見出し画像

アメリカに、来た理由。

22歳の時、母を突然亡くした僕は失意のどん底にいた。

母の死を乗り越えるために、予定を半分変えて世界一周の旅に出た。

そのスタートがニュージーランドからロサンゼルスへ。一カ月ほどかけて、ニューヨークまでアメリカを陸路で横断だった。

22歳のときの僕

度胸試しで、ヒッチハイクとグレイハウンドだけしか使わないというルールにした。

ヒッチハイクして張り切って乗り込んだらメキシコ人でスペイン語がほとんどだったり、20時間以上バスに乗った日もあったな。

ロサンゼルスからニューヨークまでの大冒険は、英語がまともに喋れない僕にとって、とてつもなく勇気がいった。

が、その分、ワクワクした。
その後も狂ったように旅を重ねて11年間。

いつしか、観光の仕事をし、僕の無謀な冒険に連れて行ってもらいたいという人が増え、気づいたらガイドも仕事みたいになった。

最近も、ブラジル、アメリカ、インド、台湾、ベナン、ガーナ、などなど誰かを連れて旅行した。

ガイド役をしていると、極力、自分自身が落ち着いていられるよう、下調べを入念にしたり、一度は必ず訪れたことのあるところを訪問する。

それはそれで面白いのだが、刺激のないように旅するようにしていからか、旅が旅行になった。

旅行は行き先を事前に決めて、一緒に行く人に提示して納得してもらう。事前に行程を決めるから、旅行なのだと思っている。

逆に、一文字の”旅”はある程度、行き先は決まっているだけであとはノープラン、満足させるのは自分自身だったりする。

僕はこの後者である”旅”を5年ぐらいしてないことに気づいた。これが一つ目の大きな理由だったりする。なので、今回はオンラインで仕事をすること以外、ある程度しか決めてない。

目に入ったものをやり、入ってきたものを信じ、行きたいところに行く。

そんな中で、いつも通っているアフリカではなく、なぜアメリカという大陸を選んだのか。

それは前述した、過去のワクワク感もあるが、偶発的な連続の中に、アメリカというワードをよく聞いていたからでもある。

思いがけず会社を立ち上げたのが、4年前。

個人事業主から計算すると、8年は事業主をやっていることになる。こんなポンコツでも、やり方だけ気をつければ、成り立つ。


いろんな人に生かされて、ここまで来れたのだけど、最近はやたらと多くの法人の代表さんからも話を聞く機会にも恵まれた。

下着ブランドの社長、いろんなイベントを運営する会社の社長や社団法人の代表、尾道にあるビーントゥーバーのチョコレート屋の社長、クラフトビールの醸造会社さんなど、億単位で売り上げを作る代表さんと立て続けに出会う機会があった。そんな彼らから出てきたのが、アメリカだった。


アフリカには自他ともに認めるように通った。

アフリカの田舎に行くと、資本主義の正反対に生活を成り立たせる村などに出会うことがある。

かといって、共産主義とか社会主義とかでもない、何にも属さない、彼らなりの在り方で生活している。100を超える国を旅して、1番に惚れ込んだ場所がアフリカでもある。
心技体でいうと、僕の心はアフリカで成り立っている。

なんでもおもしろがる精神、ゆっくりやろうぜ的な考え方、言葉で人を区別しないところ、自分の在り方を形成しているのはアフリカでの経験だ、と言える。

だが、資本主義を敷く日本では、それだけで太刀打ちすることはできず、理想と現実が乖離して貧困になる。ユートピア=理想郷をつくるか、教祖みたいになって宗教団体みたいなやり方で寄付を集めるしかなかった。

美味しいご飯も、移動することが生きるガソリンである僕はお金というエネルギーとも向き合う必要があった。

これから生業でのやり方のヒントを学びに資本主義ど真ん中で、コミュニティを成り立たせているを“技”を見に来てみた。

それが今回のちゃんとした理由かもしれない。

いや、ただ大谷翔平を観て帰ったとなるかもしれないけど。それもそれで、1番の目的である”旅”を味わいたいから、それでいいのだ。

ニューヨークの地下鉄の中で、スマホから書き綴ってみた。

あのときと同じ場所で。33歳になった。
上着のノースフェイスは当時から着ているのか。

この記事が参加している募集

#この街がすき

43,617件

#今日の振り返り

23,609件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?