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不肖「信頼出来ない語り手」明智紫苑のおバカ書評! ついでにボヤキ! 読む読まないはあなた次第です。 当シリーズは、書評だけでなく、音楽や映画・演劇・舞台芸術などについての感想も載…
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#女性

我が悪夢の女王たち ―中村うさぎ『狂人失格』―

我が悪夢の女王たち ―中村うさぎ『狂人失格』―

 私にとって一番の「悪夢の女王」は多分、私自身なのだろう。

 私は競走馬擬人化作品群『ウマ娘』にハマったのをきっかけにして、競馬に興味を持つようになった。その『ウマ娘』以前の「下地」として、80年代後半(代表者、オグリキャップ)から90年代前半(代表者、ナリタブライアン)までの第二次競馬ブーム並びに旧コーエー出版部の雑誌『光栄ゲームパラダイス』に掲載されていた『ウイニングポスト』シリーズの記事が

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「女の幸せ」は時代によって変わるよ ―清水ちなみ『女のしあわせどっちでショー』―

「女の幸せ」は時代によって変わるよ ―清水ちなみ『女のしあわせどっちでショー』―

 清水ちなみ氏の『女の幸せどっちでショー』(幻冬舎文庫)には、女性たち相手の様々なアンケート調査がある。それらの調査には様々なテーマがあるが、清水氏は「全世界に男三人女百人かいたらどれほどカップルが出来るか?」という仮定を持ち出している。そして、「この場合、女百人は全員男No.1を狙いにいくだろうって気がしませんか?」としている。
 これは傲慢極まりない。まずは、「女百人」全員を異性愛者だと決めつ

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ミソジニーの本家は男ではなく女である ―上野千鶴子『女ぎらい ニッポンのミソジニー』―

ミソジニーの本家は男ではなく女である ―上野千鶴子『女ぎらい ニッポンのミソジニー』―

 私は上野千鶴子氏の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(紀伊國屋書店)について、まずは揚げ足取りをする。「ミソジニーは男にとっては『女性蔑視』、女にとっては『自己嫌悪』」とは、まさに「落馬とは馬から落馬する事である」もしくは「頭の頭痛が痛い」のような表現である。正しくは「ミソジニーは男にとっては自分にとって異質な相手に対する『他者蔑視』、女にとっては自己嫌悪の延長としての『同族嫌悪』」である。ミソ

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女社会は戦国時代 ―水無田気流『無頼化した女たち』―

女社会は戦国時代 ―水無田気流『無頼化した女たち』―

 詩人兼社会学者の水無田気流氏の本『無頼化した女たち』(亜紀書房)は、洋泉社新書として発行された同氏の『無頼化する女たち』の加筆修正版である。これは現代の日本国内の女性たち(いわゆる「日本人女性」だけに限らない)の「無頼化」「やさぐれ化」について書かれたものである。そして、「女女格差」について「ちゃんと」書いてある本である。しかし、それでも知的障害者を含めた「The 弱者女性」についての記述は明確

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レディーファーストでもファーストレディーでもない女たち ―橘木俊詔『女女格差』―

レディーファーストでもファーストレディーでもない女たち ―橘木俊詔『女女格差』―

 私は経済学者の橘木俊詔氏の『女女格差』(東洋経済新報社)を、文芸評論家の斎藤美奈子氏の『モダンガール論』(文春文庫)の後に読了した。この本は、貧困層や低学歴・低職歴者などの「社会学的弱者女性」についてきちんと取り上げられているが、残念ながら知的障害者などの「生物学的弱者女性」についてはほとんど取り上げられていない。わずかに「不美人」の女性についての言及があるだけであり、個人の能力格差についての言

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「弱者女性」は「モダンガール」の夢を見るか? ―斎藤美奈子『モダンガール論』―

「弱者女性」は「モダンガール」の夢を見るか? ―斎藤美奈子『モダンガール論』―

 ツイッターで、ある人たちがこう言っていた。
《男は「根回し」「融通」「妥協」とかってのを大切にするから、サラリーマンに向いてるけど、女の仕事できる奴って、無駄に「正義感」「頑固一徹」だったりする。女って中間管理職は向かないけど、経営者には向いてるとおもう時がある。》
《むしろ「なぜ女性映画監督の”打率”が高いのか」って議論があって「性差別が根強い映画界で女性が監督になり監督であり続けるには半端な

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「俺たち」のパラダイス ―監督:五社英雄『肉体の門』(1988年)―

「俺たち」のパラダイス ―監督:五社英雄『肉体の門』(1988年)―

 私はこれから、女性が多数派・マジョリティーの世界観の長編小説を書く予定である。そのための資料として、色々な本を読んで参考資料にするのだが、映画も色々と観る必要がある。なぜなら、私がこれから書く予定の小説にはある程度のアクションシーンを描写する必要があるからであり、そのための参考資料として映画を観る必要があるのだ。
 女性がマジョリティーの世界観の作品として、メディアミックス作品『ウマ娘』シリーズ

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「負け犬」VS「人妻」、時々レズビアン ―本橋信宏『なぜ人妻はそそるのか? 「よろめき」の現代史』―

「負け犬」VS「人妻」、時々レズビアン ―本橋信宏『なぜ人妻はそそるのか? 「よろめき」の現代史』―

 私は思う。世間一般で最も性的な意味で「過大評価」されている女性の「属性」とは何なのか? 80年代であれば、深夜番組『オールナイトフジ』に象徴されるような女子大生がそうだっただろう。90年代であれば、「コギャル」という造語で象徴されるような女子高生たちがそうだった。しかし、彼女たち以上に「過大評価」されている「性的偶像」とはズバリ「人妻」である。
 いわゆる「人妻」の性的偶像化とはズバリ、いわゆる

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恋愛至上主義の代替品としての趣味と特技 ―湯山玲子『女装する女』―

恋愛至上主義の代替品としての趣味と特技 ―湯山玲子『女装する女』―

 今回取り上げる湯山玲子氏の『女装する女』(新潮新書)は、2008年に出された本である。あの酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』よりちょっと後に出されたものであり、ある程度「時代を感じさせる」内容だが、それは現在の日本が当時に比べて貧しくなったからである。
 この本には、様々な女性たちが様々な自己表現手段を試しているのが取り上げられている。タイトル通りの「女性の女装」、さらに「スピリチュアル」、「和風志

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脂肪という名の服を着た女性版ハンニバル・レクター ―柚木麻子『BUTTER』―

脂肪という名の服を着た女性版ハンニバル・レクター ―柚木麻子『BUTTER』―

 いわゆる首都圏連続不審死事件の容疑者である木嶋佳苗受刑者は、一部の女性著述家たちの「ミューズ」、すなわち、インスピレーションの源となる女性キャラクターになっている。ミューズとはギリシャ神話の芸術の女神たちの総称だが、人間の女性に対して使われる「ミューズ」という単語は、普通はいわゆる「美女」である。さらには、基本的には男性の芸術家に対して影響力のある女性である。
 本人の容姿といい、男性たちよりも

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ヴィーナス・フランケンシュタイン ―岡崎京子『ヘルタースケルター』―

ヴィーナス・フランケンシュタイン ―岡崎京子『ヘルタースケルター』―

 精神科医の斎藤環氏は「男性は所有原理が強く、女性は関係原理が強い」と定義しているが、私が思うに、男性の所有原理を象徴するものは「能力」であり、女性の関係原理を象徴するものは「外見」である。いわゆる「コミュニケーション能力」の定義は人それぞれだが、女性にとっての一番の「コミュニケーション能力」は「外見」である。作家の中村うさぎ氏は「人間としての魅力と女としての魅力は違う」と定義したが、女性は人格で

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美人分類学 ―酒井順子『私は美人』―

美人分類学 ―酒井順子『私は美人』―

 私は昔、あるテレビ番組を観ていた。その番組では沖縄の某高校を取材していたが、そこは美人だらけの学校であり、私は度肝を抜かれた。
 しかも、さらに驚くべき事態があった。
 ある女の子が「メガネをコンタクトレンズに替えようか迷っている」と言いつつメガネを外すと、その素顔はものすごい美少女だった。その人がメガネをかけ直すと、平凡な雰囲気に戻っていた。そんな漫画みたいな事態って本当にあるんだな!

 酒

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絵に描いた美女

絵に描いた美女

 某掲示板に「女が嫌いな二次元女性キャラ」という話題があった。わざわざ二次元の世界にまで「女が嫌いな女」という図式を持ち込むなんて、どんだけ「女が嫌いな女」という図式を好む男がいるんだ!?
 このような話題では、『タッチ』の浅倉南や『ドラえもん』のしずかちゃんのようなヒロインが槍玉に挙げられるが、要するに、男性人気が高い上に、作品内で同性同士の友人関係が描かれないヒロインが好かれないのだ。ただ、聞

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「オタクの楽園」の住人は男性だけではないのだが…?(前編) ―堀田純司『萌え萌えジャパン』―

「オタクの楽園」の住人は男性だけではないのだが…?(前編) ―堀田純司『萌え萌えジャパン』―

 オタク文化を扱う本は色々とあるが、この記事で取り上げる堀田純司氏の『萌え萌えジャパン』(講談社)は好意的にオタク並びにオタク文化を扱う本である。ただし、2005年発行というだけあって、さすがにちょっと情報が古い。今時のオタク文化を語るに欠かせない初音ミクなどのボーカロイドが普及する前の時期だけに、いささか物足りない。
 とは言え、この本は日本のオタク文化の基本をだいたい踏まえているだろうと思うの

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