が生まれていることに気づく。」(注4)などの賛辞を受けた。
 赤坂本人は作品への賛辞に対し、「この頃は「戦後論」を語ろうなどという流れはほとんどなかった。『戦後論はこの本から始まった』、『文学史的事件』と言われたのが、とてもうれしかった。」と、自らが著した年譜(注5)で述べている。これらの事実は、いくら文学が「カジュアル化」しようとも、敗戦から80年近く経っても続く〈戦後〉の問題から目を背けることができないことを『東京プリズン』が示したと言えよう。そして、その続篇とも位置付けられる作品が本論で論じる『箱の中の天皇』(河出書房新社、2019年)(注6)であり、アメリカの影が色濃く反映された日本国憲法の問題が引き継がれ、テーマは「東京裁判」及び天皇の戦争責任から日本国憲法に記載された象徴としての天皇の存在に移行する。
 ここで、再び前出した円堂の記事に戻りたい。「J文学」から政治的テーマへ作品の変化があったという文章で、『箱の中の天皇』については「天皇制をテーマ」にしている、と記している。しかし、読み手が重きを置くべきことは、小説は天皇制の是非を問うているのではない、ということである。個人としての天皇と制度である天皇制を分けて考えることは、この作品における重要な提示であり、作品内でも「わたしは天皇制の議論をしていません。わたしは人間のことを、そして人間のつくる社会のことを、言っているのです」と主人公のマリが述べるように、テーマは天皇制への言及だけではなく、アメリカから「象徴(シンボル)」とされたひとりの人間のあり方へ迫るものとなっている。そのような天皇個人へのアプローチの仕方は、これまでの文学作品にはほとんどなかった(注7)。だから、この作品は「戦後日本のあり方を問い直す過激な思考実験であり、小説にしかできない切実な天皇論」(注8)になっているのである。
 この論文では、このような天皇への新しいアプローチが書かれた『箱の中の天皇』で、一体何を読み取ることができるのか、その可能性の一端を示すことを望んでいる。
(2.「箱」と「空」へ続く)

[注記]

(1)「J文学」の名付け親である佐々木敦は、自著『ニッポンの文学』 (講談社現代新書、2016年)において「J文学」の効果について「(多くの批判はあったが―引用者)一時的なものではあれ小さな流行現象を惹き起こしたのです」としている。
(2)佐久間文子『「文藝」戦後文学史』(河出書房新社、2016年)
(3)いとうせいこう「書評 『東京プリズン』赤坂真理著 忘却された歴史、文学でとらえる」(朝日新聞、2012年7月15日東京版朝刊)
(4)池澤夏樹「今週の本棚 『東京プリズン』=赤坂真理・著」(毎日新聞、2012年8月5日東京版朝刊)
(5)赤坂真理「本人による秘密年譜あるいは当事者研究」(『2019年度文芸創作研究プログラム「作家特殊研究」研究冊子9 赤坂真理』法政大学大学院人文科学研究科日本文学専攻、2020年1月)
(6)「箱の中の天皇」の初出は『文藝』2018年冬季号(2018年10月6日発売)、単行本は記述のように2019年に河出書房新社より発売されている。なお、本論内における作品の引用はすべて単行本からとなっている。
(7)松田繁郎「夢の迷路――赤坂真理『箱の中の天皇』」(『民主文学』第648号、2019年)では、「言論・表現の自由があるのに、一部の作家を除いて、象徴天皇のことを書く小説は、「危険」の札の前に立ち止まるかのように、そこに近づく者は少なく、書かれることは多くなかった」としている。
(8)田中和生「文芸時評10月 歴史認識の欠落 政治的正しさに倦む人々」(毎日新聞、2018年10月31日東京版夕刊)