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『ヴェネツィアの家族』辻田希世子を読む。
『ヴェネツィアの家族』はタイトルからするとイタリア生活記です。ただ、ちょっと違うのですね。
この本のレビューを書きますが、背景について少々説明しておきます。
筆者の辻田希世子さんは友人です。20年近く前、彼女がヴェネツィアに生活していた頃、大学の同窓生としてミラノで知り合いました。彼女はヴェネツィアで10余年を過ごした後、イタリア人の旦那さんと別れ、娘さんを連れて日本に戻ります。
東京でも何
世界の成り立ちなんてはっきり分かる訳がないーーパオロ•ジョルダーノ『タスマニア』を読む。
何かの専門家が自らの領域のことで良い仕事をすると、さすが、と他人から言われる。その人が専門以外のことで良い結果を出すと、ひとつのことがてきると他に応用できるのですね、とか言われる。
ベースがあるんですね、とか。
例えば、人は他人の専門を生業と捉え、大雑把にその当該の人生の7-8割の価値のように評価し、残りを、まあ、いろいろとあるよね程度に見やすい。
だが、人の人生はそんなシンプルに区切れない
大富豪の出版人の生涯から考えることー『フェルトリネッリ イタリアの革命的出版社』を読む。
頭や心だけでなく、身体も揺さぶられる本というのもそうないです。
カルロ・フェルトリネッリの『フェルトリネッリ イタリアの革命的出版社』を読み終わってすぐ、ミラノ共同記念墓地にあるフェルトリネッリの墓に足を運んだーーというのは、ぼくにとって初めての経験かもしれません。
本の最後に著者が出版社の創業者である父親の眠る墓地について書いているのを読んで、ぼくはその感覚を「身体的に」確認したくなったので
『世界中から人が押し寄せる小さな村 ー 新時代の観光の哲学』を読む。
「あの人は哲学があるね」とか「あの会社の経営には哲学を感じる」という言い方をよく耳にします。およそ、考え方や行動に一貫性があるとか、そういう場合ですね。
ただ、その後に「哲学は感じるけど、ビジネスはどうなの?」という冷めたコメントがつくこともあります。しかし、「商売はまわっているようだけど、哲学がないんじゃない?」と言われるよりはマシかも、との見方はあるでしょう。
さて、「アルベルゴ・ディフー
恋することは、友愛のある種の超過。
文化の読書会ノート。
アリストテレス『ニコマコス倫理学』第9巻 友愛(続き)
納富信留『ソフィストとは誰か』と交互に読んでいる。
(第8巻の感想でも書いたが、友愛の巻は、時間を越えて説得性の高い部分だ。この9巻のまとめでは、いくつかのポイントに絞ってとりあげる)
一つ目が好意と友情関係だ。
両者は似ているようで違う。好意は一方的で、友情は相互作用だ。そして、好意は「愛すること」でもない。
人は友になる気のない者を友にしてはならない。
文化の読書会ノート。
アリストテレス『ニコマコス倫理学』第8巻 友愛
納富信留『ソフィストとは誰か』と交互に読んでいる。
友愛は人が生きるにあたって必要であり、かつ美しいものだ。ここでは、友愛のうち、人間のさまざまな性格や情念にかかわる問題を考察する。
友愛はすべての人が対象なのか?友愛には複数あるのか?
それには「愛されるもの」を知ることが前提になる。1)善きもの 2)快いもの 3)有