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シアトルにある、パナマホテルで。
宇和島屋というスーパーマーケットに向かい、日本町の文字を発見したので、歩いていると何も調べず見つけたホテルがパナマホテル。
どちらもこの地に来なかったら知ることがなかった場所だ。
引き寄せられるように中に入るとカフェがあって、日系人の展示物もたくさん掲示されていた。
日本からの移民によって建てられたパナマホテル。創立が1910年。だからもう114年になる。地下には、銭湯の跡地もあって、移民の
西アフリカのニジェールに新しく村を作る!クラファンが残り9日!
残り9日!早いという感情と、早く終わらせたいという気持ちが錯綜。まぢでエネルギー使う。笑
▼ ニジェールに新しい村を!自治の村を作り直し、アフリカ本来の共助を取り戻したい!
https://camp-fire.jp/projects/view/609937
露出度が低い国で、日本ではネガティブな話題しか見ない国で、場所すら認知されていない国で、どうやってポジティブに資金を個人から集めるのか。頭
僕たちは、ニジェールに新しい村をつくることにした。
僕は、ハウサ族の人たちと共にアフリカで新しい村をつくる。
場所はニジェールとナイジェリアの国境付近。きっかけは、ニジェールの村へ、たった一人出向き、そのまま12年住み続けている恩人・三木夏樹さん。
三木さんは、現地のオマルさんと共にNGOを立ち上げた。
村では、道徳観が育まれる前に、便利な道具が流入し、若者が荒れ狂いはじめ、自己中心的な豪農が増え、人が人を破壊してどんどんと荒廃し続けたという
105の国境を越えてきた泳ぎ続けるマグロが、ステイホームしながら境界を越えるzoomイベントを20回やってみた話。
4月頭にコロナの騒ぎになってから、驚くほど暇になった。フリーランスで活動しつつも、行政の仕事が多いので4月~6月は稼働が少ない。
それでも仕事が8割ぐらい減った。家の外に出ようにも、出れず。悶々と過ごす日々。
気づくと空いた時間が多くなって、家の中で出来ることをしていたように思う。
はじめのうちはネットフリックスや読書で過ごすが、飽きた。
親友であるニート研究家のJくんによると
新潟駅周辺は、昭和レトロ×お洒落な街だった。
以前、一度だけ新潟駅周辺で新潟の友人と食事をしただけで、実は、ほとんど新潟を観光していなかった。謝罪の念を込めて新潟市内をふらふらしてみようと新潟駅までやって来た。
ぶらり途中下車で何も考えずに長岡に立ち寄って、新潟駅までは各駅停車で約1時間ちょっとかかった。うとうとしていたら新潟駅に到着した。駅のスーパーで佐渡島から連れて来られた蟹を発見。
ちょ、え、やす。ワンコインって、逆に蟹に謝りたくなっ
景色が見える昼に、ゆっくりとした乗り物で移動してみる。
「新潟に行く」学生時代から約束していたことを果たすという理由をつけて、新潟まで来た。学生時代なら確実に青春18きっぷか、夜行バス、もしくはヒッチハイクなのだろうけど、お金を少々持っているからか、何も考えず、予定通りに何の気なしに新幹線に乗った。
新幹線ときは2階建ての車両で、乗り物好きの男の子なら興奮しちゃう作り。乗客も物珍しさからか、ほとんどが2階に向かう。
新幹線に乗っていると埼玉を出てか
夜がおわり、朝がはじまる。
息を吸って、吐く。
そんな些細なことに感謝できているのだろうか。
ノスタルジックジャーニー台湾
ボクは、まだ27だから。
台湾を旅していると昭和の時代を感じるモノに出くわすことが多くある。平成しか生きていないけど、昭和の匂いがぷんぷんするのだ。
例えば、駄菓子屋さん。
こんなところに昔の人たちはお金を握りしめて走って買いに来たのではないか、と思った。
昭和時代のパチンコ屋さんだってある。
パチンコ屋さんには警察犬みたいな番犬がうろちょろして怖かった。ポケットの匂いをクンクン嗅がれ
約束を守るということ。
ボクが会社を辞めた月に、人生において大切な存在になった2人も会社を辞めた。人生のスパイスになったような、そんな人たちだ。その内の1人が日本に中毒的にやってきていて、そのままワーキングホリデーで働いていた台湾人だった。奇しくも年齢も一緒で。タイミングがあえば、飲みに行ったり、ご飯に行ったり。なんでも話し合える仲だ。
彼女は、稀に見るあたたかい抱擁力がある人だ。日本に滞在中に犬に腕を噛まれたりと