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あたし論

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インクルーシブな社会のための研究・実践をするなかで、考えたことを整理するために書きます。 ※個人の意見であり所属する組織と関係ありません。
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#障害

全ての気付かざるを得ない人たちへ

全ての気付かざるを得ない人たちへ

誰かの尊厳を奪うことや誰かを侮辱したり差別したりハラスメントにつながることを無邪気に無意識にに言ったりやったりしている人がいて、でもそれを見聞きしている人たちも笑っていて、誰も止めなくて、という場面はよく見聞きする。

伝えた方が良いか、どう伝えるのが良いのか。
でも伝えたら雰囲気壊す。じゃあ伝えない?でもそしたら後悔する。
いつも気づく人がやたら消耗してしまう。

気づかずにすむ世界で生きている

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差別的言動をされたときの反応は自分で選んでいい

差別的言動をされたときの反応は自分で選んでいい

これまで差別についていろんな記事を書いてきた。

女性当事者としてジェンダーバイアスに気がついたこと。

特権を自覚していない人へどうアプローチするか。

差別的対応をされたときの闘い方は自分で決めるから闘い方への助言は不要であるということ。

そして自分自身はどうやって闘うのか。

その後、生活をする中で、自分はどんなときにどんな相手にどんな対応をするのか?が結構明確になってきた。かなりこちらの

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わたしの差別や偏見との戦い方

わたしの差別や偏見との戦い方

差別的だったりバイアスを助長する言動に違和感を持ったときに声をあげる→伝わらない、むしろ「は?なにこいつ?」的な目でみられる→だんだん違和感抱いてもなにも言わなくなる(学習性無力感)→あれ、私が変だったのかな?とか思い始める→バイアス言動に麻痺してきて違和感すらもたなくなる。

そうならないように、一人でも「そうだよね!」って言ってくれる人がいたり、共有出来る仲間がいることが大切。声あげるのは当然

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多様性を前提とした社会のために自分の特権を自覚せよ

多様性を前提とした社会のために自分の特権を自覚せよ

障害についてもジェンダーについても、いろんな格差についても、学べば学ぶほど、考えれば考えるほど、インクルーシブな社会の遠さに絶望していたのだが、この本を読んで少し希望が生まれてきた。日々絶望と希望を行き来してる。

絶望していた理由としては、結局意思決定権を持っている人たちが格差を認識しそれを是正していく意思決定をしていかなければ社会の構造ってやはり変わらないのでは、と思うから。今回のコロナで

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差別や排除との闘い方を強要しないでくれ

差別や排除との闘い方を強要しないでくれ

「もっと冷静にうまくやればいいのに」「感情的になりすぎて周りが見えなくなっているのでは?」「客観的に、戦略的になった方が良いよ」

いずれも差別や排除と闘っている中で声をかけられたこともある言葉であり、また、声を上げている当事者に向けられる場面をよくみる言葉たちだ。「障害」関係でも、「ジェンダー」関係でも。

私も一時期はそう思っていた。ただ声を上げるだけではなく、実態を変えるために戦略を考える必

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自分が抱くバイアスに気付くのは辛いし苦しいけどなかったことにはしたくない

自分が抱くバイアスに気付くのは辛いし苦しいけどなかったことにはしたくない

「マイノリティであるが故にどうしようもならなかった経験」を持っていないと得られない感覚はおそらくあるんだろうと思う。
ここのポイントは、社会の物差しがどうであろうと、「自分が自分をマイノリティと自覚し、それが理由でどうしようもない、頑張ってもダメだった」という経験を持っていると自分が思うかどうか。世の中や他者がどう思うかはあんまり関係ない。

「マイノリティだけどどうにかなった人」「自分がマイノ

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「たまたま残念な支援者にあたりました」を無くすための仕組み

「たまたま残念な支援者にあたりました」を無くすための仕組み

まだちゃんと言葉になっていないしまとまってないけれど書いてみる。

最近思っているのは、やはり対人支援職として必要な「資質」はあるということ。支援技術は身に付けることができるけれど、資質はなかなか難しい。例えば、目の前のその人に関心を持ち続けることができること。自分の正解を押し付けるのではなく、その人にとっての正解を模索し続けることそのものを楽しいと思えること。支配的になる自分に気がついた時に絶望

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肩書きそのものが持つ権力を自覚しておきたい

肩書きそのものが持つ権力を自覚しておきたい

どんなに対等に接することを心がけたとしても、「医者」「社長」「役員」「教授」など、その人についている肩書きや立場は関係性を築くにあたり大きな影響を及ぼす。そして一方間違えるとすぐに主従関係や支配関係になる。

対人支援をしていると、それを認識しなければならない、と思う場面に多くぶち当たる。

どんなに気をつけようと、肩書きや立場の印象で人は見るし接する。「対等です」と言葉で言っても意味ないし、「な

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「理解できないやつが悪い」は何も生まないのでは。それでいいならいいけれど。

「理解できないやつが悪い」は何も生まないのでは。それでいいならいいけれど。

まだ届いてないのだけど、とても興味深い本を見つけたので。タイトルと紹介だけ読んでなんで自分がこの本に惹かれたのかを忘れないように書いておく。

こちらの本
打浪文子
知的障害のある人たちと「ことば」――「わかりやすさ」と情報保障・合理的配慮

「ことばができる」ことに価値があるという文化や社会的風潮に対し問いを投げかけ、
社会全体で共有できる「わかりやすさ」の必要性を明らかにすることを通じて

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「障害のある人が生きやすい社会」と「やる気がない人に寛容である社会」は繋がっている

「障害のある人が生きやすい社会」と「やる気がない人に寛容である社会」は繋がっている

昨日はお声かけいただき、Schooさんの生放送授業「僕らの哲学座談会」に出演してきた。テーマは「障害と教育」。

1時間、インターネット上で授業を受講くださっているみなさんのコメントを見ながら問いを設定し、それに対して対話をしていくスタイル。

「障害」や「教育」に初めから関心のある人向けに講演をしたり、お話ししたりすることは多いけれど、より一般の方と広く話す機会はなかなかないため、非常に興味深い

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当事者の声を置き去りにした「社会課題の解決」のもったいなさ

当事者の声を置き去りにした「社会課題の解決」のもったいなさ

書くかどうか躊躇する。書くことで、余計にハードルが高くなるかもしれない。「まずは興味を持てるようにすること」が大切なのもよくわかる。でも、置き去りにしたまま進めて欲しくないから書くことにする。私はそういう役割を担っていきたいと思う。

*****

いろんな方から相談を受けることが増えた。

「発達障害のある人の支援をしたい」
「学校教育を変えたい」
「触法障害者の支援をしたい」

多くの方が関心

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誰もを包含できる完璧なシステムなんて多分ない、だから作ろうとし続けることをやめない

誰もを包含できる完璧なシステムなんて多分ない、だから作ろうとし続けることをやめない

どんなに素晴らしい仕組みを作ったとしても、そこからこぼれてしまう人は多分いるであろう、という想像力を失いたくない。
自分が想像できる範囲の人たちは限られており、常に想像を超える人たちがいる、という前提。

もちろん、だから新しい仕組みを作ろうとする。既存の仕組みを変えようとする。誰もこぼれないようなシステムにいつかたどり着けるのでは?いつか作れるのではという希望を持ちながら、でも頭のどこかで必ず「

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「障害受容」という言葉の身勝手さ

「障害受容」という言葉の身勝手さ

今日は仕事にて専門家の方々とディスカッションをする会。多方面からアドバイスをくださる方々がいることがものすごく心強い。「中」にいるとその中でしか考えられなくなるから、定期的に「外」から違和感を言ってもらえることは超大事。対等に、よりよくするための議論を、まっすぐできる、そういう関係性はわたしをいつも救う。

終了後にお茶をしている時に、「障害受容」という言葉の身勝手さについて話した。
思い出し

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「支援」の正解はなにか

「支援」の正解はなにか

「障害」のある方や、子どもに日々関わっている中で、その子にとって、その人にとって何が良い支援か?を考え続けてきた。様々な支援方法、教育方法も学んできた。その中で私は、その子にとって、その人にとって、その家族にとって、何が「正解」かは、一緒に模索していくことでしかわからないことを学んだ。

間違いがあるとしたら、それは「勝手に正解を決めること」。「正しさ」の定義をせずに、「こっちが正しいのですよ」と

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