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死。。。 人生の意義を 見つけたい人だけ読んでください。

テレビに出演されていた若い女性が
自殺され、ニュースで多く報道されている

ちょうど私はこの季節になると
23歳で亡くなった友達を思い出す

本人は無念であろうが
残された私達には実質 出来ることは少ない


すべきことは残された人達と自分が早く
元の生活に戻る精神状態に戻ること

特に遺族には
前向きな言葉を押し付けてはいけない

となると現実的になにかできることは
自分に言い聞かせて前を向くことだけだと思う

今回は人の命の使命について
私の体験談を書きたいと思います🐾
結構長いです。


高校の修学旅行で沖縄に行きました。

平和学習ということで戦争の跡地を周り
ガマと呼ばれる防空壕の中まで入った。

この話は割愛するが
その日の夜  私の身に不思議な体験が起きた
心が落ち着かず、写真にも黒い影が映った

そして
残りの沖縄での数日を
全く楽しめなかった。

そのことをきっかけに
第六感が芽生えてしまった💡
何かが聞こえたり、感じたりした。


それから数年がたったあるお盆の日
母の実家の墓参りに行った。

早起きで眠かった私は
親戚達が集まり騒がしいリビングで
豪華な昼食を用意する母やおば達を
半目に見ながら寝転がっていた。

そういえば、 、 、
叔父たち男衆がいないことに気づいた。

私「おじさんたちはどこいった?」

おば「もう1つのお墓参りにいったよ」

私「もうひとつ?? なにそれ?そんなんあるの?」

おば「もう何年も前の土葬のお墓で、ほったらかしにしてたんだけど。また供養を始めたのよ」

私「でもまたなんで急に今年から?」

おば「私が半年前から体調が悪くて病院に行っても回復しないって職場の人に話したら、そういうのを見える人がいるからって診てもらったのよ」

私「へー」

おば「そしたら、放置しているお墓はないかって言われて。。それで今年から始めたのよ」

私「すごいなー。その人、紹介してくれる?
実は沖縄でちょっとあって、お祓い?みたいなものをしてもらいたいと思っていたんだ」

おば「わかった。聞いてみる。ちなみに、この人は普通のおばさんでスーパーで働いてて、休みの日にボランティアで見てくれてるんだって」

私「おー。なんか安心だね。」

1週間ほどして おばから連絡があり
その人に約束を取り付けてもらえた。

山が近い田舎で、駅から車で30分くらいの
普通の家だった。

私は電気工学でプログラミングを学ぶ
バリバリの理論家でした。

あやふやな答えを言うようなら
論破して差し上げようと
意気込んでいました🔥

先生のお宅に上がると
普通の仏壇があり、
ポジティブな詩(人間だもの 的な)が
壁に飾られただけの普通の家で
先生も普通の50代のおばさんでした。

しかし ここで聞く話が私の人生に
大きく影響を与える事になります

軽く挨拶をして。
机を挟んで対面に座り、
名前と生年月日を紙に書くように

私「これで、何がわかるんですか?」

先生「んーとね。守護霊を降ろしてきてね。
まー見といて!」

私「はい。。書けました!」

先「 セロリアンさんね。何か悩みがあるの?」

テレビで見るような
「仕事の悩みね!恋愛の悩みね!」
など断定されたら論破しようと思っていましたが、あっちから 聞かれる方式でした笑


私「実は、沖縄で。こんなことやあんなことが、、、」

先「なるほどね。まぁ沖縄はそんな地だから仕方ないわ。それより、その影が映った写真は今どこに?」

私「友達のカメラの中です。」

先「それ消してもらってね!今君には何も憑いてないけど、時々出てきて悪さするから。」

そうやって
その写真の処理の方法や、今後も起こるであろうことから守る方法を教わりました。

先「他に質問はある?」

私「んー。そういえば、昔から亡くなった人の夢をよく見ます。」

私は幼少期から亡くなった人の夢を頻繁に見ます。
祖父母、先生、友達。

多い時は週5で夢に出てきます。
しかも、それがあまり幸せな夢ではなく、
お葬式や火葬場など、怖い夢です。

なんの意味があるんだろうと
常に考えていました。

先「んー。夢はね大丈夫よ。今後、見なくなるよ!ところで、君の性格は 追求する ことだね。」

私はまさに追求する性格で。
学問も 高校時代から自分の好きなものを徹底的に勉強し、独学で大学の範囲を勉強し。
幸せとはなにか。感謝とはなにか。
人としての在り方とは何か。
友達に悩みがあると聞くと、原因は?要因は?
などと追求する性格でした。

先「その性格って子供の頃からそうだった?小学校5年生の時に何かなかった?」

私「んー小5ですか?んーーー。
あっ‼️マンションから落ちて、頭蓋骨骨折、急性くも膜下出血でICUで2日間気を失ったにも関わらず、1週間で退院するという奇跡がありました‼️」

先「あっ、それだね。それで性格が変わったんだね。」

私はそんな大事を忘れていました。
ショックでその時の記憶が
あまりそもそもないのです。

そして先生はその事を言い当てました。

先「君は自分の事だけじゃなく、人の問題にまで 何故?なんで? って聞いてしまって、相手を不快にさせてしまうから気をつけてね!」

まさしく私は今
自分の人生だけでなく、相手の人生の中に
なぜ?を強制させる仕事についています。

ただこの先生の言葉のおかげで
気分を害さない聞き方を追求しました。

先「他は質問ある?」

私「天国ってあるんですか?」

先「ないよ」

私「そうなんですか。」

先「私の所に相談に来る人たちのほとんどが、
前世は?とか次の人生は?とかばっかり!
これを見て!」

先生は壁にかけている詩を指差し
人生は一度きり

先「この言葉通り、今の人生を一生懸命生きなさい!」

私は子供のころから
やりたいと思ったことを行動するタイプだったので
意見が言えなかったり、行動しない友達を理解できませんでした。

今考えると
私がいるから言えなかったのかもしれないと
思うこともあります。

先「まだ質問ある?」

私はずっと胸の奥にしまっていて、
口に出してはいけないと思っていた
悩みがある事に気付きました。


私「私の親は離婚しています。
       借金で貧乏、親の教育。
       親に自分の可能性を奪われていると感じます。
       私って不幸な子供なんでしょうか?」

先「君は最近のニュースで、花火が爆発して数名が亡くなった事故を知ってる?」

先「その事故で亡くなった人もいれば、すぐ横に居たのに助かった人もいる」

先「これは、神様が決めてるの。
神様がその人にしか出来ない使命があるから、生かしているの」

私「はー。そうなんですか。」

先「君も小5で生き残ったのは君にしか出来ない使命があるから、生かされているの。」

先「そう考えるならば。君のお父さん、お母さんにもそれぞれ使命があって生きているの。
そして、それは子供を幸せにすることじゃない。

先「だから君は、親のせいでとか言ってないで、ひとりで生きていきなさい
でも君はまだ若い、1人で大人になるのは難しいから親を自分の為に利用しなさい

この言葉を聞いて鳥肌が立ちました。

すでにこの言葉に縁があったからです。
進路を決める時
貧困の為 母親は
国立大学か就職にしなさいと言ってきました。

自分が高卒で、国立の難しさを知っていないのに
言ってくる母に失望しました。

しかし、
家庭の状況は理解していましたので
そうだと思いバイトをして家を支えながら
勉強ていました。

しかし、母が私の貯めたお金を使っていたのです。

ケンカになり、なんて不幸なんだと
泣きながら担任に相談しました。

すると担任の先生は
「お前には、もう一人親がいるだろう。
親を利用して生きていきなさい
と数年会ってなかった父親に助けを
求めるよう背中を押してくれました。

それがきっかけで父親と私は仲良くなり
大学にも行くことができました。


話を戻します。

私はすでに高校生の頃から
自堕落な人生でなく
自分を自律し、人に与えれる生き方は
経営者としての生き方だと考えていました

従業員の痛みを感じ、前に進ます。
お客様の痛みを感じ、解決する。
そうして人間としての徳を積むのだと

ならば
今の私の周りから学ぶべきではないと。
自立する! 一人で生きていくと!!

先「もし君が、頑張った分だけ上にあがれば人の痛みのわからない人間になる。」

先「頑張っても頑張っても、結果は人と同じ。でも人間的にははるかに君の方が徳がある。

先「それが君が生きる使命なんだ!

そう言われて19歳の時
私の人生の目的 (使命)が強固になった

いい父親になる!

そして子供、妻、両親、妻の両親、
親戚、地域、会社、国

町内でいい評判のお父さんいますよね。
会社でも。

私は国をあげたいいお父さんになる!

そう決めて、修行を積んできました。


話がとんでとんで、長くなりましたが
人には使命がある限り生かされるそうです

おそらく今回
亡くなった女性も、
そして私の友達も
読者さんの周りの方も

使命を全うされたのでしょう。

私たちの 長さのものさし では
短すぎる人生と思ってしまっても
その人だけの使命を果たされたのです。

自らの死を使って
だれかに何かを教える使命
だったのかもしれません。


一応言っておきますが
わたしは何の宗教も推してませんし
この考察も勘違いかもしれません。

センシティブな内容でしたので一応。

今後世界を元気にするために活動を始めたいと思います